大学生たちが見たNoism『境界』③(公演感想)

様々な境界

はじめに
 「境界」はあらゆるところに存在する。今回 Noism の『境界』という作品を鑑賞してそれを多くの場面で感じた。ダンサーの踊りはもちろん、照明や様々な舞台装置を駆使した素晴らしい演出。それらから表される物語性や演出家の意図に注目していく。

第一章
 まず山田うんさん振り付けの『Endless Opening』についてだ。最初に目に入ったのはひらひらとした花びらのようにも鳥の羽のようにも見える衣装。衣装はピンクや水色など、淡い色が多く使われており、女性らしいという固定概念に当てはまるようなものだった。その中で男性ダンサーも女性と共に踊っており、女性と全く同じ衣装を着ていたのが印象に残っている。男性らしさと女性らしさの概念をはっきりと分けないジェンダーレスという現代だからこその衣装構成だと感じた。ダンサーそれぞれが優雅ながらもパワフルに動き、唯一無二のダンスを生み出していた。
 最も興味深く感じたのが作品の後半、自らのひらひらした袖を外し、ベッドのようなものに置いて舞台に下がってくる幕の中へと消えていくシーンだ。舞台上にいるダンサーではなく、背景に映し出される影に自然と目がいってしまうような演出と無音の中でダンサーが後ろに向かって歩いていくシーンは、特に凄い技術を見ているわけではないのに見入ってしまった。自ら取った袖をどこかに置いてきたダンサー達は弾けるように踊る。そこに幕という物理的な境界によって生と死の見えない境界線が描かれていると感じた。

第二章
 次に観劇した金森穣振さん振り付けの『Near Far Here』は言葉にするのは難しく、とても神秘的な作品だ。Noismはたとえ何もない空間だとしても、場面展開が早く、ダンサーの技術と共に、見ていて目が離せなくなってしまうのが一つの特徴だと思う。今回の作品もシンプルな額縁やスクリーンがあるだけなのに、そこで繰り広げられる沢山の物語が次々と見えてくる。そんな洗練されたこの作品には様々な境界が存在する。私には本物と偽りの境界、またどこからが境界かが段々とわからなくなっていく不思議さを作品の中に感じた。例えば、スクリーンに映し出された三人のダンサーとそのスクリーンの前で踊るもう一組の三人のダンサー。言い換えれば、実際にそこにいる本物とスクリーンの向こう側にいるように見える偽り。最初は互いに違う動きをしているのだが、段々と動きがリンクしていき、しまいには一人がスクリーンの中に入ってしまう。そこにスクリーンを挟んだ一つの境界があると感じた。最も印象的だったのはラストだ。舞台一面に真っ赤な花が散りばめられていた演出だった。美しさに見惚れていると、観客席にも赤い花が降ってきた。舞台と客席の間にも一つの境界があると考えると、花が降ってくる光景はまるで客席も舞台と化しているようだった。だからこの境界がなくなったとき、私は何か大きな境界がなくなった気がして不思議さを覚えた。またダンサーが舞台から降ってくる花に驚いている私たちをただ立ち尽くして見るというのも面白い光景だった。ダンサーと同じ空気を吸い、同じ空間にいることを自覚させられたような感覚だった。

まとめ
 今回初めてNoismの作品を生で観劇して、固定概念に囚われない演出が凄く新鮮で、自分にとって参考になった。一つの小物や小さな動き、衣装が少し変わるだけで、そこから多くの物語が始まっていくのを目の当たりにし、表現の可能性は無限だと感じた。

(三田ひかる)

「大学生たちが見たNoism『境界』③(公演感想)」への1件のフィードバック

  1. 三田ひかるさん
    有難うございました。
    文中で三田さんが「特に凄い技術を見ているわけではないのに見入ってしまった」とした「無音の中でダンサーが後ろに向かって歩いていくシーン」ですが、そこは山田うんさんが拘ったシーンでもありました。公演を間近に控えた活動支援会員対象公開リハーサル(2021/12/11)の折、それまで「18歩」と指定されていた歩数が、2歩削減の「16歩」とされるなりゆきを目撃することになったのです。(で、その日は、最後の最後まで決めかねている様子でしたが、公演時には「16歩」が採用されていたように見ました。)加えて、山田さんからダンサーには、歩く際、「足底筋(=土踏まずの筋肉)で吸収」するよう指示が飛び、動きのブラッシュアップが求められていたことも付け加えておきます。三田さんの目が反応した裏にはそうした拘りがあったのです。また、三田さんが「あらゆるところに存在する」と書いた「境界」は、してみると、当然、「リハーサル」と「本番」の間にもひとつ見つかることになるのでしょう。クリエイションの過程とその結実としての作品、Noism Company Niigataに関するなら、公開リハーサルを観るチャンスもあるなど、多様な見方が楽しめる舞踊団です。
     観客は無限の可能性のなかから、ある「視座」をとって作品に向かうことになるのであり、その「視座」が見詰める目に何を立ち上げてくるのか、舞台が与えてくれるその汲めども尽きせぬ筈の醍醐味に目一杯浸るためには、一人ひとり、様々なものに対して虚心坦懐に反応し得る「見巧者」であることが大切なんですね。そんなことを感じました。
    (shin)

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