クライマックス3公演 始まりました!

いよいよラスト、週末3公演となりました!
昨日24日(金)、プレミアムフライデーの公演もますます冴え渡り、素晴らしかったです!

アフタートークでの質問も多く、振付の変更点、作品中で音楽が交互に入れ替わることと身体性について、弟役はなぜふたごなのか、疑問符の相関性について、楽曲「マッチ売りの少女 受難曲」中の「ペイシェンス」の意味(直訳としては「忍耐」)、などなど盛り上がりました。

公演は残り今日、明日の2日間。
当日券は少なそうですが、どうぞお見逃しなく。
(fullmoon)

「クライマックス3公演 始まりました!」への3件のフィードバック

  1. fullmoon さま
    おっと、「patience」の意味についてのやりとりがあったのですね。聞きたかったですねぇ。
    興味あります。今度、その辺教えて下さい。
    そして、ずっとずっと、今回は公演回数が多いと思ってきたのに、
    もうあと1日を残すのみとなってしまいましたね。
    早くも寂しい気持ちも湧いてきますが、明日の公演を網膜に焼き付けたいと思ってます。
    でなきゃ、ルーマニアへ行くしかなくなってしまいますから。(笑) 絶対に行けないし。 (shin)

    1. shinさん、コメントありがとうございました!
      「忍耐」についてですが、少女に忍耐を強いる、少女の受難という意味がもちろんありますが、「信仰には忍耐が必要」、というか、作品内容から離れるかもしれませんが、自分が信じることを貫くには耐え忍ばなければならないこともあるというようなお話でした。
      少女は何を信じていたのでしょうね。
      少女に救いがあるとすれば「信仰しかない」と別の日のアフタートークで話されていましたが、そもそも『マッチ売りの話』は、「救いはない」というのが前提ですから、死こそが救いであったりするわけで、「死んでしまってかわいそう」ともいえますが、「何がかわいそうなことなのか」(これも別の日のアフタートークでのお話)考えさせられます。
      アンデルセン童話ではマッチの火が灯っている間だけ幸せな幻影が見られて、亡くなった優しいおばあさまが迎えに来るのですから、天に召されて幸せだったのかもしれませんね。
      Noismマッチ売りでは、そのあと少女の衝撃的パラレルワールドが控えていますが、それもある種の「信仰」の為せること。
      近代童話劇シリーズって、ほんと怖いですね。

      あと、昨日のアフタートークでは中間の舞台転換についての質問もありました。
      1月のアフタートークで高校ダンス部の生徒が「舞台転換を見せている意味はなんですか」という質問をした時、金森さんは「世の中すべてハリボテということです」と応えたので、え~っと思いましたが、今回も言い方は違えど「張りぼて」という言葉もありましたし同じような内容でした。
      ただ、「淡々と片付けている前で精霊が踊っている」というキーワードがありました。
      虚構だらけの世の中から、精霊に導かれて第2部に移っていくということでしょうか??

      今日のアフタートークでは、第2部について、カウントはしないで、他の人の動きに連動して踊っている部分があり、そういう意味で二度と同じ動きはできないというお話がありましたね。
      そんなことをしていたのかと、コンタクトの力にびっくりしました。

      明日が最後の公演。
      私はルーマニアに行きますが、1回多く観るだけで、何事にも最後はあります。
      それに、明日こそが最後らしい公演になるのではないでしょうか。
      後悔のないよう体調を整えて、たっぷりと堪能いたしましょう。
      (fullmoon)

  2. fullmoon さま
    丁寧なご回答有難うございました。
    「張りぼての虚構からの精霊の導き」、なるほどです。

    第2部、ヒトは自らの人生を「解釈」し、「意味」を求めつつ生きる業を背負う点で、
    他のあらゆる動物と一線を画する生き物であり、
    その「解釈」や「意味」の最たるものが、信仰であり、科学です。
    本作に近付けて言い換えるなら、
    条理を欠いた一切の現実を「張りぼて」に過ぎない虚構と見て、
    そこに内在するプラトン的イデア(「真の姿」)を追い求めようとする態度の現れとしての、
    信仰であり、科学です。

    マルクスが「宗教」を評した言葉を援用するなら、
    「信仰」には、前作『ラ・バヤデール』でバートルを捉えた「阿片」に似た幸福感が宿るとして、
    もう一方、福島さんの音楽パートにおいて、
    微分し、腑分けしていく科学的アプローチは一見幸福そうには映りません。
    しかし、それでもなお、精霊の導きで現実を離れられたのだとしたら、…。
    或いは、そこに幸福はないと知りながらも、「意味」を探り、微分しないではいられない性(さが)を背負うヒトという生き物として、歩み続ける他ないのだとしたら、…。
    耽溺、或いは沈潜、それは「宿痾」にして「救い」ならずや。

    第1部と見事に繋がっているように見えてきました。
    う~む、唸ります。深いなぁ、と。千秋楽の舞台がますます楽しみになりました。
    折からの村上春樹がもたらす寝不足を払拭して、ラストの公演に臨みたいと思います。
    どうも有難うございました。m(__)m (shin)

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