2019年7月26日(金)。始まりは酷暑の新潟。お昼過ぎに、市議会議長あてに延期になっていた活動継続を求める要望書を提出し、その足で東京に向かいました。
目黒パーシモンホール。14年前に金森さんの『フェスティバル』を観るために訪れた人は多いと思いますが、私もその中の一人。懐かしいような不思議な気持ちでの再訪です。
エントランスやロビーでは関東在住の知人友人たちと前公演以来の再会♪
会場の大ホールは天井が高く、広々した空間です。
ほぼ満席の客席。静かに開演を待ちます。
『Mirroring Memories』、そして休憩のあとの『Fratres I』。どちらも神々しいばかりの集団の力に打たれます。
『Fratres I』が終わり、幕が上がると拍手とブラボーの嵐!!そしてスタンディング!! 台風間近の蒸し暑い東京に、敬虔で静謐な、やがて熱狂の時空がひろがりました。
14年よりも前、帰国直後の金森さんの作品『悲歌のシンフォニー』を観た方から、「あれは○○ですよね。原点回帰したのですね」というお話を伺いました。奥が深いです。中日、千穐楽も楽しみです♪
*まだ2公演を残すことに鑑み、文中、1箇所、「○○」と伏せ字とさせていただきました。ご了承願います。
(fullmoon)
fullmoon さま
東京初日レポ、有難うございました。
めぐろパーシモンホール、
光が降り注ぐ、まるで近代的な「大伽藍」の趣き。
これは公演の記憶が会場と結びつく訳だ、と。
中日、千穐楽には参ります。
台風が来ないことを祈りながら。
(shin)
正確には金森穣が活動拠点を日本に移したのは2002年6月、新国立劇場中劇場で『悲歌のシンフォニー ~第3楽章』が上演されたのは2000年5月です。従って今から19年以上前かつ金森の帰国前ですね。
あれを見て「うわー、凄い振付家の国内メジャーデビューだ」と感嘆しました。そのときに使われていたのが○○だったんです。あの印象はいまだに鮮烈で、私として金森作品で□□と言えば○○、みたいな。ですので、今回も一目見て○○だとわかりました。
ちなみに、ほかの振付家が○○を使っているのは見たことがありません。
あおやぎ さま
ネタばらしの時が来ました。
○○はいいとして、
不勉強なため、□□がわかりません。
どうか、□□について教えていただけますか。
「たき」でしょうか。(←自信ありません。)
(shin)
shin さま
いつもリポートありがとうございます。
□□は「雪」のような降らしもののつもりで表記しました。
文字数は適当です。ごめんなさい。
あおやぎ さま
な~るほど、「ゆき」でしたか。
答え合わせ、有難うございました。
しかし、□□と○○の出てくるコメント、
想像力を刺激され、楽しめました。
また、機会があったらお願いいたします。(笑)
(shin)
shinさま
あおやぎさま
コメントありがとうございました!
あおやぎさん、さすがですね!
でも、
○○ を降らせた人は もう一人いるのですよ。
その人は、山田勇気さん!
2013年7月の、Noism2夏の特別公演 in 新潟県政記念館
『鳩の反動』 で、会場の議場の上にあるテラスから○○を降らせました。
山田さんは、金森さんが『悲歌のシンフォニー』で○○を使ったことは知らなかったそうです。
山田さんは白いものを降らせたいと思ったのだそうです。
金森さんは金色のものを降らせたかったそうですね。
2000年に観た人によると、照明が当たって金色に見えたそうです。
山田さんは他の作品で、それとは知らずに『悲歌のシンフォニー』を使っていますし、金森さんと何か通じ合うものがあるのかもしれませんね。
(fullmoon)
> 2000年に観た人によると、照明が当たって金色に見えたそうです。
ふーん、私には、オレンジ色の照明の中で白い粒が落ちてくるように見えていました。ダンサーが奥舞台へとハケる最中のことなので、きっと照明は絞り気味だったろうと思います。
私の思うところは、我ながらいつも大変に即物的です。なので、見る人によっては金色のように受け止めても不思議はないのでは。少なくとも照明に使われた光線の色温度は大変に低かったですね。
ちなみに、このときの白米は「雪篭」のような幅の広い降らし方でした。今回 shin さんが書かれたような、「光の滝」と言うか、光柱のような使われ方ではなかったです。
> ○○ を降らせた人は もう一人いるのですよ。
> その人は、山田勇気さん!
ああ、「鳩の反動」ね。見た見た。そうでした。しかもグレツキの曲を使ったのは、まさにあのときだったでしょう。ずいぶん影響受けていると言うか、「染まった」な~と当日思ったことを、いま思い出しました。
なので、「ほかの振付家」と書いた部分については「Noism 以外の振付家」にお詫びのうえ訂正いたします。