佐和子さんがNoism1新潟公演で、金森さんの新作をソロで踊ります!

昨日発表されましたね!
びっくりしました!!
http://noism.jp/20171129_jokanamori_nw/

◆『The Dream of the Swan』(新作)

演出振付:金森穣
音楽:トン・タッ・アン
美術:須長檀
出演:井関佐和子

※『NINA』埼玉公演の際に本作を上演するかどうかは未定です。
※上演時間約15分

「白鳥の夢」、素敵ですね。
佐和子さんが出演したラジオでのお話によると、音楽のアンさんの曲のタイトルなのだそうです。
『NINA』の前に、最初に踊るそうです。
遅刻厳禁。
とても楽しみですね♪

★『NINA』の特設ページ
http://noism.jp/nina_2017/
★『NINA』見どころ紹介冊子
http://noism.jp/noismjournal_nina/

明日から12月、新潟公演もうすぐ、12/15,16,17!!!
(fullmoon)

「佐和子さんがNoism1新潟公演で、金森さんの新作をソロで踊ります!」への9件のフィードバック

  1. fullmoon さま
    まずはラジオ出演時の告知だったのですね。

    ところで、トン・タッ・アン氏のfacebookへの書き込みに
    次のようなものがあります。
    “So happy that the captive queen is becoming a dreaming swan…
    I will send you a corrected version of it.
    Don’t worry, the structure is the same.”
    (文中の ‘you’ は佐和子さんのことです。)

    また別のポストには、
    “The genesis of this new piece dates back from 2013…”と。

    2013年は『ZAZA ~祈りと欲望の間に』初演の年。
    その第2部は佐和子さんのソロ『囚われの女王』
    (=The Captive Queen)。

    そうすると、アン氏の「囚われの女王が夢見る白鳥になる」や
    「この新作の起源は2013年まで遡る」が見事に繋がります。
    「修正版ながら、構成は同じ」という部分も
    「新作」の特徴を伝えていると読めます。

    あのとき、『ZAZA』第2部の音楽は、当初告知されていたアン氏から
    シベリウスに変更されたのでしたが、
    その経緯について、アフタートークで質問したところ、
    当時、(記憶が確かなら、ベルリンフィルからの依頼が入っていた)
    アン氏は多忙を極め、曲が届かず、もう待てないということで、
    やむなく、シベリウスを使用した、と金森さんが言っていましたっけ。
    その答えを聞き、私自身、「アン氏の音楽バージョンでも観てみたい」と
    発言したことも思い出しました。
    で、アン氏の今回の音楽は、そのときのものが下敷きにされている様子で、
    果たしてどんな音楽とどんな舞踊なのか、興味は尽きません。

    あと、蛇足ですが、
    アン氏はfacebookで、
    私の「(佐和子さんが見られるのは)新潟だけかも!?」にも
    次のようなコメントをしてくれました。
    “A gift for the people of Niigata, where NINA was born.”
    「NINAが生まれた街、新潟の人々への贈り物」と。
    だとしたら、新潟市民としてこれほど嬉しくて、
    誇らしいこともないですよね。
    (shin)

  2. shinさま
    う~ん、すごいコメントですね!
    さすがshinさんです!!

    アン氏は4年前の約束を果たしたのですね。
    当時、アフタートークでの、アンさんが非常に多忙というお話は私も聞きました。

    「囚われの女王が夢見る白鳥になる」とは、なんてロマンチックなんでしょう♪
    そして、shinさんへのコメント、「NINAが生まれた街、新潟の人々への贈り物」とは、もう~、クラクラしちゃいます!
    アンさん、素敵すぎます。
    (fullmoon)

  3. fullmoon さま
    先のコメントについて、もう少し正確を期しますと、
    アン氏の「囚われの女王が夢見る白鳥になる」としたところは
    原文”So happy that the captive queen is becoming a dreaming swan…”
    (囚われの女王が夢見る白鳥になろうとしているのでとても嬉しい…)と、
    アン氏が自らの喜びの感情にも触れていることから、
    ①『The captive queen』(2013)として日の目を見る筈だった曲が、
    ②『The Dream of the Swan』(2017)に生まれ変わろうとしている
    という「楽曲の変化」を現在進行形を使って表現しているようです。

    言ってみると、ダヴィンチが描いた『モナ・リザ』が、
    あの謎めいた微笑を浮かべる女性を見せているその油絵具の下に、
    既に肉眼では見ることのできない「下絵」の層を隠し持っているように、
    今回、佐和子さんが踊る「夢見る白鳥」を、
    その向こうに原型としての「囚われの女王」を感じながら観ることも
    何ともスリリングなことですよね。
    (勿論、そんなことなどまるで意に介することなく、
    素直に佐和子さんの舞踊に両目を預けきって
    ただただ見つめていたって良い訳ですし、それが基本です。)

    いずれにしても、時間はかかりながらも、
    律義に約束を果たしたアン氏、なんとも素敵です。
    はてさて、どんな「前座」が見られますことやら。
    ますます新潟公演への期待は膨らみます。
    (shin)

  4. shinさま
    ますますすごいコメントですね!
    すばらしすぎます。
    う~、早く見たい~!
    (fullmoon)

  5. あーなるほど、平たく言えば「囚われの女王」で使うはずだった音が今回届いたので「The Dream of the Swan」としてリメイクじゃなくて新規に振り付けたってことですね。
    井関佐和子のファンで彼女の踊りを見たい人たちは特に新潟に多いでしょうから、これは金森穣からそうした人たちへの素敵なクリスマスプレゼントと言ったところでしょうか。
    新潟で上演して反応が良ければ、きっと埼玉でもやるのでは?

    別件ですが、塩之入一代を見ようとセッションハウスのチケット買ったら、平原慎太郎作品「ちのはて」も併演されるんですね。
    「『ち』=知、恥、血、地などから連想される単語からストーリーを紡ぐ。」そうなので、きっとこの間 Noism2 が上演した「よるのち」と関連性がある作品なんだろうと思います。明日2日の19:00と明後日3日の14:00なんですが、ここで紹介されていないようなので、土壇場ですがとりあえず言及しておきますね。

    1. あおやぎ さま
      コメント、有難うございました。
      まわりくどい書き方をしていましてスミマセン。
      そういうことです。(笑)

      あと、平原さんの公演『ちのはて』、
      同じように感じておりました。
      ご覧になられましたら、どんな様子だったか
      お知らせください。
      (shin)

  6. あおやぎさま
    コメントありがとうございました。
    『The Dream of the Swan』は確かに素敵なクリスマスプレゼントですね♪
    うれしいです。

    平原慎太郎作品「ちのはて」は、私も「よるのち」繋がりかなと思いました。
    ご紹介ありがとうございました。
    元Noismメンバーの公演をいろいろご紹介したいのはやまやまですが、平原さんや宮河さんは、公演数が多くて紹介しきれません。
    基本的に新潟で開催する公演をご紹介しています。
    高原伸子さんの公演は中川賢さんが出演するのでご紹介しました。
    とは言え、1月の東京のピンクドクロ公演はご紹介したいと思っています。
    でもこれが、Noism2公演とほぼ重なっているんですよね。悩ましいです。
    (fullmoon)

    1. セッションハウスに行ってきました。平原慎太郎作品「ちのはて」ですが、事前告知には前述のような惹句があったにもかかわらず、当日配布されたプログラムには「(19世紀におけるステラオルゴールの存在=) 天文学と音楽の共存。音楽を宇宙に捉え奏でた時代を、過去とするか未来とするか。科学的好奇心=知性は音楽や詩の側にあるべきなのだとする時代のはて。」(括弧内は略記) などとまったく別の文言が書かれていました。上演された作品も弦楽器とピアノのソナタを音として、女性二人と男性一人 (元Noism1の佐藤琢哉氏) が互いの関係性の存在を示しつつも互いに無関心・無関係でいようとする現代の社会状況のようなものを示し、冒頭ではダンスの意味に抗ってダンサーは「動き」ではなくオブジェ的に回転するだけの様相を示すと言った、まったく別個のものでした。
      アフタートークでは「二週間程度で一から創った」とか言う話でしたので、事前告知の惹句と作品タイトルは、中身が決まらないうちに適当につけたものと思われます。佐藤氏は Noism1 を離れて実に自然体で、普通に「良いダンサー」でした。

      Dror Lieberman と塩野入一代の「Take Down」は、かつてさいたま芸術劇場で上演されたヤン・ファーブルの「主役の男が女であるとき」の組み立てとまったく同じ。女性が一人で特出しストリップをするか、男女ペアでセミヌードのプロレスをやるかと言うだけの違いでした。ダンスと他分野とのフリンジ領域を追求することと、プロレス同様の疑似暴力が娯楽としてどこまで受け入れられるかを探ろうとする実験作品と言った趣でした。
      まったく個人的には、お客に見せるための一定水準以上の身体とお客に見せるための一定水準以上の動きをもってして行われることならば、「ダンス」の名の下に何やろうが構わないし、劇場空間であれば何やっても許されるべきだと思います。そうした「前衛」の存在なくしてダンスの発展はないですし。私としては「もっとやれ」と思いますが、お行儀を重視する方だと、異議はあるでしょうね。

  7. あおやぎ さま
    ご報告、有難うございました。
    『ちのはて』、なにやら難しいコンセプトが示されてますね。
    『よるのち』との繋がりがあってもなくても、
    平原さん、とても多作な側面を示していますね。
    また、佐藤琢哉さんが好演とのこと、
    また観てみたいです。
    更に、舞踊が持つべき懐の深さ、幅の広さに関しては、
    あおやぎさんのご意見が全てですね。
    劇場で舞踊を観ることで、ハッとしたいものです。
    どうも有難うございました。
    (shin)

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