埼玉公演開幕!!

2020年1月17日(金)。待ちに待った埼玉公演、その初日!ああ、本当に行ってよかった!!新潟公演もとてもよかったけど、ますます素晴らしい。”極上”という言葉が浮かび上がります。堪能させていただきました。贅沢〜♪ 

この舞台をあと2回も観られて幸せでもあり、2回しか観られなくて残念でもあり・・・でもうれしい。生きていることを実感する。 

【余談】 今日の席はB列、つまり2列目なのですが、なんと、A列は撤去されていて、思いがけず最前列で観せていただきました♪

(fullmoon)

2月「Noism Company Niigataを応援する会」開催♪

皆さま、新年明けましておめでとうございます。

昨秋、懸案だった活動延長も無事決まり、良い年越しができました。そして来る2月、その喜びのまま、標記の会が開催される運びとなりました。

新潟各界の方々にお声掛けしています。Noism活動支援会員、Noismサポーターズ会員、さわさわ会会員の方はどうぞご参加ください♪

詳細は以下の通りです。

「Noism Company Niigataを応援する会」

 時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

 さて、このたび りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館が運営する、国内唯一の公共劇場専属舞踊団『Noism Company Niigata(ノイズム・カンパニー・ニイガタ)』の2022年8月までの活動継続が決まりました。

 つきましては、これをお祝いするとともに、Noismの活動の更なる発展を願い、下記のとおり「Noism Company Niigataを応援する会」を開催したいと存じます。

 当日は、金森穣Noism芸術監督をはじめ、ダンサー、専属スタッフの皆さんからご参加いただくとともに、Noismの活動継続を決断された中原市長からもご出席いただく予定となっておりますので、本会の趣旨にご賛同いただき、多くの皆さまからご参加いただきますよう心よりお願い申し上げます。

発起人:  さわさわ会 会長/新潟・市民映画館 シネ・ウインド 代表 齋藤 正行

新潟商工会議所 会頭 福田 勝之

新潟経済同友会 代表幹事 山本 善政

新潟総踊り祭実行委員会 副実行委員長 能登 剛史

NoismサポーターズUnofficial 事務局長(代表) 越野 泉

  • 日時  令和2年2月2日(日)午後5時30分
  • 場所  新潟 ジョイア・ミーア -Gioia Mia Niigata-  (新潟市中央区東堀通7番町1016-1)
  • 会費  5,000円(立食パーティー形式)

お申込み・お問い合わせ: お手数ながら、当ホームページお問い合わせフォームからご連絡ください。Contact:  http://noism-supporters-unofficial.info/contact/

・・・以上です。

「Noism第2章」の幕開けを盛大にお祝いしたいと存じます。どうぞご検討ください。

(fullmoon)

言葉を使うことで危険な領域に踏み込んだ劇的舞踊第3作『ラ・バヤデール~幻の国』

山野博大(バレエ批評家)

初出:サポーターズ会報第30号(2017年1月)

 舞台の床に照明を当てて、中央に本舞台、両サイドに花道風の出入りスペースを設定した空間がひろがる。中央に能の道具を思わせる何本かの木材が立つ。老人ムラカミ(貴島豪)が登場して、マランシュ国の偽りの発展とあっという間の滅亡の過程を語りはじめる。Noismの劇的舞踊第三作『ラ・バヤデール~幻の国』は、能と似た作りのオープニング・シーンを用意していた。

 バレエ『バヤデルカ』はプティパの振付、ミンクスの音楽により1877年、サンクトペテルブルクのボリショイ劇場で初演された。これは舞台が古代インドだった。それを平田オリザが架空の帝国の盛衰史として書き改めたのが『ラ・バヤデール~幻の国』だ。言葉を使ってストーリーを進め、その中に踊りの見せ場、音楽の聞かせどころを作るというやり方は、日本古来の能や歌舞伎などの手法をそっくり踏襲したものと言ってよい。

 ヨーロッパで発展したバレエは、言葉を使わないことを原則としているために、歴史をこと細かに語るといったことには不向きだ。バレエ作品が社会の矛盾を鋭く衝くといったことは行われてこなかった。ルイ14世の力で発展したバレエの本拠地であるパリ・オペラ座が、1789年のフランス革命の後も存続できたこと、アンナ女帝の肝いりで始まったロシアのバレエが、1917年に始まった革命の後も変わることなく上演され続けてきたことなどは、バレエが言葉を使わなかったからだったと言ってよい。

 日本でも同様のことがあった。日本が戦争を始めて世界各地へ攻め入った頃、舞踊家たちは軍の慰問にかりだされ、兵隊たちの前で舞踊を披露し、戦意を高揚した。その渦中、日本に帰化して霧島エリ子を名乗ったエリアナ・パヴロバは、1941年に慰問先の中国で病死している。しかし1945年の敗戦後、日本の舞踊家たちは占領軍であるアメリカの兵隊たちの前で踊りを見せるという変わり身の早さを示した。それも言葉を使わなかったからできたことだ。しかしNoismは今回、バレエの中に言葉を使うことで、身分格差、信仰、危険薬物といった、もろもろの問題に関わり、自らの立場を明らかにすることを選んだ。

 ミラン(ニキヤ・井関佐和子)は、カリオン族の踊り子だ。メンガイ族の騎兵隊長バートル(ソロル・中川賢)と愛し合う仲だ。しかしマランシュ族の皇帝は、娘フイシェン(ガムザッティ・たきいみき)の婿にバートルを指名する。ミランに秘かに想いを寄せる大僧正ガルシン(奥野晃士)がからんでくる。平田の脚本は、ミンクスの間に笠松泰洋の作曲をうまく配置した音楽をバックに、プティパの『バヤデルカ』の人間関係をそっくりそのまま再現していた。

 言葉によって状況を、このようにはっきりと示されると、新興国家マランシェの国益優先に蹂躙されるミラン(ニキヤ)とバートル(ソロル)の姿がよりいっそう鮮明に、残酷に見えてくる。バートルとフイシェンの婚約式の場で踊ることを強いられ死を選ぶミラン、麻薬に身を持ち崩して行くバートルの背後に、身分格差がそびえ立っている。

 また国が滅びて行く過程で麻薬の果たした役割などについても、その非人間的な意図が観客に正面から突きつけられる。プティパの『バヤデルカ』の幻影シーンも阿片を吸った男の見る夢であることに変わりはない。しかしプティパの創ったバレエでは美しさを強調して、その背後にあるものを見えなくしている。Noismの『ラ・バヤデール~幻の国』では、ダンサーの動きを新たにして、麻薬による幻覚の中のいかにも頼りなげな浮遊感のようなものを表現し、これを最大の見せ場に創り上げた。役者たちの演ずる厳しい状況描写の間に、ダンサーたちの踊りを収めて、ことの成り行きをより明らかにしているのだ。井関佐和子、中川賢らのダンス、たきいみき、奥野晃士、貴島豪らの芝居がみごとに噛み合った舞台からは、プティパのバレエでは感じられなかった非人間的な現実の厳しさがひしひしと迫ってきた。

サポーターズ会報第30号より

(2016年7月2日/KAAT神奈川芸術劇場)

『ASU~不可視への献身』の衝撃

山野博大(舞踊評論家)

初出:サポーターズ会報第27号(2015年6月)

 Noism1の横浜公演で金森穣の新作『ASU~不可視への献身』を見た。この作品は、*前年12月19日に本拠地のりゅーとぴあで初演したものだ。第1部が「Training Piece」、第2部が「ASU」という2部構成だった。

【註】*「前年」=2014年

 「Training Piece」は井関佐和子をはじめとする11人のダンサーが踊った。幕が開くと、全員が明るい舞台に等間隔で寝ている状態が見えた。ひとりひとりのダンサーが個々のシートに寝ているような、照明の効果があり、これはどこかのスタジオでのレッスンの風景のようだった。寝たままゆっくりと両腕を動かすところから、トレーニングが始まった。バレエのバー・レッスンは直立した肉体に対するトレーニングだが、ここではそれを寝たままの状態で行い、そこへさらに新しい要素を加えた。後半は白っぽい上着を脱いで、カラフルな衣装(ISSEY MIYAKE所属の宮前義之のデザイン)になり、フロアー全体を使ってのトレーニングとなった。

 ダンスのトレーニング・システムは、作品で使われるおおよその動きを予想した、そのダンス固有のテクニックの集大成であり、普通それは観客に見せない。しかし、ここではまずNoismダンスの種明かしが行われたかっこうだった。これと同様のことを、かつて伊藤道郎がやっていたことを思い出した。彼は『テン・ジェスチャー』という伊藤舞踊のエッセンスを作品化していて、それをダンサーのトレーニングに使うばかりか、しばしば観客にも披露した。

 第2部の「ASU」は一転して暗い舞台だった。灯火を掲げたダンサー9人が登場した。黒を基調とした、個々別々の衣裳をまとい、前半のはなやいだ雰囲気と一線を画した。舞台奥には木材を加工して作った大きな樹木のようなもの(木工美術=近藤正樹)が寝かされていた。舞台には、Bolot Bairyshevの「Kai of Altai/Alas」が鳴っていた。これはアルタイ共和国に伝わるカイ(喉歌)という種類の音楽だそうだが、私には太棹の三味線を伴奏に太夫が語る、日本の義太夫のようにも聞こえた。

 しだいに明るくなった舞台で、9人のダンサーたちが動きはじめた。その動きは今まで見たNoismのものと、大きく異なった。そこには今の時代の日常の人間関係から、歌舞伎や文楽などに残る義理人情の世界まで、いろいろなものが混ざり合っていたと、私は直感的に受け取った。日本では、20世紀初頭に西欧の動きを取り入れて「洋舞」とか、「現代舞踊」と称するものを生みだし、それを育ててきた。しかし「ASU」はそれらとはまったく異なる別の世界だった。

 戦前からの石井漠、高田せい子、江口隆哉、檜健次ら日本の現代舞踊の始祖たちは、とぼしい海外からの情報を足掛かりとして、そこに日本古来の動きを加味して「日本の現代舞踊」を作った。それは敗戦を契機としてアメリカからもたらされたマーサ・グラーム、ホセ・リモン、マース・カニングハムらのアメリカン・スタイルのモダンダンスに一蹴されたかに見えた。しかしバレエやコンテンポラリー・ダンス、そして日本古来の舞台芸能などと協調しながら、この日本に今もしぶとく生き続けている。

 舞台ではカイ(喉歌)の音が鳴り続け、近藤正樹の樹木のオブジェが大地に立った。そこで宮前義之の、いかにも動きやすそうな衣裳をまとったダンサーたちが金森穣の創り出した動きに専念した。彼は今の時代の西欧のダンスを習得して帰国し、新潟でNoismを立ち上げた。そこで西欧のダンス・カンパニーと同様の公演の形態を日本の土地で実現させようと、創作にはげんだ。彼の目は世界へ(西欧へ)と向いていた。

 しかしこんどの『ASU~不可視への献身』で、彼の目は別の方角を見ていた。とつじょ彼の中から「西欧ではないX」が噴出したのだ。現代の日本は、アジアに位置しながら西欧のものを生活の中に大量に取り入れ、アジアよりは欧米に近い日常を作り出している。昔から日本人は海の外からやってくるものに異常な関心を示し、いろいろなものをどんどん取り込んで「日本」を作ってきた。しかしいつも向こうのものをそのまま取り込むことはしなかった。たとえば、紀元前に北部インドで釈迦がはじめた仏教は6世紀頃に日本へ伝わったが、それから1500年が経ってみると、すっかり日本化して、元のものとはだいぶ様子が違う。また政治、経済のシステムにしても、海外のものを取り入れたはずにもかかわらず向こうのものと同じと言えない状況であることは周知の事実だ。それと同じようなことがいろいろな分野で起こり、今の「日本」が出来上がっている。

 かつて日本は、わずかな情報をもとに「洋舞」を作りだした。しかし世界の情報がリアルタイムで入ってくる現代にあっては、向こうのやり方をそのまま持ち込めば、それでよし。「日本らしさ」は、そこに自然に現われてくるものという考えが一般的となった。金森穣も、今まではこの「自然ににじみ出る日本らしさ」を作品の柱にしてきたと思う。それがこんどの『ASU~不可視への献身』で一変した。長い時間をかけて日本に蓄積した「動き」のニュアンスとでも言うべきものに焦点をあて、それそのものを作品化したのだ。

 私はこれを見る直前に、国立劇場で四国の土佐に伝わる古神楽の舞台再現に立ち会っていた。そこでは日本芸能の古層が随所に姿をあらわした。それを見たのと同じ感覚を、直後に金森作品から受けるとは思ってもみなかった。彼は日本の歴史の古くからの蓄積物に手をつけてしまった。これ以後は「自然ににじみ出る日本らしさ」だけで作品を作れない時代となるだろう。とんでもないものを見てしまったという思いが心中に広がった。

サポーターズ会報第27号より

(2015年1月24日/KAAT神奈川芸術劇場ホール)

『Double Bill』新潟公演千穐楽、師走の寒空に鮮やかな「色」をもたらす

師走の幸福な週末、残す公演は今日の1公演ということで、朝からソワソワし通しだった2019年12月15日。寒くないと言えば嘘になってしまうのでしょうが、幸いなことに風もなく、前日あれほど身を震わせた寒さは和らぎ、誰もがこれくらいなら御の字と思っただろう、そんな日曜日。県外からのお客さんも多く詰めかけるなか、『Double Bill』新潟公演千穐楽の舞台を目に焼き付けてきました。

前の記事でご紹介していた、Noism2のメンバーが日替わりで立つ物販コーナー、この日はこんな感じでした。『ある船頭の話』ポスターの「赤」にも負けないくらい、華やぐ「Farben(色)」がありますよね。

アフタートークで金森さんが客席に向けて訊ねたところ、県外の方も大勢いらしていたのですが、その要因のひとつに金沢21世紀美術館が企画した高校生限定の「劇的!バスツアー」もありました。とても価値のある企画ですね、コレ。

「カンゲキする人生は、
もっとおもしろい。」

鑑賞後のホワイエには、尊敬するサポーターズ仲間がツアー参加者にNoismメモパッドをプレゼントする一幕もありました。

「もっとおもしろい人生」にNoismが一緒にあることを、(折角この時期ですから、映画『スター・ウォーズ』風に、)”May Noism be with you!(Noismがともにあらんことを!)”と祈りたいと思います。

先を急ぎ過ぎました。話を公演に戻しましょう。この日の公演、一言で言えば、凄いものを観た、それに尽きます。気持ちや魂と不可分の身体が現前、或いは降臨していた、またはまったく逆に、何かが憑依した身体がそこにあった、そうとしか言えないようなパフォーマンスが続きました。圧倒された客席は水を打ったように静まり返り、終演後もその沈黙を破ることが憚られて、しばし拍手することさえ儘ならない状態になっていました。心底揺さぶられた人はみだりに音など発したりできないものなのですね。しかし、その呪縛から解き放たれたらもうその先は盛大な拍手、「ブラボー!」、そしてスタンディングオベーションが場内に広がっていったことは言うまでもありません。

先ずは金森さんの『シネマトダンス―3つの小品』。『クロノスカイロス1』、光輝溢れる「若さ」ととどまることなく刻まれていく「時間」。仲間、そして思い出。『夏の名残のバラ』、晩秋或いは初冬の夕陽が差し込む舞踊家の晩年。井関さんと山田さんによる極上の抒情。『FratresII』、人ならぬ身と化したか、圧倒的な舞踊の果てに「舞踊」そのものとして現前する金森さん。鬼気迫る、その超弩級の迫力が、場内を張り詰めた空気で包み、誰一人微動だにできない雰囲気の仕上げをしました。

休憩後に森さんの『Farben』、この並び順はこれ以上ないほど完璧なものと思い知ることになりました。張り詰めた緊張感を保ちつつ、各々の個性(「色」)が歌いだすことをもって完成する作品、それが森さんの『Farben』だからです。そしてそれをやり遂げた12人の舞踊家たち。初日のアフタートークで森さんが舞踊家とともに作品が「熟成していく」期待を語った通りの歩みを新潟公演千穐楽の舞台で示した12人。そのカーテンコール。解き放たれた舞踊家、解き放たれた客席、そこに溢れていたのは笑顔。それ以外の何物でもありませんでした。

(この日は、前日からの大幅な変更はなかったように見ました。蛇足でした。)

勢揃い
「メンバーの個性の違い、
もっと知って貰えたら、
もっと楽しんで貰える」(林田さん)
①(右より)金森さん、西澤さん、
スティーヴンさん、チャーリーさん、
井本さん、ジョフォアさん
②(右より)池ヶ谷さん、林田さん、
カイさん、鳥羽さん、
タイロンさん、三好さん

公演後のアフタートーク、金森さんとNoism1メンバーが壇上に勢揃いすると、とても色鮮やかで、今回の公演とぴったりに思えました。トークの全体から、多国籍度が増した今年のメンバー、感じ方の違いを身をもって知ったうえで、お互いに助け合っている様子が伝わってきました。

新メンバーのスティーヴンさんが、街中でも、カンパニー内でも誰もが親切で助かっている。困っているのは母国(英国)の友だちとコンタクトをとる際の時差であると語れば、タイロンさんは海に近い新潟市は故郷(豪州)と似ている。日本語が読めないので、常に誰かに訊かなければならない点で苦労していると話しました。また、Noismに入ったことに関しては、スティーヴンさんが、公演を通して共有することができる。もっと共有したい、もっと公演の機会があったらいいと語った一方、タイロンさんは、毎日、鍛錬できる流れがあって嬉しいとしながら、日本文化やルールなどが母国と異なる点には苦痛もあったりするとちょっぴり本音も覗かせました。

舞踊についてではありませんが、会場から母国・香港の状況について心境を訊ねられたチャーリーさん、知人が困難な目に遭っている状況に、言葉を絞り出すようにして、まず、”They’re fighting for the freedom.(彼らは自由のために戦っている)”と切り出し、続けて「世界中からの暖かい支援に感謝している」と述べたあと、「あなたが正しいと信じるなら、進むべきだ。どこかで誰かがあなたの信じることに気付いてくれるだろう」の言葉にその思いを込めました。冬休みには香港に帰るそうです。状況の好転を祈ります。

また、森作品を観て、メンバーに新たな発見があったか訊ねられた金森さんは「そんなにない。(森さんは)彼らの魅力を引き出して創作するスタイルをとった。しかし、私の方が彼らをよく知っているので」と答えました。

アフタートークからはもうひとつだけ。「金森さんと森さん、どちらが厳しいか」という会場からの質問を金森さん経由で突然ふられたのは鳥羽さん。少し困った様子で、「違った厳しさです」と答えて、会場から安堵の笑いを引き出していました。他にも興味深いやりとりも多かったのですが、ここではこのくらいにさせていただきます。悪しからずということで。

季節の「Farben」

Noismが彩った師走の新潟市、3日間。その「Farben(色)」は私たちのなかに取り込まれて、忘れ得ぬ鮮やかな思い出となりました。

そのなりゆきはひと月強の後、新年1月17日~19日のさいたま市に引き継がれます。ご覧になられる方々、驚く用意をしてお待ちください。

(shin)

「やはりか!」驚きの『Double Bill』新潟中日+サポーターズ交流会のことなど

2019年12月14日(土)の新潟市は、朝の好天がお昼前に一転、風雨吹きすさぶ荒れた天気となり、そのまま公演時間の17時を迎えることとなりました。それでもこの時期の新潟ですから、雪が降っていないだけましと思えば儲けものなのでしょうが、寒いものは寒い。特に風が冷たい夕方でした。

前日のレポで触れないでしまったホワイエの光景から書き始めます。今回の新潟公演では、主に県外からお越しの方々向けに新潟を楽しむための紹介資料と、サポーターズおよび「さわさわ会」が発行してきた紙媒体のバックナンバーとが並べられたコーナーが設けられ、多くの方々が興味深く足を止めて、気になったものをお持ち帰りになられていました。

新潟の資料コーナー
サポーターズ会報バックナンバーたち
こちらは「さわさわ会」のコーナー

他にも、今公演のNoism物販コーナーでは、新潟市・上古町のhickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)さんによる新潟土産や、新潟・市民映画館シネウインドさん発行で、森優貴さんへの取材記事を掲載した月刊ウインド12月号が販売されていますし、その傍らには、「新潟」繋がり&「ジョー」繋がり、阿賀町にて長期ロケを行って撮られたオダギリジョー監督の映画『ある船頭の話』(同シネウインドで年末・年始に上映予定。個人的にお薦めの作品です!)のポスターが、その鮮やかな「赤」でホワイエにもうひとつの「Farben(色)」を加えています。

Noismをきっかけに、新潟を多角的に楽しむことができたら嬉しく思います。そんな仕掛けの数々に、思わず頬が緩みました。

前置きが長くなってしまいました。ここからは新潟公演中日の公演レポです。先ず真っ先に書いておかなくてはならないのは、「えっ、マジ?」(驚き)が速攻「やはりか!」(納得)に転ずる金森作品『シネマトダンス』のことでしょう。公演期間中にあっても細かな変更・修正はつきものなのでしょうが、金森さんの場合、ラストを変更してくることがままあります。今回もそうでした。もう慣れっこになっている部分もあるのですが、やはり最初の受け止めは「えっ、マジ?」、そしてこれまでの経験から、間髪を置かず「やはりか!」となったような次第です。ラストが変更されたのは、「3つの小品」のうち、最初の『クロノスカイロス1』と金森さんのソロ『FratresII』のふたつ。初日ヴァージョンと中日ヴァージョン、その趣は異なります。果たして新潟楽日はどうなるのか?そうした意味からも目が離せなくなってしまう訳です。

休憩後の森作品『Farben』、情緒を揺さぶり続ける音楽、そのビートひとつひとつを動きとして可視化していく12の身体。動けば動くほどに、個々の身体がもつ「Farben(色)」が零れてきます。それを大らかに許容する作品にあって、舞踊家も伸びやかに映ります。この日は、ラスト、林田さんが舞台中央で繰り広げる圧巻の動きに見とれました。カーテンコール時に、先ず全員一列に並び、拍手・歓声・「ブラボー!」に応えたあと、列の両脇から、交互に一人ずつ、順に一歩前に進み出て一礼をするスタイルも、舞踊家一人ひとりの「Farben」を持ち味とする作品らしさであると感じます。「推しメン」に大きな拍手を贈ることが可能ですので、是非♪

この日のアフタートーク、金森さん、山田さん、そして直前に踊っていた井関さんが少し遅れて登壇しました。Noism0メンバー3人による気心知れたトークでありながら、それぞれの経験が語らせる「核心」をついた内容には深い世界を覗き見させるものがありました。

登壇してスカーフを直す井関さん

3人が話された内容から少しご紹介いたします。(ネタバレにならないギリギリのところで書きたいと思います。)

『クロノスカイロス1』のピンクの衣裳について、「テーマは時間。身体的に知覚可能な最速のものは光。照明は可視光線の色のレンジを使っている。そのなかで視認し易い色、追い易い色としてピンクを使った」(金森さん)

『夏の名残のバラ』に関しては、金森さんが「Noismの歴史は井関さんの身体に刻まれている。『いまも身体に残っている振付は?』と訊いて創っていった」と語れば、井関さんは「まず、舞台が広い。この作品のクリエーションが始まったのが一番最後だった。早く稽古したい気持ちだったが、振付家が『クリエーションを楽しみたい』と言って時間をかけた。(笑)お客さんが入って初めて完成する作品だと思う」と話してくれました。

『Fratres』IとII、そしてまだ見ぬIIIについて、3部作同時に上演することはあるかと問われた金森さん、「ありません」とキッパリ。その理由を、「I+IIが、IIIになるので、連続上演は不可能。観てもらえばわかります」と語りました。

その金森さん、今の身体の様子とそれに対する向き合い方を訊ねられて、「若い頃に比べて可動域は狭くなっているし、進化してはいない。しかし、経験と技術と精神コントロールを手にしている。日々の稽古を重ねて、若かりし頃に持っていたものを取り戻して、ここまで来た感じ。稽古しかない」との答えでした。

また、金森作品と森作品を踊った井関さん、最も大きな違いについては、「今回、身体性が違う」としながらも、「覚悟をもって舞台に立つのは同じ」と続けました。更に、森さんに関しては、「『森くん』とは同い年で、19歳のときにオランダのオーディション会場で出会っている。お互い群れるのを好まず、日本人がひとりずつぽつんといた印象がある。今回のクリエーションは、彼のエネルギーが凄くて、最初、体がボロボロになっちゃうくらいのところから始まったが、『負けるか!』みたいな気持ちで向かっていった。同時に、この年になると、振付家の意図を汲み取ることもできるので、言われたことをやるのではなく、一緒に作品を作っていることを感じられた」と語りました。

山田さんは一度Noismを離れて、東京に行った時期のことについて訊ねられると、Noismを外から見て相対化できたこと、また、その時期に武道家・日野晃氏に出会えたことが大きいと語り、Noismメソッドに戻って、身体のことがよくわかったと答えました。

あと、ニッチな答えにはなりますが、井関さんが今ハマっている人は美空ひばりさんで、「(存命中に)見てみたかったな」と。そして今回ある箇所の映像に映り込んだジョー マローン ロンドンの香水は「ピオニー&ブラッシュスエードです」とのことでした。

アフタートークのあと、会場をりゅーとぴあ内のレストラン・リバージュに移して、サポーターズ交流会が開催されました。

この日の参加者は、総勢20名。遠くは京都、そして東京や神奈川からお越しの方々、そして、前日、サポーターズに入会されたばかりの方を含めて、Noismを通じて知り合いになった者たちが、Noismを肴に、和気藹々、和やかにテーブルを囲み、おいしいお酒とお料理に舌鼓を打ちました。それに伴い、私たちの顔も徐々に視認し易い「ピンク」に染まっていきましたとさ。

仁多見・りゅーとぴあ支配人のご挨拶に手を挙げて応える参加者
何故かは…忘れました(笑)
こちら、この日のオードブルです♪

Noismの縁で素敵な繋がりが持てたこと、愉しい時間が過ごせたことに感謝です。

私たちサポーターズは一般市民に過ぎませんが、Noismを愛し、支える気概については、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどを支えたメディチ家にも負けるものではないことを確認いたしました。(←大袈裟すぎないか?←大丈夫です!(笑))そんな具合で、Noismの魅力に触れたことのない方々への発信にも力を入れたいと思う宵でもありました。次回、また多くの方のご参加をお待ち申し上げます。

(shin)

「Noism Company Niigata」としての新たな船出♪『Double Bill』新潟初日

米国のスプラッター映画を思い浮かべたりするかもしれない、13日の金曜日ながら、2019年12月13日はNoism Company Niigata(新名称)にとっては、一切の禍々しさから遠く、晴れやかな船出の日。

Noism1+Noism0『森優貴/金森穣 Double Bill』初日のこの日、活動継続決定後初めての公演を観ようと、新潟市・りゅーとぴあの劇場に駆け付けた観客は、大小合わせて4つものバラエティに富む作品をそれぞれ心ゆくまで堪能しました。

公演は、金森さん振り付けの新作『シネマトダンス-3つの小品』(40分)から始まりました。

先ずは『クロノスカイロス1』、J.S.バッハのチェンバロ協奏曲ニ短調BWV1052第1楽章に乗って様々なピンクの上下がスポーティに躍動する「活きのいい」作品です。『R.O.O.M.』の発展形のような映像の仕掛けも効果的で、どこへ目をやろうか、誰を追いかけて観ようか、迷ってしまうほどで、とても一度では見尽くせはしないだろうと思われます。横溢する若さ。甘酸っぱいような時間。幕切れに至り、バッハの傍ら、個人的には松田聖子『蒼いフォトグラフ』や映画『ハチミツとクローバー』なども想起しました。みなさんはどうでしょうか。同時に、使用楽曲が3つの楽章からなる協奏曲の第1楽章であることから、器官としては、目というよりも耳が、この作品を正確に「発端」として捉えて、私たちはその後の「展開」(それがどのようなものであれ、)を待ち受けることになるでしょう。この作品が3つの小品で構成されることはもしかしたら必然なのかもしれません。

続く、井関さんと山田さんの『夏の名残のバラ』は一転して、枯葉に赤のドレスがひときわ美しい、ぐっと大人テイスト。井関さんが踊り、山田さんが絡む、変容するのみで、戻ることのない時間。立ち込める憂愁。哀切。加えて、大写しの映像ももうひとつの主役。『箱入り娘』、『ROMEO & JULIETS』に通じる映像は技巧を凝らしながらも、洗練の極みで、情緒を掻き立てずにはいません。

3つめは金森さんの渾身のソロに瞬きを忘れる『Fratres II』。前作『Fratres I』とは若干異なりながらも同様に黒い衣裳に身を包み、総身を捧げんとするかのようなソロを前にして、息をのむほかありません。厳かにして、観る者の魂を揺さぶる重量級の作品と言えます。

その後、20分の休憩を挟んで、森さん振付『Farben』(40分)。幕が上がると同時に目に飛び込んでくる舞台空間が一瞬にして観る者を捕らえて離さないでしょう。そこから始まって、私たちが目にしたのは、森さんという際立つ個性、そして作家性。Noismデビューとなるタイロンさん以外は、すべて見覚えのある舞踊家の面々だった訳ですが、先般の活動継続にあたり、「Noism以外の舞踊に触れる機会」の提供を求められるなか、Noismでありながら、従来のNoismらしさとは一線を画するような新たなNoismを見せる手に打って出るとは!振り付けた森さん、招請した金森さんともに見事な手捌きと言えるのではないでしょうか。

髪にチャーミングな赤色を入れて激しい動きを連発した池ヶ谷さん、井関さんとのデュエットで目を見張るほどのしっくり感を見せたジョフォアさん、そして井関さんと対になる(準)主役どころを笑顔で踊った鳥羽さん、ほかの全ての舞踊家に見せ場があり、ここに簡単に書き尽くせるものではありませんが、最も印象に残ったものをひとつ書き記しておきたいと思います。それもやはりこれまでのNoismでは目にしてこなかった類のもの、他のメンバーと混じり、中心を外れたところで群舞を踊る井関さんの姿でした。それはゲスト振付家ゆえに示し得た「one of them」の井関さん。異彩を放って止まない「one of them」ですが、「One Team」Noismの新たな在り様にも映るほどに、目に新鮮な光景でした。

『Farben』、情感たっぷりの音楽とそれに呼応する身体。ゲスト振付家としての「Farben(色)」が十二分に示された40分間、恍惚として見とれる客席。その愉悦。観終わったとき、「ブラボー!」の声がかかっていたのも至極当然でしかありません。

公演後、金森さんと森さんが登壇して行われたアフタートークからも少しだけご紹介いたします。「振り」のインスピレーションはどこから来るのか訊ねられた森さん、「ケース・バイ・ケースだけれど、音楽が引き金・きっかけとなることが多い。音が持っている『質』に直感的に体が反応するのだと思う。先ず2、3回聴いて、ひとつのイメージが見えるかどうか」とし、今回使用した楽曲は6曲、「いつか使おうとあっためていた」ものですべて初使用曲。作曲者はエツィオ・ボッソ(伊・3曲)、マックス・リヒター(独)、ブライス・デスナー(米)、そしてジュリア・ケント(加)と教えてくださいました。

また、Noismの印象について訊ねられると、森さんは「ほぼほぼ想定内だった。思想・信念・身体言語の訓練の点で一本筋が見える。それはゲスト振付家には有難いこと。欧州にいたときと同じように仕事ができるカンパニー。それが新潟にあることは日本の財産」と語りました。

活動継続なったNoismを観客はどう受け止めるのか、ホワイエに取材クルーの姿も目立った世界初演でしたが、ネタバレを避けるため、あまり細かくは書けませんでしたし、同時多発的に展開される動きも多く、まだまだ見落としていたりもしますしで、キチンと書けていないことだらけのレポートとなってしまっています。

今日、明日のチケットも好評発売中とのことですから、この傑出した舞台、是非、ご自分の目でご覧いただき、皆様からNoismの「第二章」を祝していただきたいと思います。

(shin)

公開リハB日程は金森さん『クロノスカイロス1』、疾走再び!

2019年12月5日(木)12:45のりゅーとぴあ・劇場、メディア各社も多数駆け付けるなか、B日程の公開リハーサルが行われました。劇場内へ進むより以前に、ホワイエから既に、各社ともリハ後の囲み取材を念頭に、予め機材を構える位置を想定して準備を進めているなど、これまでにないほどの念の入れように映りました。

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スタッフから場内へ促されるに際して、この日見せて貰えるのが、金森さんによる『シネマトダンス-3つの小品』のうち、Noism1出演の『クロノスカイロス1』と聞かされ、内心小躍りしたのは私だけではなかった筈です。先日の森さんの疾走する新作リハと併せて観ることが出来るのですから。

で、場内に入ると目に飛び込んで来たのは、濃淡はあるもののピンクで統一されたタイツ姿の舞踊家10人。

その10人、デジャヴかと見紛えるほどにこの日も疾走しているではありませんか。

バッハのチェンバロ協奏曲第1番ニ短調BWV1052。まずは林田さんとカイさん、そこに西澤さん、三好さん、鳥羽さん、チャーリーさん、スティーヴンさん、そして井本さん、池ヶ谷さん、ジョフォアさん。走って入ってきては踊って走り去る10人。挟まれた時間に示すソロ、デュオ、デュエットそして群舞のヴァリエイションが目を楽しませます。

この日は「映像、照明もなく、身体だけで、およそ3割~4割」(金森さん)とのこと。ラスト、音楽が止まったタイミングで、金森さんから「Are you alive?(どうだい、生きてるかい?)」と声がかかるほどの激しい「Run & Halt(駆け足と停止)」の連続。先週創作過程を見せていただいた森さんの『Farben』と併せて「ホントに大変そう!」とは思いましたが、彼らなら魅せてくれる筈、その確信に揺らぎはありません。そして、この2作、同じ「疾走」でも、その趣きやニュアンスなどを全く異にしていますから、楽しみで仕方ない訳です。

最後、金森さんからは走る姿勢やら、リフトの具合やら、ストップした際の頭の位置(向き)やら、主に英語で次々細かいチェックが入っていきました。動きの質がブラッシュアップされ、まだ見ぬ6割~7割が加わった「作品」は物凄いことになりそうです。

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リハーサルの後、金森さんと森さんの囲み取材が行われました。畢竟、質問は活動継続に絡むものが多くなりがちでしたが、金森さんは「作品を発表する際には、先を見据えようとするのではなしに、常にこれが最後の作品になってしまうかもしれないと思っている」など、特段それを誇大視することなく、作り手普遍の思いを語ることで応じているのが印象的でした。

そして自身の新作3つそれぞれについて、『クロノスカイロス1』は消えゆく時間、『夏の名残のバラ』は齢を重ねて、老いと向き合う舞踊家、『FratresII』は自己と向き合い、どれだけ闘い続けるかがテーマであると紹介してくれたうえで、『クロノスカイロス1』は個々の舞踊家による振付を基にNoismらしい集団性の表現を目指したものであると語り、また、『夏の名残のバラ』に関しては、井関さんが「新潟の舞踊家」として15年間積み重ねてきた踊りを観る醍醐味を味わって欲しいとの思いに力を込めました。

また、今回招聘した森さんに関しては、同世代のライバルとしながら、「凄くエモーショナル。音楽が持つエモーションが森さんのなかで増幅されていく。彼の良さとして。端的に言えば金森穣とは違う。その違いを感じて欲しい」と語りました。

8年振りにゲスト振付家を招き、今までにない映像の使い方をしている等々、これまで観たことのないNoismが見られる、「Noism第二章」にふさわしい新作公演として、クリエイションも最終盤に差し掛かっている様子が和やかなうちに語られました。

新潟公演、埼玉公演ともにチケット好評発売中。また、新潟公演中日12月14日(土)の終演後にはサポーターズの交流会も開催致します。そちらもふるってご参加ください。

(shin)

A日程の公開リハーサルは疾走する森優貴さん『Farben』♪

前日の朝、白いものもちらついた新潟市中央区でしたが、霜月晦日は時折、薄日も射す曇天。そんな2019年11月30日(土)12時30分、りゅーとぴあ・スタジオBに活動支援会員対象の公開リハーサル(A日程)を観に行ってきました。

この日、見せていただいたのはDouble Bill公演の演目のうち、森優貴さんによる『Farben』から、主にscene 4とそこに繋がるscene 3とのことでした。

「私がダンスを始めた頃」⑫⑬でご紹介した初お目見えのタイロンさん、そして「I❤BRIT」Tシャツを着たスティーヴンさんを含むNoism1メンバーに、Noism0所属となった井関さんも出演する作品を、森さんの指示のもと稽古している、まさにその現場に居合わせるレアな機会でした。

先ず、全メンバー出演(?)のscene 4から。ピアノと弦による楽の音。前景で池ヶ谷さんとタイロンさんが踊るパートから始まり、やがて池ヶ谷さんと井本さんのデュオへ。更に、様々な小道具も数多く登場するなか、刻々とその「中心」を入れ替えながら、徐々にフォーカスは鳥羽さんへと移行していきました。走る鳥羽さん。この部分、森さんは「様々な記憶の断片」「色彩が立ち現れてくる」「ノスタルジー」などの言葉でイメージを語ってくれました。

そしてそれに先行するscene 3。ここは主に井関さんとジョフォアさんのデュエットが中心となるらしく、その背景に鳥羽さんがいるもののようでした。

観た印象を一言で表現するならば、疾走となるでしょうか。フロア狭しと動き、否、走り回るメンバーたち。相当な運動量に滴り落ちる汗。

○○さん、○○ちゃんなど、親しみの感じられる呼び方もする森さんとそう呼ばれる舞踊家たち。両者によって、この日に至るまでに既にあらかた共有されていた作品の「祖型」。それが傍らで自らも動いて示す森さんの身体と、その都度細かく出される関西弁と英語を使った指示で、次々に書き換えられ、更新されていきました。

「最適解」を模索して、やりとりしながら、随所に新たな動きを試してみたりすることも含めて、その様子はあたかも素描に次々、「色(Farben)」が足され、作品全体が彩られていくかのように感じられる光景で、実際、森さんも「It got much better! Much more colorful!(ずっと良くなった!色彩豊かになった!)」と言葉かけを行っていました。

更に言えば、これまでNoismでは目にしたことのないような動きも多く、作品の枠を越えて、舞踊家たちに「色(Farben)」が加えられていくことになるのだろうことも確信されました。その意味では「新生Noism」にふさわしい公演になること請け合いです。

予定された公開時間を5分ほど超過した頃、熱の入った稽古がちょうど一段落を迎え、そこで初めて時間に気付いた森さん、「誰も止めてくれなかったから」。そのタイミングでこの日初めて姿を見せた金森さんに「止めないからさ」と混ぜ返されて、公開リハーサルは終了しました。

来週12月5日には劇場での公開リハーサル(B日程)もありますし、世界初演となる公演まで2週間を切りました。グレー、或いは白といった単色の新潟に、一足早いクリスマスツリーのように、鮮やかな「色(Farben)」を重ねる新作公演のチケットは只今、好評発売中。どんな色に染め上げてくれるのか、その日が待ち遠しい限りです♪

(shin)

私がダンスを始めた頃⑬ スティーヴン・クィルダン

ダンスをした最初の記憶はまだ幼い子どもだった頃、映画のエンドクレジットで流れる音楽に合わせて踊ったこと。それは毎度繰り返されることになり、目にした人はさぞ驚いたことでしょう。

それで母が私を地元のストリートダンスのクラスに入れてくれたのでした。というのも、踊ってはいたものの、リズムをとれてはいなかったからです。

中等教育学校(secondary school)に通っていたときは、生徒たちのダンスグループに入り、よく校内でパフォーマンスをしたりしたものでした。放課後、独学でダンスを学んでいた私たちですが、相談に乗ってくれる助言者もいました。私たち4人のうち3人が後にプロのダンサーになりました。驚くべきことに、最初ただ情熱で動くだけだった私たちが、その情熱を持ち続けることで夢を叶えるに至った訳です。当時、私たちのうちの誰もプロになることなど考えてはいなかったと思います。私たちはそんな選択肢があることを知らなかったからです。

その後、私はバレエを始めました。15歳のときです。それはそれは遅いスタートでしたから、とても難しいものがありました。しかし私はたくさんのことを学び、懸命に練習をしました。

それでもBRIT Schoolに入るまではプロになろうなどと考えたことはありませんでした。このスクールはロンドンにある無償のパフォーミングアーツの学校で、卒業生にはアデル(歌手:1988~)、エイミー・ワインハウス(シンガーソングライター:1983~2011)、ジェシー・J(シンガーソングライター:1988~)たちがいます。そこはまるで映画『フェーム』のようなところでした。

そしてなんとか同じロンドンにあるRambert School of Ballet and Contemporary Danceに入って、その後はご存知の通りです。

プロのダンス・アーティストになって以来、私は多くの信じられないような体験をしてきました。今に至るまで私の可能性を信じてくれた先生たちや人々に心から感謝します。この度、Noism1に加わることによって、私が多くを学べるだけでなく、私のダンスへの情熱を観客の皆さんと分かち合うことができればと思います。皆さんが私のパフォーマンスに反応してくれて、「何か(something)」を感じて貰えることを願っています。

(日本語訳:shin)

以下はスティーヴンさんが書いた元原稿(英語)です。併せてご覧ください。

Stephen Quildan

My first memory of dancing was as a small child dancing to the music at during the end credits of films. It would always happen and people would be so surprised.

My mother then decided to enroll me in local street dance classes because even though I was dancing, I had no rhythm.

When I was in secondary school I joined a group of students who had their own dance group and we used to make performances for the school. We taught ourselves after school and had a mentor who guided us. Out of the 4 of us, 3 became professional dancers. For me what is amazing is seeing that we were simply passionate first and that allowed us to achieve dreams. I do not think any of us were thinking about being professionals at the time, we did not know that it was an option.

After that I began ballet, when was I 15 years old. This is very late to begin so I found it very difficult but I studied a lot and worked hard.

I did not really think about becoming professional until I first got into the BRIT School, which is a free performing arts school in London. Previous alumni included Adele, Amy Winehouse and Jessie J. It was almost like the film ‘Fame’.

After that I managed to get in to the Rambert School of Ballet and Contemporary Dance, also in London, and the rest is history as they say.

Since becoming a professional dance artist, I have had many incredible experiences. I am extremely grateful to all of my teachers and people that have believed in me along the way. I hope that by joining Noism1 I can learn a lot but also share with the audiences my passion for dance. I hope that they will respond well to my performances and get something from them.

(1993年イギリス生まれ)