穂の国とよはし芸術劇場PLATへいきました♪(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@穂の国とよはし芸術劇場PLAT)

2020年12月12日(土)、Noism Company Niigata「春の祭典/FratresⅢ」を観に、穂の国とよはし芸術劇場PLATへ行きました。

豊橋駅から見た
「とよはし芸術劇場PLAT」。
駅から専用通路で直結しています。

豊橋は「愛・地球博」の際に乗り換えで駅を利用しただけで、街を訪れるのは初めてです。また、とよはし芸術劇場PLATについては、知り合いがこの劇場の特色でもあるアーティスト・イン・レジデンスで滞在制作活動をしたことがあり、「劇場スタッフが親切で市民とも交流できて良い環境だった」という話を聞いて、いつか来てみたいと思っていました。

豊橋には路面電車(豊橋鉄道)が走っています。

劇場に到着すると、地元の方に混じり、東京や新潟でよくお見かけする方々もいらっしゃいます。また、りゅーとぴあの仁多見支配人もロビーでにこやかに応対されていました。

とよはし芸術劇場PLATの主ホールは客席が傾斜に配置され舞台との距離が近く、舞台の高さがあまり高くない(椅子の座面の高さ程度)のが特徴と思います。それと客席がコンパクトな割に天井が高いです。ダンスや演劇にとても良い環境のように感じました。

当日のタイムスケジュール。

各演目の印象を簡単に述べます。「Adagio Assai」は、照明の効果で、井関さん山田さんの舞踊がより際立ってみえました。8月のプレビュー、9月のサラダ音楽祭と3回目の鑑賞ですが、よくよくみるとお二人の踊りはなかなか噛み合わず(もちろん意図的)、ただ別れのストーリーという受け取りではすまないようです。

「FratresⅢ」は「Adagio Assai」の暗転から続けて上演されました。中央でもがき苦しむ金森さんと、高い緊張状態が伝わる群舞。観る方も緊張感MAXのところで「※」が落ちてきます。これには毎回はっとさせられます。先日観たベジャール「M」の大量の桜吹雪が落ちて散るシーンが蘇り、あの時も同様の衝撃・感動でした。そしてふと思ったのが、サラダ音楽祭での「FratresⅢ」の名演は、都響との共演もさることながら、「※」の演出がない分、通常よりも出し気味にしていたのかな、と。

「春の祭典」は8月のプレビュー公演で観た際は全容が把握できず(いろいろ見落としているのでは)と思いましたが、再び観ることで前より深く感じることができました。数ある「春の祭典」の中でも、生け贄を選ぶ(というか押しつける)過程が陰湿で、いじめ問題のように、弱者をターゲットにすることで自分を守ろうとする希薄な集団性を思います。今回は新メンバーも加わり、この難曲を見事に演じていて素晴らしかったです。(準メンバーの樋浦さんが出演されていなかったのは残念でした。)

終演後は、会場中、大きな拍手でダンサーをたたえます。止まないカーテンコールにこたえ、客席から金森さんが登場しました。金森さんの着ているTシャツの背中にはかわいいイラストが描かれていました!(金森さんと井関さんでしょうか?)

終演後はすっかり暗くなっていました。
駅前にきれいなイルミネーションが!

「集団性」の難しさ、尊さ、危うさ、といったテーマが込められた今回のプレビュー公演。本公演ではどのように変化するのでしょうか(演る方も観る方も)。とても楽しみです。

(かずぼ)

揮発しゆく『春の祭典』(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』プレビュー公演(@りゅーとぴあ)

Noism Company Niigataの作品を見る時、今日的な状況に照応させて観てしまいがちなのは何故だろう。 公共空間でしか目にしないような長い椅子は白く、一人掛けの椅子の連結により作られていた。所在なさそうに、しかしそこに座らねばならないかのように一人、また一人と登場する。のっぺりと塗られた白い顔。纏われた白いシャツの身幅は広く、身体のラインを拾わない。膝上まで素足の身体が正面を向いて一列に座ると、没個性化した衣装ゆえに体格差という個性に目が向く。余剰の布は身体に遅延して皺を形成し、時に照明を半透過させた。

このNoism版『春の祭典』は、音の構造から舞踊を作る実験舞踊であり、ひとりの舞踊家がひとつの楽器を担う。しかし楽器の射影に留まらず、音楽と舞踊の相互作用により空間は充溢していく。図形楽譜という記譜法があるが、さらに三次元に拡張したコレオグラフィックノーテーションとも言うべきであろうか。楽譜は椅子の背の5本の線にも象徴されていた。

椅子は一直線に置かれて境界を成し、またランダムに置かれ、積み上げれられ、檻になり、円陣を形づくった。分断は随所にあり、翳りがちな表情の群衆の畏怖や脅威はざわめき、エコーチェンバー的に増幅していくようだった。奥から射す光に導かれる者、そうでない者。おそるおそる踏み出した者もあった。間断のない収縮と弛緩がなす震え、硬直的な身体、開かれたままの手のひらは不安な情動を接ぎ木したようでもあった。

『春の祭典』
撮影:村井勇

自己省察的表現は抑制的なトーンをもたらし、だが突如として野性的なものにも変容する。変容は不意に訪れ、揮発する。それは我々の裡にもあるものだ。舞踊は時間軸をもった揮発性芸術であり、それゆえいつかの私の感情をなぞるのかもしれない。『春の祭典』は美しさと、現在のアクチュアリティに満ちた刺激的な作品だった。

(のい)

「ランチのNoism」#8:チャーリー・リャンさんの巻

メール取材日:2020/11/14(Sat.)

今年もメンバーの入れ替わりを経たNoism Company Niigata。「ランチのNoism」は今回が第8回目。チャーリー・リャンさんのランチをお送りします。先の映像舞踊『BOLERO 2020』では隣の井関さんの部屋への「闖入」の顛末もコミカルなチャーリーさん。思い起こせば、実験舞踊『R.O.O.M.』での「軟体」を駆使したモジモジも同じような味わいだったなと。そんなチャーリーさんのランチ、ではでは拝見といきますか。

♫ふぁいてぃん・ぴーす・あん・ろけんろぉぉぉ…♪

りゅーとぴあ・スタジオBに昼がきた♪「ランチのNoism」!

*まずはランチのお写真から

大公開、ど~ん!
う~ん、おいしそう♪

1 今日のランチを簡単に説明してください。

 チャーリーさん「鶏肉、ごはん、野菜入りの味噌汁、それに温泉卵です」

 *これはまたえらくそそられるランチですねぇ。お腹が減っているときに見たりすると、もう「めしテロ」間違いなしの画像かと!

2 誰が作りましたか。or 主にどこで買ってくるのですか。

 チャーリーさん「スーパーマーケットで購入します」

 *で、そのスーパーマーケットについてお訊ねしましたところ…

 チャーリーさん「お気に入りのスーパーはお弁当の種類が豊富なイオン。でも、家から遠いので、いつもはイトーヨーカドーに行きます。それも大体、夕方の6時~7時くらいに。値引き価格で買えるからです」

 *出ました、イトーヨーカドー!そしてお得な「お値引き時間帯」の利用!これはもう「Noismメンバー的生活様式」としてすっかりお馴染みですよね。(笑)賢い消費者になることって大事なことです、うん。(再認識致しました。)

こちらは別日のランチ(11/20)♪
鶏肉、温泉卵、ごはんと
この日はクラムチャウダー。
それにしても、いい表情です♪♪

 *とろけるようなチャーリーさんの表情に目は惹き付けられますが、脇に置かれたプラケースに貼られた「赤札」も見逃せませんね。これぞ、「最強」イトーヨーカドーを物語るものでしょう。(笑)

3 ランチでいつも重視しているのはどんなことですか。

 チャーリーさん「毎日の昼食では、たんぱく質が最も重要と考えています。たんぱく質は筋肉の回復に役立つからです」

 *チャーリーさんも、空腹を満たすだけではなく、考えて食べておられるのですね

4 「これだけは外せない」というこだわりの品はありますか。

 チャーリーさん「肉、野菜、ごはんに卵です。特にランチに関しては、バランスを心掛けています」

5 毎日、ランチで食べるものは大体決まっている方ですか。 それとも毎日変えようと考える方ですか。

 チャーリーさん「時に食べる肉を変えたりします。鶏肉だけでなく、牛肉や魚なんかも食べたりしますね」

 *ランチで食べるものはほぼ固定されている感じですかね。で、画像とコメントから好物は鶏肉とお見受けしましたよ、チャーリーさん。

6 公演がある時とない時ではランチの内容を変えますか。どう変えますか。

 チャーリーさん「公演がある日には、いつもより少なめに食べます。例えば、おにぎりふたつと味噌汁とかみたいな。舞台に立つには食べ過ぎるべきではないと思うからです」

 *この言葉から映画『蒲田行進曲』のヤス(平田満)の台詞を思い出しました、って古いか?(汗)ところで、おにぎりですけど、チャーリーさんのお好みは、鮭、エビマヨネーズ、豚がベスト3とのことで、割とヘビー系。身体、使いますもんね。うんうん、納得。

7 いつもどなたと一緒に食べていますか。

 チャーリーさん「ジョフ(=ジョフォア・ポプラヴスキーさん)と一緒ですね。いつも彼と一緒に食べています」

 *おっ、ジョフと一緒となると、セブンイレブンのゆで卵推しのジョフと好きな「卵」論争とかになっちゃったりして…。(笑)

8 主にどんなことを話しながら食べていますか。

 チャーリーさん「実際のところ、食べているときには話したりしません。子ども時分に両親から、『食らうには語らず』と教わったことによります。…Youtubeを見続けていたりはするのですが」

 *でも、もしかしたら、今ならご両親から『食らうなら見ず』って言われるかも知れませんよ、チャーリーさん。そんな家庭も多い筈。

9 おかずの交換などしたりすることはありますか。誰とどんなものを交換しますか。

 チャーリーさん「時々、ジョフとクッキーやらプロテインバーやらを交換したりしてます。また、時に、チキンスープとか餃子を作ったりした際には、絢美(=鳥羽絢美さん)に分けたりすることもあります」

 *そのあたり、お訊きしましたよ。よく口にされるのは、クッキーならバタークッキー、プロテインバーに関しては、ダーク・チョコレート味なのだそう。それから、「スイーツを食べるのは好きだけれど、甘過ぎるのはちょっと…」(チャーリーさん)ってことでした。スリムですもんね、チャーリーさん。

10 いつもおいしそうなお弁当を作ってくるのは誰ですか。 料理上手だと思うメンバーすか。

 チャーリーさん「みんな、料理は上手ですね!私たちはみんな一人暮らしをしているので、料理の腕前は大切なんです。そんな事情から、みんなが自分にとって最高の料理人になるんですね」

 *な~るほど、なるほど。道理ですよね。うん、うん。大きく頷いてしまいました。

ってところで、今回のチャーリーさんのランチ、おしまいです。どうもご馳走様でした。最後にチャーリーさんからのメッセージをお読みください。

■サポーターズの皆様へのメッセージ

「いつも支えて下さり、有難うございます。皆さんのサポートが私たちにとって向上の動機になっています。皆さんにより良いパフォーマンスをお届けしたいと思っています」

時はまさしく、金森さんと森さんによる「Duplex Noism0 / Noism1」のチケット好評発売中。届けられるパフォーマンスをワクワク心待ちにする今日この頃ですね。

それでは今回はここまで。お相手はshinでした。

(日本語訳+構成:shin)

インスタライブvol.10「40代舞踊家として生きる」←「佐和さん、俺たち中年でっせ」(穣さん)

2020年11月16日(月)、穣さんと佐和子さんのインスタライブは10回目を数えました。この日のテーマは「40代舞踊家として生きる」。おけさ柿をつまみながらのお二人の寛いだトークを楽しく聴きました。アーカイヴも残されていますが、今回もこちらで概略のご紹介をさせていただきます。

40代舞踊家のお二人: 6歳で踊り始め、週末に46歳になる穣さんは、舞踊家人生40周年。3歳で踊り始めた佐和子さんも来年、40周年。大人の階段を上っている感じ。30代は若かった。苦しかった。40代がこんなに楽しいとは。様々な言葉がリアリティをもって、身に沁みるようになった。40代に入って始めて気付くことが多過ぎる。「毎日、稽古して、実演に向けて向上心を持ち続けていられる者は少ない。気持ちだけでなく、環境面でも」(穣さん)「若い頃はパッと踊れた。今は、準備の動きなど、細かいことを大切にするようになった。飛んだり跳ねたりしていた若い頃には意識がいっていなかった」(穣さん)「飛んだり跳ねたり、やりたい」(佐和子さん)「俺、そこを過ぎたんだよね、もう。俺の方がちょっと先輩だからね」(穣さん)芸事は奥が深い。経験して積み重ねる、終わりがない世界。

若い頃と今(40代): 若い頃の後悔はないというお二人。踊りは確実に上手くなっている。身体の衰えは感じないが、空いた時間(待っている時間)に、「これは40代のせいかなって思う疲れはある。踊っている方が元気。もしかしたらいけるのかもしれないけど、今のことだけじゃなく、控えている本番とか、ちょっと先のことを考えるようにもなっている」(佐和子さん)

30代中盤から後半はしんどかった(佐和子さん); リミットあるんじゃないかと思い、焦っていた。40という区切りまで時間がない感覚。それを抜けて、今は全く焦りはない。

もっと色々経験したい: 新作は雅楽、笙の音で踊る武満徹は人生で初。今からもっとやる。どんなことが出来るか楽しみではあるが、本番までの3ヶ月を捧げると考えると、何でもかんでもではない。

音楽をめぐって: 「ミュージシャンには憧れがある。音楽を自分で奏でられることに、リスペクトと嫉妬がある。『負けないぞ』みたいな気持ちがある。」(穣さん)「作品と作ろうと、音楽と対峙するとき、対決するもんね。私は音を呑み込んでしまうようなタイプの舞踊家」(穣さん)「音楽だけ聴いていれば感動できちゃうもん。要らないんだよ、踊りも、美術も、演出も、照明も。何にも要らない。でも、見えるわけ、そこにあるべき空間とか動きとかが。音楽だけでも満足なのに、そこに敢えて勝負を挑む訳だから、真剣。自分に見えているものの最善のかたちを具現化できなければ適わないから、対決感が出ちゃう」(穣さん)その後、穣さんの「何でも対決するのが好き」には、佐和子さんも同意。

「金森穣50代ブレイク説」: 次の世界が開けそうな気がしている。「大先生」の扉が開くかもしれない。「私も一緒に入っていって」(佐和子さん)

佐和子さんの目標(妄想): 醜くなった姿は見せたくない。練習し続けて、70代くらいで立っているだけで美しくありたい。

長く続けること(佐和子さんの場合): 対極にあるのは「これだ!」の瞬間に引くことだろうが、佐和子さんは大きいことをやってもその直後に「まだ次に」と思うタイプ。「欲深い女なのよ」(佐和子さん)「知ってる」(穣さん)

長く続けること(穣さんの場合): 極論、振付家ゆえに70代でも立てちゃう。自分が出てても出てなくても、「これだ!」っていう作品を作りたい。

欲深いこと: 「というか、単純に好きなんすよね、舞台に立つということとか、この道で日々、自分の身体に向き合うこと、表現についてずっと考えて、悩んで、そのために日常を割いてみたいなことが」(穣さん)「昔は『好き』って言うと格好悪いと思ってたけど、本当に好きなんだと思う」(佐和子さん)「まあ、『好き』って言葉じゃなければ、すごくそれが『大切』なんだと思う。佐和子という生き物にとって。それは俺にとってもそうだけどね。だから、そういうものと出会えて、それでそういうものと向き合う環境がある恵まれた俺たちとしてはもうそこに邁進するしかない」(穣さん)「それはもう捧げる覚悟でいるから」(佐和子さん)「そこで見出したものを皆様にお届けすることで、そのご恩が返せたらという感じだよね」(穣さん)「ホントそうですねぇ」(佐和子さん)

…とまあ、こんなところを取り上げてみました。

途中、幾度か途切れたりした「40代舞踊家トーク」は、ラストに至り、佐和子さんの「ああ、また復活した。また復活した。ハハハ」の言葉を残して、終わりの時間となり、そのまま「復活」を見ずに終了するという意表を突くかたちでのカットアウトとなりました。(笑)

まだまだ、本編にはここで採録していない細部も満載です。是非、アーカイヴでお楽しみください。

(shin)

「潜入レポ」(笑):大汗をかいたものの楽しかった「Noismレパートリー体験(初級)」

前週には数日、冬の前触れを告げる容赦ない冷え込みに襲われたものの、この週末、再び、セーターが不要なくらいの気持ちよい涼しさ加減に戻った新潟市界隈。11月15日(日)16:30。Noism Company Niigataによる「市民のためのオープンクラス」、この日は「Noismレパートリー体験(初級)」が催され、「参加」というより、「潜入」という風情で「体験」して参りました。

「体験」であり、「初級」であったため、蛮勇を奮い起こして申し込みをしたのですが、連れ合い(不参加)曰く、「『初級』といっても、経験者が謙遜してそこに参加するんだよ。よく申し込んだね」と呆れられる始末。何しろ、私、よく足の小指を柱や家具にぶつけているような身体感覚しかもたない身。なかでも、10年ほど前の夏の夜中のことですが、睡眠中に喉の渇きに襲われ、コップ一杯の水を求めて、ガバッと飛び起きてキッチンへ向かう途中、家具に右足の小指を「引っ掛けて」しまい、勢いのついている身体は進む、右足の小指は残るといった具合で、小指と薬指の間が裂けてしまい、あまりの痛みに押し当てた両手が生温かい血で染まり、翌日、4、5針縫ったような経験の持ち主。(今も左足の小指より、右足の小指の方が外側に大きく開くことが出来ます。(汗))

若干怖々、会場のスタジオBに着いてみると、知り合い(久志田さん、モンちゃさん、たーしゃさん)の姿を見掛け、ちょっぴり落ち着きはしましたが、男性参加者は久志田さんと私のみで、見たところ、ダンス経験をお持ちの方が多い様子に、場違いというか、アウェイ感たっぷり。まさに「潜入レポ」の風情で、「ミッション・インポッシブル」の音楽でも聞こえてきそうな心待ちでしたが、同時に、故・植村直己さんの「冒険とは生きて帰ること」の言葉が脳裏に浮かんできて、「ええい、ままよ」とばかり、一番踊れないながら、リタイヤせずに、「90分楽しんでやれ」と開き直って、開始時刻を迎えました。

この日の講師役は今季、Noism2リハーサル監督に就かれた浅海侑加さん。Noism2のメンバーも全員、加わってくれて、ホントに贅沢な時間が始まりました。まずは足裏を合わせて座る姿勢からの呼吸。しっかり時間をかけて行いました。「ゆっくり吐いて、ゆっくり吸って。全身に空気を届ける感じで。段々、身体が温かくなってくるでしょ」(浅海さん)まったく、その通りでした。その後、両肩を回し、前屈をやって、足首を回し、体側を伸ばし、アキレス腱を伸ばして、準備を整えました。

で、浅海さんから告げられたこの日の体験レパートリーは、劇的舞踊『ラ・バヤデール-幻の国』第2幕の「亡霊」の場面。あの幻想的で、優雅で、魅力的な踊り。なんという贅沢!参加者の目は確実に「ハート」型になっていた筈。両掌を身体の前で交差させて、一歩一歩前に出て、パッと横に開くを繰り返すあの動きです。「空気を前に押すようなイメージで」と浅海さん。つま先や踵の伸び具合とか、それ以前に身体をぐらつかせずに足を運ぶこととか、簡単そうに見えて、その実、そんな生やさしいものではありませんでした。何度も繰り返し練習しました。

そして「初級」の「体験」ですから、恐らく、参加者のほとんどが、その動きこそがこの日の中心と勘違いし始めた頃、浅海さんが「ここから踊りに入ります。ちょっと難しいですが」と言い、「ええっ?」と声があがる場面もありました。そうです。緩やかな前進+横への開きから始まり、横にユラユラに至るまでの濃密な約2分間。たうたうように、それでいて淀みなくうつろいゆく一連の動きがこの日の体験内容だった訳で、真似事で終わらない、本気の「体験」機会と言えるでしょう。

まず、全員で浅海さんから振りを細かく切りながら一通り教えて貰ったあと、「情報量が多いので」(浅海さん)と、15名の参加者は、5名ずつ3つのグループに分けられ、順番に2度ずつ、浅海さん、Noism2メンバーと一緒に踊る時間が設けられました。勿論、ひとつのグループが中央の鏡の前で踊っているあいだも、他のグループが脇で一緒に踊って練習している訳です。回転があり、正座姿勢から膝を送り出しての移動があり、手も足も、そして身体の重心の面でも、多種多様、多彩な動きを「体験」させて貰いました。重心の移動がスムーズであることが肝要。そして、身体は動けない方向には絶対に動けないという当たり前の事実。動きの流れをイメージ出来ないなら、もう踊りにはならないことも身をもって再確認したような次第です。私の場合、次はこれ、その次はあれと思い出しながら(ぎこちなく)動く感じに終始し、正直、「音楽を聴き、音楽に合わせて」という段階以前だったのですが、浅海さんはじめ、Noism2メンバーが丁寧に指導してくれたお陰で、自分なりの気付きもありました。

大鏡に映る自身の身体を見てさえ、どこが違っているのか、正確に掴むこともままならない私、身体の隅々まで神経が行き届いている感じから程遠く、全身のイメージを持てない私は、当然に悪戦苦闘。振りを覚えるのも大変でしたし、それを身体を使ってなぞろうとするようなレベルですので、踊りとは別物の、極めて不格好な動きになっていた筈です。汗をかいたのは、身体だけではありませんでした。これまで、小手先だけで小器用に生きようとしてきたんじゃないか、とか。

終始、皆さん、笑顔でしたし、私も例外ではありません。踊りとは無縁できた私が、「『バヤデール』のあの素敵な場面を直接、メンバーから教わって、踊ってみた」と言い得る機会に恵まれたのです。素晴らしい市民還元の機会だと言い切りましょう。金森さん曰く、欧州のカンパニーにも類を見ない「オープンクラス」を実践するNoism Company Niigata。これを「豊か」と言わずして、何と申しましょう。教えて下さった浅海さんはじめNoism2メンバーの皆さん、どうも有難うございました。楽しい90分間でした。

汗だくで帰宅して、すぐにお風呂に入り、湯船につかりながら、あちこち揉んだりしましたが、私の場合、筋肉痛が出てくるのは恐らく明後日くらいかなと思います。身体と心が元気になったように感じるのは気のせいではないでしょう。筋肉痛も身体が喜んでいる証拠かなとも。見た目、優雅にして、動きはハードな場面の実体験。そして感じる、今まで味わったことのない類いの満足感、充実感。90分、1000円は安すぎでしょう。そして、私でもこうして「生還」できたのですから、今回、二の足を踏んで見送ってしまわれた方々、「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損、損」ですよ。次回、是非、是非♪ってところで、今回の決死の「潜入レポ」を締め括りたいと思います。どうもお目汚しでした。

(shin)

「私がダンスを始めた頃」⑮ 中尾洸太

 クラシックバレエを始める前、私は両親がテニスをしていた影響もあり、とても小さいころから週末や休日などを二つ上の兄とともにテニスの練習に励む、そんな幼少期を送っていました。ある日、テニスをするのに体が柔らかいことは怪我の予防にもなるからという理由で、柔軟性の向上を目的に、母の知り合いが教師をしているバレエスタジオに通い始めることになりました。当初は趣味程度、あるいはテニスのためのバレエと考えていましたが、次第に兄がバレエに魅了されていく姿に惹かれ、私も徐々にバレエに魅力を感じるようになっていきました。

 プロになるまでに、私には大きな二つのターニングポイントがありました。最初のターニングポイントは兄の海外留学でした。それまでプロになることはたやすいものではないと思っていましたが、兄の海外留学により“プロのバレエダンサーになる”ということが私の中で現実味を帯びてきました。そして“私もプロになりたい”という意思がより強く芽ばえ、2016年よりドイツに留学することになりました。私のもう一つのターニングポイントはコンテンポラリー・モダンダンスとの出会いでした。留学先の学校で、幸運にも素晴らしい恩師に出会うことができ、その方から共有させていただいたたくさんのインスピレーションやアイデアは、いつも私にとってとても魅力的で、次第に私もコンテンポラリーダンサーになりたいと思うようになりました。

 私がプロになりたいと思ったのは自分の感じ方や考え方など自分にしかないものを舞台の上でアーティストとして表現していきたいと思ったからです。私は振付家になりたいと思っているので、そのためにもさまざまな表現をNoismでも学ぼうと思います。

(なかおこうた・2001年愛媛県生まれ)

インスタライブvol.9は映像舞踊ボレロ裏話♪

2020年10月26日(月)21時、9回目を数える金森さん+井関さんのインスタライブは、10月9日に公開された映像舞踊『BOLERO 2020』の裏話♪なんとも嬉しいじゃあ~りませんか、コレ。おふたりのインスタにアーカイヴが残されています。是非ともご覧頂きたいと存じますが、今回も簡単に概略のご紹介をさせて頂きますので、参考にされてください。

発端: コロナ禍で公演はできないが、メンバーは新潟にいて、「稽古はしてよし」の日々、「このメンバーで何も残せていなかった」思いがあったこと。

今の時代のボレロを作る: 恩師ベジャール版は中心にメロディ(カリスマ、ソロ)を配し、それをリズムが取り囲む構造=極めて20世紀的マスターワーク。同じものを作っても仕方ない。今なら、多視点、同時多発的、個人主義、多様化。

『春の祭典』と共通のコンセプトで創作: ①楽譜の構造の理解、②スコアにのっとった台本作り、③舞踊家に楽器を割り振る。

『ボレロ』の3つの構成: メロディ、Aパターンリズム「メインリズム」、Bパターンリズム「合いの手リズム」(←金森さんの造語)→それら個別バラバラだったものが、やがて同期していく。

使用音源について: アルベール・ヴォルフ(1884-1970)指揮・パリコンセルヴァトワールオーケストラによる1950年代後半のLPレコード。著作権(70年)が切れているもので、演奏が良いものを選んだ。冒頭、登場するターンテーブルはおふたりのご自宅の私物とのこと。

動きのクリエイション: ①テーマ(キーワード)に基づいて、各メンバーに動き(断片・マテリアル)を作って貰う。②それを、金森さんがカウントに落とし込んで、メロディーラインで動きに還元していく。

今回『ボレロ』のキーワード: スコアナンバー1~7「いらいら、もどかしさ、我慢」、スコアナンバー8~11「むらむら、落ち着かなさ、欲望」、スコアナンバー12~15「鍛錬、解放、祈り」、スコアナンバー16,17「憤り、息が出来ない」。→『BOLERO 2020』は井関さんによる「我慢」から始まる。

映像作品を作ることの大変さ: エネルギーや緊張感が変わってしまうのでカットはしたくない。そこで全て一発撮り。SHSの協力を得て、一日での撮影だったため、各自30分以内で撮る必要があった。クリエイションは撮影を入れて2週間、振付も覚え立てほやほや状態で、「試験のようだった」とは井関さん。対して、金森さん、演出振付家としては、当然、最上のものを目指す訳で、「もう一度!」「One more time!」と言わねばならない場面も多く、「残るもの」を作る大変さがあった。

「ボレロ」最終盤の転調: ここではない別の次元にあがる瞬間。それがボレロの肝であり、それを可視化したかった。各自の部屋→舞台へ。非日常への飛躍。一分に満たないながら、生きる証。(…その際の衣裳秘話から続くお話は実際に聞いてのお楽しみ♪)

映像舞踊『BOLERO 2020』と今後: いずれ舞台でもやるつもりだが、それはそれで違う見世物になる。映像としての力や、舞台とは何かを感じることにもなる。一回じゃ見切れない。何度も観て欲しい。

…以上、そんな具合でしたかね。この日は「ショートなんで」(金森さん)と、ほぼ30分きっかりでの終了。しかし、聴いていて興味を惹かれるお話ばかりでしたので、是非、アーカイヴでお楽しみください。

そして聴けば、また観たくなること必定ですよね。ほ~ら、あなたもまた観たくなってきた。我慢は身体に悪いですからね。観たらいいんです、観たら。私も三度目のレンタル期間に入っております。

お粗末様でした。ではでは。

(shin)

「ランチのNoism」#7:林田海里さんの巻

メール取材日:2020/10/13(Tue.)

映像舞踊『BOLERO 2020』も絶賛公開中のNoism Company Niigata。「ランチのNoism」は今回が第7回目。林田海里さんのランチをお送りします。件の映像舞踊ではベッド+毛布での登場にキュンとしたり、「まだまだ寝ていたい朝」に親近感が湧いたりした、そんな林田さん。ランチはどんな感じなのでしょうかね。ではでは、拝見しましょうか。

♫ふぁいてぃん・ぴーす・あん・ろけんろぉぉぉ…♪

りゅーとぴあ・スタジオBのホワイエに昼がきた♪「ランチのNoism」!

*まずはランチのお写真から

新潟市音楽文化会館を背景に
林田さんのランチ

1 今日のランチを簡単に説明してください。

林田さん「納豆、おにぎり、おやつにバナナです。いつも大体これです」

 *窓辺に置かれたこの日のランチは定番の3品。納豆もバナナもNoismではよく見かける品ですが、一日にひとつ(一本)ずつしか食べないそうで、「(男子なのに)主食少なめ!」とか「あれだけ身体を動かすのに足りるの!?」とか心配になっちゃうのは、もう「ランチのNoism」恒例の事態!で、これ見ちゃって、「無駄に食べてるなぁ、私」と反省することになるのもいつものことでして、ハイ。(汗)でも、私、おにぎりは冷やして、難消化性でんぷん(レジスタントスターチ)にして食べることで、血糖値の急激な上昇を抑えるようにしたりとか、ちょっとは気を遣ってるんですけどね、って私の話はいいか。失礼しました。(大汗)m(_ _)m

  …話を林田さんのおにぎりに戻します。好みの具材を訊ねましたところ、「一位は鮭です。写真のは大きい鮭のやつですけど、安い方を買うときの方が多いです。ジャンクな焼肉のやつとか、お稲荷さんも好きです」のお返事でした。

2 誰が作りましたか。普通、作るのにどれくらい時間をかけていますか。(or 主にどこで買ってくるのですか。)

 林田さん「納豆とバナナはイトーヨーカドーで買うので、毎朝おにぎりだけを買いに行ってます。家から一番近いファミマとセブンを気分で使い分けています」

 *林田さんのバナナに関しては、皆さんが上手に活用している「値引き」を待てない事情があるようです。そのあたり、次の質問でわかります。

3 ランチでいつも重視しているのはどんなことですか。

 林田さん「なるべく青いバナナを買うこと。熟れたバナナが好きじゃないので」

 *ええっ?何て言いました!?そんな人、いるんですか?(←かなり失礼)だって、青いバナナって草みたいじゃないですか?(←相当、失礼)「青い果実」って響きにはセクシーなものがありますが、青いバナナとなると、同意しかねますけど…。じゃあ、訊いてみます。「皆さんのなかで青いバナナが好みって方、手を挙げてください」…「ハイ、少数」(←ZOOMでもなし、見える訳ない。ホント、失礼)

  …で、「熟れたバナナ」のどんなところが苦手か、もう少し詳しく伺いました。すると、「茶色い斑点が出てくると、甘い匂いが強くなりますよね…それが苦手です。でも1日1本しか食べないので、一房買うといつも最後の1,2本はカイに食べてもらうという感じになります…」とのお答え。わかるような、わからないような…。でも、カイさんはバナナ買わずに済む感じ?そんなこたぁないか。(笑)

4 「これだけは外せない」というこだわりの品はありますか。

 林田さん「ないです。こだわりはバナナの青さのみ」

 *もうそれだけで充分なこだわりですけど。(笑)

鳥羽さんと一緒に掲げるのは
「OKバナナ」(恐らく)

5 毎日、ランチで食べるものは大体決まっている方ですか。

 林田さん「サンドイッチの気分の時はサンドイッチを食べます」

 *ああ、あるんですね、「サンドイッチ気分」。そんなふうに「の」を省いて書くと、何か村上春樹か俵万智みたいですけど…。コンビニの商品棚の前に立つと、ときどき、他を圧倒する光を発しているかのように見えて、引き寄せられるみたいに手を出しちゃう品ってありますよね。それ、「気分」を反映しているってことなんでしょうね、きっと。

 …で、林田さんに戻りますと、好みのサンドイッチはタマゴサンドなのだそうです。…タマゴサンド♪…「幸福(口福)」を挟んだ「王道」サンドイッチと言えますよね。うん、うん。こちらは同意、激しく同意です。(笑)

6 公演がある時とない時ではランチの内容を変えますか。どう変えますか。

 林田さん「変わりません。しかし先日の洋舞踊協会との合同公演ではお弁当を頂いたので本番前にそれを食べました。美味しかったです。ありがとうございました」 

 *脇目もふらない安定の「定番」ランチなのですね。あっ、それはそうと、拝見しましたよ、洋舞踊協会との合同公演『畦道にて~8つの小品』。そのなかの「Ⅵ.愛や、」、市民との情感たっぷりのコラボ、素敵でした。その際のお弁当に対するお礼の言葉とは、礼儀正しい好青年、素敵です。

7 いつもどなたと一緒に食べていますか。

 林田さん「そのときそこにいる人と一緒に」

 *そうなのですね、構えるところのない自然体。魅力的です、林田さん。

8 主にどんなことを話しながら食べていますか。

 林田さん「もくもくと食べます。そして足を上げて寝ます」

 *どちらも、ランチの前後、舞踊家としての大切な時間(稽古)への配慮から来る、合理的で自然な振る舞いなのでしょうね。足を上げて寝ることには疲労回復効果やリラックス効果などがあると聞きますし。う~む、プロですね。当たり前かもですが。

9 おかずの交換などしたりすることはありますか。

 林田さん「僕的に熟れすぎたバナナはカイがいつももらってくれます」

 *また顔を出した「青いバナナ」問題、って勝手に楽しんじゃってますね、いかん、いかん。(笑)

10 いつもおいしそうなお弁当を作ってくるのは誰ですか。料理上手だと思うメンバーは誰ですか。

 林田さん「カイとスティーヴンはいつも自作のお弁当でえらいなぁと思っています」

 *おっと、ここでも、カイ・トミオカさんとスティーヴン・クィルダンさんのお弁当ですか。前回の井本星那さんも「しっかり作ってきている」って感心していたふたりです。ますます楽しみが膨らみました。

林田海里さんのランチご紹介はここまでですが、林田さんから皆さまへのメッセージがございます。どうぞお読みください。

■サポーターズの皆様へのメッセージ

 「つまらない昼食ですみません。いつも応援して下さってありがとうございます。大変なときですが、こうして新しいシーズンをむかえ、毎日踊り続けられるのも皆様のおかげです。これからも劇場に足を運んで、舞台を観に来て下さい。それに伴う不安が解消される日が早く来ますように。」

メッセージも含めて、どうもご馳走様でした。次回はどなたのランチが登場しますでしょうか。どうぞお楽しみに♪

では、今回はこのへんで。お相手は shin でした。

(shin)

「私がダンスを始めた頃」⑭ 三好綾音

運動会の出し物の「ぶひぶひロックンロール」というダンスを家で30分踊り続ける子だった、通っていた幼稚園でやっていたバレエ教室を毎回部屋の外からじーっと見ていた、そして母自身がバレエダンサーのパトリック・デュポンが大好きだったこともあり、バレエを始めることになりました。

ほとんど同じ時期にピアノを習い始めていたのですが、気に入らないことは一切やらない、好きなときに勝手にレッスンを終わらせるような大変な子供だったと聞いています。

小さい頃も大きくなってからも、よく母と一緒にシルヴィ・ギエムのガラやパリ・オペラ座の来日公演などを観に行きました。何かを観た後にレッスンに行くと、楽しそうに見えるのか、すぐに先生に気づかれたものです。

自分がプロのダンサーを目指して具体的に動き始めたのは高校生3年生になってからです。高校生になって”進路”というものがリアルになった時、一度音楽でもバレエでもなく(この頃はピアノも弾いていて、ミュージカルやオペラの授業をとって歌うこともしていました)、大学で芸術から離れた勉強をする選択をしようとしました。

自分にダンサーになる力はないと思っていましたし、音楽ではほとんどの場合食べていけないと知っていたからです。それが正しいと思いました。両親も、バレエやピアノの先生も、その選択を受け入れてくれました。

しかし、教室とは別に所属していたユースバレエの先生にその事を伝えに行くと、その先生が「今度イギリスのサマースクールに連れていこうと思ってたのになー」と冗談のようにさらっと言ったんです。

私にもそんな事が出来るなら、やらない理由がどこにも見当たらないと思いました。その時はもう既に17歳で、18歳になろうとしていました。

勉強はいつでも出来るけど、踊りは今蓋をしたら一生届かなくなる! 今しかない、そう思ったら、それまで散々進路の話をしてきた先生方や母や色んな大人を驚かせてしまっても、なりふり構う暇はありません。とにかく急がなければと思いました。

望むなら動けばいいんだと気づいたのです。自分が望んだことなら絶対に後悔はしないと。

結局その先生が言っていたサマースクールは書類審査で落とされましたが、すぐに別の学校のサマースクールを探して書類や写真を送って、初めて海外に行きました。

そこからはひたすら前に進み続けて今に至ります。すぐにNoism2に入ることができ、毎日踊りに向き合える環境にいさせてもらえたこと、私の意思を全て尊重し支援してくれる両親であったことが本当に幸運で、進み続ける為には絶対に欠かせませんでした。

踊りが突然上手くはならないので壁は高いですが、挑戦することには躊躇せずにいられるようになりました。

とりあえずやる、反省はするけど後悔はしない。

何か迷ったときは、こう思うことにしています。

(みよしりお・1997年東京都生まれ)

柳都会vol.22 江口歩×金森穣を聴いてきました♪

2020年10月11日(日)16:30~18:00、本来ならほぼ5ヶ月前(5/17)に開催される筈だった「新潟お笑い集団NAMARA」代表・江口歩さんと金森さんによる柳都会が、りゅーとぴあ・能楽堂を会場に無事に開催され、聴いてきました。

おふたりのこれまでの接点ですが、①先ず、Noism初期の頃、江口さんは二度ほどアフタートークの司会をされたことがあったのだそうですが、「下ろされてしまった」と江口さん。

②次いで、『black ice』の頃、江口さんのラジオのゲストとして金森さんに出て貰ったことがあったとのことでしたが、金森さんは記憶になく、地震の影響で、10分間収録されたものの、オンエアされないでしまったのだそうです。

そうした際に江口さんが金森さんに対して抱いた印象は「尖っている」というものだったそうです。

「文化不毛の地」(?)新潟に、それぞれ「日本初」の劇場専属舞踊団と地方都市発のお笑い集団を立ち上げたおふたりは、それぞれのスタンスで、周囲の理解を得ようと格闘してきたおふたりでもあります。今回の柳都会は、主に、金森さんが「お笑い集団NAMARA」と江口さんについて訊ねるかたちで進行しました。

(註)壇上のおふたりから撮影許可あり

足袋を履いて、能楽堂の舞台に進み出ると、まず、江口さん「アウェイ感がビシビシ」と語ることで、笑いが起こり、つかみはオッケイ、そんな滑り出しでした。

「新潟お笑い集団NAMARA」と江口さん(代表取締役社長)

立ち上げは1997年で、今年で23年目。当時の新潟県、自殺率が2年連続で全国ワーストだった頃。それは、①りゅーとぴあオープンの頃であり、「箱もの」は要らないの声があがったり、また、②陸上競技場を舞台に、現在のアルビレックスの前身アルビレオが発足した頃でもあり、サッカーなど根付かないと言われてもいた。「NAMARA」も同様だった。

毎月、ライブをやっても当然、儲からない。「どうやって食っていくか」が問題。だから声がかかると、全部「ハイ、ハイ」と受けていた。しかし、5年間くらい、全員ノーギャラだった。

「欧州帰りの29歳、『お前には居場所はないよ』と否定されているように思い、世の中に対して苛立っていた。尖っていた」(金森さん)「俺も全否定だもん。継続していても評価は上がらなかった」(江口さん)

転機は2002年。商店街、学校、病院、介護施設などから「講師に」と声がかかるようになる。いずれも、「会話がまずいことになっている」と認識。求められているのは、コミュニケーションをとること、繋ぐこと。「通訳」「翻訳」みたいな役回り。

また、「障がい者と健常者、加害者と被害者、自民党と共産党といった両極端の依頼もあった」(江口さん)…その具体例:精神障がい者の自己肯定イベント「病気だヨ!全員集合」、坂井輪中学集団暴行事件被害者の父親が開いたトークイベント、新潟市長選挙に際し、(篠田・前市長を含む)3人の候補者を出走馬に見立てた「市長選ダービー」等々。

スタンスは「面白がったって、いいじゃないか」興味が持てれば、理解のきっかけになる。

実際の仕事内容は知らなかったが、「何でも良いからやってみよう」とみんな受けていて、そうしてやっていくうちに色々学ぶことになった。大層な気持ちでやっていた訳ではなく、「ハイ、ハイ」言ってきたことで、「どっちも肯定しようという態度を覚えた。左翼とも右翼とも付き合う、『なかよく』だね」(江口さん)「うまい!」(金森さん)

それでも、「お前ら、お笑いだろ」と揶揄されたり、「お前ら、何やってるんだ」と不審がられたりしていたことに対して、金森さん「立ち位置がそれまでになかったため、評価のしようもなかった」

時代も変わった

「『社会課題を楽しく』っていうなら、『SDGs(持続可能な開発目標)』と言うと説明が楽で、使うことも。デジタル化の加速で、異業種の繋がり、業態の変化も進む今、立ち上げ当初の頃と同じような気分を楽しんでいる」(江口さん)

「『NAMARA』はみんなバラバラ。好きなことをするのが『NAMARA』と言ってきた。保育士芸人や銭湯大使なんてのもいる」(江口さん)「つかみどころのないグループ。新しく人を入れる基準は?」(金森さん)「オールOK。どんどんチャンスあげたっていいじゃん、って」(江口さん)「他県にも似たようなグループはあるの?」(金森さん)「ないみたい。新潟にはタレントが多い印象、『タレント王国』。それぞれの特性・武器を活かして融合して、束になって発信したら、って考える」(江口さん)

「時代、何なんだろ、アレ。あんなに叩かれていたのが、今、『良いことやっている』と言われ、表彰までされるようになっちゃった」(江口さん)

江口さんって人

「政治家になることは考えたことない?」(金森さん)「あんな面倒くさくて、頭下げてばかりいるような仕事したくない。具体的には、色々な行政課との付き合いはあるけど」(江口さん)「行政と文化、互いの専門知識しかなく、相手を知らない。江口さんみたいな存在は抜群なNPO。福祉系など、需要はありそう」(金森さん)「縦割り社会の中で『ハイ、ハイ』言ってきたこと、横へ、横へと動くことだった」(江口さん)

「金森さんには、観光課と繋がって、(北方文化博物館などの)アートなポスターを作って欲しいし、篠山紀信さんと一緒に『SWITCH』にも出て欲しい。また、Noismには古町芸妓や新潟プロレスともコラボして貰いたい気持ちがある」(笑)(江口さん)

「江口さんって、ホントつかめない。でも、良い意味で、つかめないところが江口さんの強み。『NAMARA』が受け入れられていったり、新潟って、面白いところだなと思う」(金森さん)

「江口さんって泣くことあります?どんなとき?」(金森さん)「泣くさ。映画観てとか」(江口さん)「何故訊いたかというと、江口さんは物凄く俯瞰で物事を見ているから、落語的に。一人ひとり感情移入していたらもたない。ひとりの人としてどこで泣くのかって興味持っちゃった」(金森さん)

「一神教の善悪みたいに、何かひとつのことを信じるというよりも、両方を肯定する。面白いか面白くないかが価値基準。融合したら面白いんじゃないかとか思う」(江口さん)「江口さんはダメ出しをしたり、評価を下したりしますか?」(金森さん)「あんまりしないんだよね」(江口さん)「ですよね。全てを肯定していくとなると」(金森さん)

変化すること

平和ボケの頃の毒のあるアナーキーな笑い(横山やすし、たけし、爆笑問題・太田、立川談志)→肯定漫才(オリエンタルラジオ、ぺこぱ)へ。時代の変化。「そこにウズウズもある」(江口さん)「茶化そうと思ってますよね。(笑)でも、変わっていけるかどうかというのが問題。変わらなきゃと思う。嫌々じゃなくて、自分のなかで変化の時。『金森、変わったな』と言われるのは不本意。前向きに変化を楽しんでいる」(金森さん)

「視覚障がい者のためのワークショップには興味をもった。お互いに化学変化が起きている。そういうジョイントがやりたい」(江口さん)「やる前は不安があった。クラスがうまく機能しなかったら、参加者を傷つけてしまうんじゃないかと。でも、みんな、『もっと、もっと』と、全然怖がっていなかった。でも、『会わせりゃ、何とかなるだろう』みたいなのは嫌。双方、傷つく。『この方法論なら』と思えたからやった」(金森さん)「芸術から離れちゃって、ボランティアみたいなトーンはダメ」(江口さん)「滅茶滅茶アートでしたよ。年末にもやるんだけど、進化(深化)しそう」(金森さん)

江口さんって人(金森さんが理解した江口さん)

「江口さん、『お笑い』とか『面白い』とか言うからややこしい」(金森さん)「誤解される」(江口さん)「でしょうね」(笑)(金森さん)「叩かれる」(江口さん)「でしょうね。(笑)でも、70歳くらいになって、地域の人がみんな知ってるようになると無敵だね」(金森さん)

リーフレットとアンケート

「今度、一緒に飲みませんか」(江口さん)「俺、コーラですけど、いいですか」(金森さん)「じゃあ、俺もジンジャーエールにします」(笑)(江口さん)…

…と、まあ、そんな具合でしたかね。

この日は会場からの質問タイムはありませんでしたが、おふたりのやりとりを聴くだけで、「なまら(=新潟の方言で「とても」「凄く」の意)おもっしぇえ(=同「面白い」)」90分でした。江口さんと「新潟お笑い集団NAMARA」が刻んだ歴史、そして注がれる視線の変化。それを介して、金森さんとNoismが歩んできた日々も浮かび上がってくる、そんな感じのトークだったと言えるように思います。それら、うまく伝えられたかどうかは不安ですが、本日のレポはこの辺で…。

追記: おしまいに、この日の客席は金森さんから、映像舞踊『BOLERO 2020』の拡散を託されました。是非ともご覧ください。200円で7日間楽しめますので、コスパはめっちゃサイコーです♪こちらからどうぞ。

蛇足: りゅーとぴあ・Noismボードの前に置かれた冊子「tempo1」(富士通発行:無料)を貰ってくるのもこの日の大切な目的。無事果たせました。収録された金森さんの記事「身体のTEMPO」、これからじっくり読みます。皆さんも是非♪

(shin)