Noism1公演、26日(金)開幕! サポーターズ会報31号、さわさわ会会報誌vol.4、会員に発送しました!

いよいよ初日目前となりました!
ますます期待が膨らみます!!

公演に先がけて、Noismサポーターズ会報とさわさわ会会報誌を会員の皆様にお送りしました。

サポーターズ会報内容
・インタビュー:金森穣、井関佐和子、山田勇気、Noism1メンバー、そして平原慎太郎
・メンバーリレーエッセイ:浅海侑加
・批評:『マッチ売りの話』+『passacaglia』山野博大(舞踊評論家)、他
・会員の公演感想、他

さわさわ会会報誌内容
・写真と佐和子さんの文章による、井関佐和子原寸の魅力
・佐和子さんが出演した公演の写真と本人ご感想

Noism1公演ご鑑賞の方には新潟・埼玉とも、もれなく2誌が付いてきます!
どうぞお楽しみに♪
(でも、会員になっていち早くご入手くださいね)

公演について、ネット等で見たり聞いたりするだけではなく、舞台芸術の魅力は足を運んでこそ。
ぜひご来場ください♪

さて、NoismサポーターズUnofficial事務局では、会員の皆様に公演ご感想やNoismへの応援メッセージをお寄せくださるようお願いしています。
ご感想等は800字以内で、公演後なるべくお早めに事務局宛にメール送信していただけるとありがたいです。

文字数や締切について会員周知していなかったので、今回編集に間に合わず、長文(1,924字)のご感想をくださった会員さんがいました。申し訳ありませんでした。

会報31号には掲載できなかったので、当ブログでご紹介させていただきます。
Noism2公演、『マッチ売りの話』+『passacaglia』、山田勇気作品について書かれています。

金森山田/金森金森

十二月にNoism2のダブルビルを観た。『火の鳥』と『ÉTUDE』。一月にはNoism1を観た。『マッチ売りの話』+『passacaglia』。1の公演で感動したのは久しぶりのことだった。二月にもう一度、劇場に足を運んでしまったくらいだった。1はいつも遠くを見つめている。われわれ新潟市民の遥か頭上を越え、遠い世界に向けてメッセージを投げかけている。そんな印象をずっと抱いていた。金森作品にいつも含まれている鋭い批評性。今回の公演では、それが直球で胸に飛び込んでくるような感じがした。バシッと来た。『マッチ売りの話』で描かれた暴力と貧困、そしてその連鎖。不条理。それは絵本の中のお話ではないし、どこか遠い世界の話でも、過去の出来事でもない。それは私たちの身近な日常生活の中に雌伏している。今は目立たないかもしれないが、深く根を張り、地表を割って勢いよく育とうとしている。そう感じられるからこそ、なのかもしれない。
『マッチ売りの話』が具体的だとしたら、『passacaglia』は抽象的で分かりにくい作品だった。しかしこちらのほうが、金森氏の本性に近い感じはした。男と女、生殖とテクノロジー。SFみたいな作品だった。未来を描いているはずのSFが、物語としては神話に、テクノロジーとしては太古の身体感覚に繋がる、ということはよくある。サイエンス・フィクションは抽象度を増していき、スペキュレイティヴ・フィクション(思弁的小説)に至る。音楽を担当した福島氏による楽曲解説を読むと、そこにはひどく具体的な内容が簡潔に書かれている、ということは分かるのに、さっぱり何が書かれているのか分からない、という複雑な事態に陥る。ひどく面白い。
しかし、今回の舞台に重層的な意味合いがあるとして(当初はダブルビルとして構想されていた)、それでも作品として印象に残るのはやはり『マッチ売りの話』のほうだ。鑑賞中は気が付かなかったのだが、ふたつの作品を繋ぐ「雪」というキーワードがもっと掘り下げられていたら、また違う感じ方をしたかもしれない。
 2の公演はいつもジュブナイル。フレッシュで、不安定で、どこか卒業式のような雰囲気が漂っている。それは2のメンバーがまだ若く、表現者として未だ何者でもないからなのかもしれない。また実際にその公演を最後に、2を飛び出していくメンバーがいるからなのかもしれない。1と2との違いは何だろう。1の舞台からは強烈な作家性が感じられる。2では時として作品よりも、出演者個人の抱えているものに目が行ってしまう。金森作品『火の鳥』においてもそうだった。死と再生、少年と通過儀礼。寓話的でとても分かりやすい作品だった。少年は少年らしく、そして人外のものは、まさにそのような動きで見事に表現がされていた。しかしそれでも、その役柄や物語よりも、出演者の中にある「揺らぎ」のようなものに魅かれてしまう自分が居た。
 『ÉTUDE』習作、練習曲、山田作品。くっきりとした印象の『火の鳥』に対して、『ÉTUDE』には取り付く島がなかった。どこかのバレエ教室の、毎日の練習風景のような場面が続いていた。レッスンバーにスタンドミラー、アップライトのピアノ。パンフレットの覚書では、「稽古」の「稽」という漢字について解説がなされていた。だから何だと思った。退屈だった。
しかし突然、世界はその姿を変容させる。宇宙にリンゴが出現する。コペルニクス的転回が起こる。ニュートンは落下するリンゴを見て万有引力の法則を思いついた。バレエ教室の床には死体が転がっている。毒リンゴを齧ったのだろうか。殺したのは誰? 生徒たちは互いに犯人探しを始める。疑心暗鬼に目を覆われ、闇雲に憎しみをぶつけ合う。でもそもそも、殺されたのは誰? 壁際に並べられた照明のライトが、今は蝋燭の炎のように揺れている。それはこの現象が、儀式殺人であったことを暗示している。「稽」=「禾」+「尤」+「旨」。聖所での生け贄の儀式。殺されたのは人ではなく、踊りであったのか。
無音の中、舞台はやがて、弔いの儀式へと移行する。アップライトの棺と共に進む葬列。死者と共にゆっくりと前を見据え歩く参列者たち。ただ歩く、花を手向ける、そういった日常的な動作がただただ美しい。いわゆる踊り的な動きではなくとも、世界は美しい、人の身体は美しい、動くことは美しい。シンプルな答えが導き出される。ニュートンは落下するリンゴを見て万有引力の法則を思いついた、わけではないらしい。アリストテレスの昔から、物体が地球に引きつけられる現象や、天体の楕円運動についての考察はされてきた。変わったのは世界ではない。世界の見方が変わったのだ。
次のダブルビル公演では、いよいよ山田作品が、Noism1のメンバーによって上演される。楽しみにしています。   松浦武利(新潟市)

どうもありがとうございました。

『Painted Desert』そして『Liebestodー愛の死』、楽しみです!!

(fullmoon)

「Noism1公演、26日(金)開幕! サポーターズ会報31号、さわさわ会会報誌vol.4、会員に発送しました!」への7件のフィードバック

  1. fullmoon さま
    前日のサポーターズ(Unofficial)会報に続き、
    昨日は、表紙中央に1文字流れるような書体で綴られた『さ』が印象的な
    「さわさわ会」会報vol.4が届きました。
    写真も文もホントに素敵で、見とれてページを繰りました。

    怒涛のメディアリリースを経て、
    明日に迫った公演初日へと向かう気持ちの昂りがますます募ります。
    今日1日は「そわそわ会」或いは「いよいよ会」絶賛開催中です。(笑) (shin)

    1. shinさま
      コメントありがとうございました!
      会報2誌、無事届いてよかったです♪

      メディア情報凄いですね!
      「広報が弱いとは言わせない」、という気迫が漲っています。

      いよいよ明日ですね。「そわそわ会」、「いよいよ会」、「ドキドキ会」、参加しています。絶賛会員募集中!(笑)
      (fullmoon)

  2. > 1の公演で感動したのは久しぶりのことだった。
    実に正直な方だ。私も同感です。私の場合は「ASU」以来でしたね。

    1. あおやぎ さま
      昨日はお話しできて嬉しかったです。
      金森作品も山田作品も、どちらも良かったですね。
      埼玉へも行かれるとのこと、私は新潟3日間ですので、
      作品がどう変貌するかにとても興味があります。
      よろしければ、コメント等にてお知らせ頂けましたら
      幸甚です。 (shin)

      1. こちらこそ独特な文章をお書きになる文筆家に初めてお目にかかれて光栄です。
        Painted Desert の盲目のパ・ド・ドゥが上演を重ねるうちにどう変わって行くのか興味津々。私にしては珍しく埼玉にも行こうかと思ったんですが、来週末かと思っていたら今週末。残念ながら無理そうです。

        1. あおやぎさま
          コメントありがとうございました。
          埼玉でもお会いできると思っていたのに残念です。
          もしご都合がつきましたらどうぞお運びください。
          (fullmoon)

        2. あおやぎ さま
          埼玉、難しそうとのこと、残念ですね。
          我が家も、家族は行くことにしましたが、私は仕事。(涙)

          今回、2作品のなかで、
          一番変容の可能性を秘めているのは、確かにあのパ・ド・ドゥですよね。

          池ヶ谷さんと中川さんが、
          その身体に異様なまでに張り詰めた緊張感を纏って絡み合う様子は
          一回一回が再現不可能性の極みであり、
          作品の流れに乗りながらも、強烈な異物感を放って、
          ある意味、作品全体から突出し、屹立する名場面ですよね。
          それはまた、一種官能的でさえあり、
          観ているだけで鳥肌が立ち、胸がざわつきます。
          何度も観て、その都度、その「一回性」を眼で受け止め、
          髄まで味わい尽くしたいという思いは私も同じです。

          残念ながら、今回、「無理」が「可能」になることは
          私の身の上には起こり得ませんが、
          あおやぎさんにそうした僥倖が訪れるのを
          新潟の地からお祈りしています。
          私は8月11日の富山・高周波文化ホールでの
          『Painted Desert』を検討することにします。 (shin)

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