新潟日報「Noism 脱皮への次章」、地域貢献に期待する声を報じる

2021年12月29日(水)の新潟日報朝刊は、前日分(「上」)に続き、文化面に「Noism 脱皮への次章」を掲載しました。前日のブログにて、3回展開かと予想しましたが、この日の掲載分は「下」とのことで、なら、「前編」「後編」の方が良くないか、とか思いながらも、その気持ちは棚上げし、(←こうして書いてしまっては、「棚上げにならない」の声も聞こえてきそうですが、)とにかく、「下」をご紹介します。

新潟日報・2021年12月29日付け朝刊より

今回は、新「レジデンシャル制度」のひとつの眼目でもある、「地域活動部門」設置に関する記事構成となっています。端的に言えば、前回の活動継続期に「課題」との位置付けがなされた「市民還元」の取組みに梃子入れをして、更に浸透度を増そうという体制に関するものです。

触れられているのは、市山流宗家、にいがた総おどり、全国大会で上位に食い込む高校ダンス部の活躍等々、「舞踊のまち新潟」を印象づける数々。

そのなか、まず紙幅が割かれているのは、新潟市洋舞踊協会の第9回記念合同公演(2020/10/4)、井関さんのほか、当時のNoism1メンバーだった林田海里さん、チャーリー・リャンさん、カイ・トミオカさん、スティーヴン・クィルダンさんが新潟市内のバレエ教室に通う若者たちと共演したのでした。作品は『畔道にて~8つの小品』、金森さんが一から振り付けた完全な「新作」でした。勿論、当日、私も客席からその舞台を観ていたのですが、「これはひとつの大きなメルクマールになる」、そう思って目頭が熱くなったものでした。

次にこの日の記事で見逃せないのは、「今期は初めて、市内の高校ダンス部出身者がプロカンパニー『ノイズム1』のメンバーになった」の1文でしょう。勿論、それは奇しくも、前日、本ブログ「私がダンスを始めた頃」に掲載した樋浦瞳さんのことです。そうしたことからくる期待もあるにはあるでしょうが、それ以上に、もっと純粋に、先般の『Endless Opening』で見せたその伸びやかな踊りに新鮮な魅力を感じた方も多くいらっしゃる筈です。かく言う私もそのひとりですけれど。で、その樋浦さんなら、新潟市や新潟市民とのリンクの役割を果たすことに不足はありません。そう感じた次第です。

記事に戻ります。その締め括りに置かれた市舞踊協会の若林さんの言葉、「金森監督には、今後も新潟を文化都市として成熟させるという大きな目標に向かって進んでもらいたい」。同感です。
そうした思いとは裏腹に、行政サイドは、恐らく、Noismのこれまでの「17年」を長いとみた部分もあるのでしょうが、決してそんなことはありません。新「レジデンシャル制度」で設けられた「1期5年」乃至「2期10年」の上限で目指される「目標」は、果たして大きなものたり得るのでしょうか。「文化都市としての成熟」はもっと長い射程で捉えられるべきものではないのでしょうか。金森さんが常々唱える「劇場文化100年構想」こそまず議論され、そして共有されて欲しい理想と言えます。

勿論、「国際活動部門」路線も重要な訳です。世界的にリスペクトを集める「余人をもって代えがたい」芸術監督・金森さん。彼がいてくれる新潟市の未来は明るい筈。真に文化的な方向での刷新を旨とする(庵野秀明氏ばりの)「シン・レジデンシャル制度」を求める所以です。

(shin)

「私がダンスを始めた頃」⑳ 樋浦瞳

 小さい頃から、じっとしていることが苦手でした。暇さえあれば兄と妹と、犬と猫と、ひたすら走り回っていました。

 私が踊りを始めたのは、母が近所のモダンダンス教室に連れていってくれたことがきっかけです。その教室では、小さい子のクラスは先生と遊ぶことが主な内容でした。ボール遊び、バドミントン、フラフープ、大縄跳び、マットと平均台でアスレチックを作って跳び越えたり、床にチョークで好きな模様をかいてケンケンパをしたり……。

 様々な遊びの中でも一番楽しかったのが、変身遊びでした。先生が言ったお題に次々変身していくのですが、私は「カエル」や「うさぎ」や「カンガルー」と言われると、顔を輝かせて狂ったように跳びまわっていたそうです。この身体の歓びが、私が踊る原点だと思います。

 その後、大学進学のために地元の新潟から関東へ移り、筑波大学の舞踊研究室で学びました。そこで様々な身体表現の在り方を知り、日本における芸術と社会との関わり方について、問題意識をもつようになりました。
 その頃から自分が舞踊とどのように関わっていきたいのか考えるようになりました。
 研究者や教師の道へ進む友人が多かったのですが、人生で元気に身体を動かせる時間は限られているので、まずは自分自身が踊ることでどこまでいけるのか挑戦してみようと思い立ちました。

 踊っているときは何にでもなれて、どこへでも行けて、何者でもなくなれて、どこでもない場所へ行けます。
 これが、自分が舞踊に惹かれ続ける理由です。
 舞台の上から、作品とお客さんを無限に旅へ連れていける踊り手になりたいです。

(ひうらあきら・1995年新潟県生まれ)

地元紙・新潟日報、新「レジデンシャル制度」に関する記事を掲載

Noism0 / Noism1 『境界』東京公演の幕が下りてしまい、ファイナルの高知公演(1/10)まで、年末年始2週間の「Noism-less」期の今、2021年12月28日(火)、地元紙・新潟日報がその文化面において、「Noism 脱皮への次章」という記事を掲載し、新「レジデンシャル制度」について取り上げています。この日(12/28)分には「上」とありますので、あと2回が予定されているのでしょうか。
クリスマス期の耳目を集めた『境界』東京公演の感想がSNS各所を賑わせている現在、多くの方からの関心が寄せられるものと思われます。「新潟の動向には注目が集まっている」状況下、県外の方にもお読み頂きたく、ご紹介を試みたいと思います。

新潟日報・2021年12月28日(火)朝刊より

私も、本ブログを担当している関係からでしょうか、「市民サポート団体」として取材を受け、皆さんの気持ちを代表するだろう思いを話してきました。

金森さんが心血を注いだ17年という年月が折り畳まれているNoism Company Niigataの現在地。新潟で、東京で、あの『境界』ダブルビル公演を観た後の今、私の中にある、やはり「金森さんなしでは」の思いはより強固なものになっています。否、常に思うところに過ぎないのですけれども、それ。

このあと、(多分)「2回」(?)がどのような内容なのか。いずれにしましても、「No Noism, No Life.」の私たち「市民サポート団体」にとって、「Noism-less」の今であってみれば、次が待ち遠しい道理ではあります。
そして、そもそも、地元紙が取り上げる新潟市の新「レジデンシャル制度」ですが、その刷新振りで全方位的な大きな期待感を集める、言うなれば「シン・レジデンシャル制度」であって欲しい、否、そうしたものにしていかなければならないと思う年末です。
皆さんからのコメント、お待ちしております。

【追記】「Noism 脱皮への次章」翌日掲載分はこちらからもどうぞ。

(shin)

『境界』東京公演千穐楽、圧倒的な余韻を残してその幕を下ろす

前夜、東京に僅かな雪片ながら、年内の「初雪」が記録されるなど寒冬の2021年12月26日(日)、Noism0 / Noism1『境界』の東京公演が人々の網膜に、心に、圧倒的な余韻を残しながら、その幕を下ろしました。

入場後のホワイエに、元Noism1メンバーの西澤真耶さんとお母様の姿を見つけたので、お声掛けして、少しお話しすることが出来たのも、個人的に嬉しい出来事でした。同時に、山田うんさんの作品を踊る彼女を妄想し、綺麗だったろうな、観たかったなとか思うことしばし。

15時。涼風にのって舞うパステルカラーの花びらと化した、或いは、天使然とした9人のNoism1メンバーが生を言祝ぐかのような、山田うんさん演出振付の『Endless Opening』。ボロディン弦楽四重奏曲第二番の美しい旋律と一体化したダンスによって誘われた先で味わうのは、まさに弾むような「多幸感」そのもの。
例えば、随所で、編み上げられていく群舞に、そしてそれが時間差でほどけていくさまに、また、細かいところでは、例えば、諸々の象徴であるところの9台の台車が、ジョフォアさんひとりの上半身を見せながら、勝手にするするその向きを変えていくかの場面の、そのえも言われぬ平滑さ加減に、観ることの愉悦を感じなかった者などいなかった筈です。
終演後に繰り返されたカーテンコール、笑顔でその生命力を横溢させた、身長も不揃いのパステルカラー9人には、いつ果てるともない大きな拍手が贈られました。それは、踊りというかたちで届けた彼ら・彼女たちの生の躍動に対してのものでもあり、同時に、見詰めた私たちの生に向けてのものでもあり、という側面があったように思われます。拍手しながら、そのときの場内に、生を共通項とするある種「祝祭」的な空間が立ち上がっていたように感じていました。

20分の休憩を経て、金森さん演出振付、Noism0『Near Far Here』。雷鳴が聞こえ、一瞬浮かび上がる強烈な白。それは井関さん。あたかも稲光のよう。数度、場所を変えつつ、鮮烈に浮かんでは、残像を残して消える井関さんの姿にはインパクト絶大なものがあります。最奥に場所を移した井関さんの前に蹲る黒い姿は金森さん。向こう向きのまま、素早く広げられる両腕の不穏なばかりの力強さ。苦悶。観る者は一瞬にして、作品のトーンを掴み、その渦中に放り込まれた自分を見出すことになります。上手(かみて)前方からやはり黒い衣裳の山田勇気さん。雰囲気は中和されることなく、金森さんとのデュオに移行しますが、それに一瞥もくれることなく、上手(かみて)奥の袖へとゆっくり歩んで消えていく井関さん。その後、黒白のなか、様々に登場しては消えていく3人。張り詰めた不穏さは和らぎの兆候すら見せないまま、舞台が進行していきます。
するすると下りてくる矩形の枠。鏡なのか、異界への入口なのか。不穏さは相変わらずですが、金森さんと勇気さん、やがて、井関さんも加わった極みの達人芸は目のご馳走というほかありません。
また、舞台上手(かみて)を斜めに切り裂くような大きなスクリーン。束の間もたらされた安らぎもやがてめくるめくかの混乱に陥り、影の黒に覆われ尽くすことでしょう。
更に、コロナ禍を象徴するアイテムであるアクリル板と勇気さん、井関さんによる「パ・ド・トロワ」の場面には、この日、最も目を凝らして、食い入るように見詰めたと言ってもいいかもしれません。隔てられてなお、(その菱形の「落下」などあり得ない、)強い繋がりを示す超絶技巧に酔いました。
一様な黒を背景に、井関さんひとりを映す全く奥行きを欠いた映像が続きますが、それがもたらす「異界」感も尋常ではありません。その手前、時折、シンクロする生身の井関さんの踊りは、今度は手を伸ばしても伸ばしても届かないもどかしさ、或いは距離を可視化していました。
黒白で展開していた舞台がラストに至り、下りていた緞帳が上がり始めると、まずは隙間から漏れ出る光輝のなか、「その色」が目に入ってきて、次第に視界全体へと拡大していくときの怖いような美しさ。それはまさしくこの世のものとは思えないような光景です。しかし、ここまでSNS各所で数多く触れられているその詳細については、この後、高知公演(トリプルビル!)をひとつ残している事情から、ここではまだ記さずにおきます。ひとりでも多くの方の驚きのために。ぐうの音も出ないほどの圧倒的な体験が待っています、とするだけに留めておきます。

そう、圧倒的。本公演の2演目はその趣をまったく異にするものですが、『Near Far Here』の幕切れが示す「境界」の無効化の効果もあり、ふたつの作品がもたらした余韻は、舞台を見詰めた私たち観客の「日常」へと横滑りし、嵌入したまま、それを浸し続けることでしょう。途方もなく永く。

これを書いている私の『境界』公演はこの日まで。言葉で表現出来ない類いの感動に身震いした東京公演千穐楽。『境界』を越え出て、私たちをどこまで連れて行こうとするのか、Noism Company Niigata。身震いは今も止むことはありません。

(shin)

「聖性」降臨に息を呑む東京芸術劇場『境界』2日目

2021年12月25日(土)、イエス降誕の日とされるこの日の朝、まだ雪が降り出す前の新潟市から新幹線を利用して池袋へ。穏やかな青空を見せる首都圏にいることに安堵しながらも、新潟駅前を撮るライヴカメラの中継で、遠くて近いそこに降雪が始まってはいないか、随時チェックして過ごしていました。

かつて「IWGP(池袋ウエストゲートパーク)」として知られた「GLOBAL RING」に隣接する東京芸術劇場界隈は、ひとつ前の記事にfullmoonさんが聖夜の美しいイルミネーション画像をアップしてくださいましたが、この日も多くの人たちが足を止めて楽しむ光景が見られました。

東京芸術劇場は中に一歩足を踏み入れて、どの方向に目をやってみても、その目を楽しませてくれるお洒落で素敵な施設です。

エスカレーターで上がると、プレイハウスのエントランスがあり、山田うんさんと金森さんが仕掛ける「非日常」との「境界」を画す円柱の間を進んで、期待を胸に入場しました。

17時を少しまわって、緞帳が上がると、山田うんさん×Noism1『Endless Opening』から。怪我も癒えて、前日から復帰していた中尾洸太さんが見られたことにホッとしましたし、その東京公演初日はやや硬かったというメンバーの表情もこの日は柔らかく、全員で生きることを肯定するダンスを、これ以上は想像できないくらいの清らか(浄らか)さを立ち上げつつ踊っていきました。荒くなっていく一方の呼吸もものともせず、笑顔を浮かべ、「俗」を脱ぎ捨て、天上界を思わせる「聖」の高みへふわり飛翔していく9人の姿には見る目に眩しいものがあります。大きな拍手がずっとずっと続くのも不思議はありません。心地よいのです。

休憩時間中のホワイエでは、元Noism1メンバーの鳥羽絢美さん、林田海里さんの姿もお見かけしました。新旧メンバーから常に、そして当たり前のようにして、感動を貰えていることはまさに驚きであり、感謝しかない訳です。そんなことを思いました。

見る度に圧倒されるのが、金森さんによるNoism0『Near Far Here』であり、最初の数秒にして既に抗おうにも抗えない空気感に包まれてしまうのは、この日も変わりありませんでした。どこかにそこはかとなく喪失感や哀しみ、或いは死の影のようなものを宿すのが金森作品の変わらぬ魅力。そうやって惹きつけるだけ惹きつけておいてからの「聖性」の降臨…。まだまだ詳細は書かないでおきますが、日常と非日常の「境界」を越境するだけでなく、更に、そうした私たちの非日常レベルを一瞬にして置き去りにして、その極北とも言うべきイメージで塗り替えてしまう想像力/創造力のもの凄さ。それがこのクリスマス時期、巷に溢れる厳かな神聖さに似たものとして捉えられたとしても無理もないことでしょう。季節の大いなる贈り物として。そしてそれに浸され、降伏する他ない観客の無上の幸福。

この豪華なダブルビルの東京公演も残すところ、あと一日。ふたりの演出振付家の作家性と舞踊家たちの身体性、そしてそれらが相俟って降臨する聖性に蹂躙される幸福はそうそう味わえる類のものではありません。明日の東京芸術劇場•プレイハウス『境界』は東京公演の千穐楽、まさに必見です。

(shin)

真冬の新潟市、雪に負けぬ花々の彩り - 『境界』新潟公演楽日

早くも来てしまったNoism0 / Noism1『境界』新潟公演 3 Daysの楽日、2021年12月19日(日)は、朝からの風雪。当初、天気予報では金曜、土曜あたりが降雪のピークと伝えられていたので、てっきり峠は過ぎたのかなと思っていたのですが、さにあらず。この日までずれ込んでいるというのが実際のところだった模様。(涙)
忍耐を試すかのような降り方をする雪に、しかし、50cmとか80cmとかの積雪もと言われていたのに較べれば「御の字」と気持ちを公演に切り替えて過ごしたのは私だけではなかったでしょう。圧雪状態を呈する路面をスリップしないように車を走らせるのは、ほぼ今季初でしたから、緊張感はありましたけれども。(汗)

でも、個人的には、そんな心を支えてくれたものがありました。それは『境界』新潟公演初日のサポーターズ・ブログに関するツイートを山田うんさんがコメント付きでリツイートしてくださったことでした。こちらがそのツイートです。目にした瞬間、まず、「えっ!」となって、その後、じわじわ喜びが込み上げてきました。嬉しい!ホントに!うんさん、本当に有難うございました。これからも頑張っていきます。

という訳で、新潟公演楽日についてです。この日も、もう大感動の舞台でした。

15時、その山田うんさん演出振付のNoism1『Endless Opening』から。この日も前日同様、中尾洸太さんは怪我で出演せず、横山ひかりさんが代役を務めました。「怪我の功名」ということもあります。中尾さんには東京公演までに良くなって、悔しさをぶつけて踊って頂きたいですし、全力で溌剌と踊っていた横山さんにはこれを機により自信を深めて頂きたいと思いました。越境に期待致します。
また、坪田光さんの身のこなしの繊細さ、樋浦瞳(あきら)さんの踊りが発する伸びやかな朗らかさにも触れておきたいと思います。

走って、跳ねて、回転して、ゆらゆらして、緩においても、急にあっても、その全身から踊ることの情熱を、喜びを、苦悩を、覚悟を迸らせて、微笑んで咲き誇る花々と化した3公演10人の全員に大きな拍手を贈りたいと思います。休む間もなく、音楽と一体化して踊るかなり苦しい作品かとは思いますが、いつまでも観ていたかった…。音楽が聞こえなくなってしまっても。少し馴染みを覚え始めたうんさんの舞踊語彙に酔い続けていたかった、いつまでも…。そんな思い。

終演後、一列に並んだ、この日の9人に大きな拍手が贈られたことは言うまでもありません。最前列のスタンディングオベーションに頬を緩めたメンバーもいました。そこまで含めて、凍てつくこの日の新潟市に華やぎをもたらしてくれた、とても爽やかな舞台だったと思います。

そしてこれまで通り、20分のインターミッションを挟むと、がらり質を異にする時間、金森さん演出振付のNoism0『Near Far Here』です。冒頭から終演まで、透徹した美意識に貫かれたこの作品は、その美しさにおいて、心胆を寒からしめるものがあるとでも言わずにはいられないものがある、そう書きたいと思います。実はこの表現、初日のブログに一旦使ってはみたのですが、やはり「相手を心から恐れさせる」意はどうかと思い、削ってしまった表現なのです。(書き改める迄の、ほんの短い間に目にされた方もおられるかと思います。)「畏怖」の念というよりは「恐ろしさ」、そう、3日続けて、容赦なく捻じ伏せられた感覚はやはり純粋に「恐ろしさ」こそが似つかわしいと、敢えて新潟楽日に書くことを選んだ表現。そこには私自身の語彙の限界(「境界」)が画されていることを思い知らされつつも、しかし、今、体感としては心胆を寒からしめられたと言うほかなしと。美しさと恐ろしさとは隣り合わせで認識され得る感覚なのですね。

そしてラスト、見詰める両目から入って、一瞬にして全身を浸してしまう、夢幻の体感はまさに悦楽。その想像力と創造力たるや、この日も、到底、人間業とは思えないほどでした。いや、大袈裟ではなく。参りました、金森さん。

サポーターズ・インフォメーション5号・裏面

様々な越境に満ちたNoism0 / Noism1『境界』。新潟公演は、その幕を下ろしましたが、今度はばっちりクリスマス期の東京に舞台を移し、そこでも多くの観客を魅了することでしょう。『Endless Opening』と『Near Far Here』、あなたの人生に嵌入する「事件」が起こります。その「多幸感」、是非、ご体感ください!

(shin)

『境界』新潟公演2日目 - 想像力/創造力で遠くへ連れて行ってくれるクリエイターが近くにいること

2021年12月18日(土)17時、この日も至極当たり前のことのように、Noism0 / Noism1 『境界』新潟公演2日目の舞台に臨みました。

ホワイエに入ってみると、「ちょっとこれ見て」と教えてくれる友人がいて、目にしたのがこちら。この日の公演、Noism1の中尾洸太さんが怪我で出演されないということを知りました。

中尾さん、昨日、初日の舞台も怪我を押して出ていた模様です。心配していたところ、2階客席の最上段付近にお姿を認めましたので、お声掛けしたところ、笑顔で対して貰いました。幸い重傷ではない様子。一日も早い回復をお祈りします。

代役はNoism1準メンバーの横山ひかりさん。地元・新潟出身の方で、公開リハーサルの際、舞台上手(かみて)側、直近の場所から、真剣に舞台上に目をやる姿が印象に残っています。舞台で踊る姿はこの日初めて観ることになります。

やはり、舞台は「生もの」なのですね。私事で恐縮ですが、これを書いている私もこの日はアレルギーからか、右目のあたりが腫れて調子がよくありません。踊れるか/踊れないか。観られるか/観られないか。演者にとっても、観客にとっても、その日の舞台公演が「成立」するか否かは当然のことの範疇にはない訳です。有難いことと再認識しました。

山田うんさん×Noism1『Endless Opening』、冒頭から途中までは前日よりひとり少ない8人のメンバーが踊りました。振付や出番の変更もあったのでしょうが、まだ2回目でしたので、詳細はわかりませんでした。しかし、この日は前日の硬さがとれて、滑らかな印象。オフバランスの美しさに浸りました。

印象的なアイテム、台車のシーンからラストまでが横山さんを含む9人で踊られました。期せずしてのNoismデビューとなった横山さん、メンバー写真で観ていただけでしたが、小さな(と言って良いかと思われますが、)身体をフルに使って、他の8人に食い込んでいく赤い衣裳に、「頑張れ」との思いも抱きました。

山田うんさんのこちらの作品では、見やすいところで言えば、まず、性別の「境界」を廃棄していく、越境が挙げられようかと思います。女性性や男性性を超え出るかたちで目指された中性的な身体の躍動が見ものかと。激しく踊り通されるのに、爽やかな印象を残すのも宜(むべ)なるかなといったところでしょうか。花々と涼風を観る思いが致します。

20分の休憩を挟み、金森さん演出振付のNoism0『Near Far Here』。或る効果音が耳に届き、緞帳があがっても、暗い舞台。そこに浮かび上がる井関さん。私は『夜叉ヶ池』(篠田正浩監督作品・1979)坂東玉三郎のビジュアルを想起しますが、瞬時にして、休憩前とは別の時空に引っ張り出されたことを知らされるオープニングです。

そこからはもう手練れの3人による達人芸の世界。バロックの「歪な真珠」感も手伝って、当たり前の日常との「境界」を越え出た、非現実感が極まる時空は重厚感を備えたものです。もう圧倒的な想像力と創造力とで遠くへ連れ出される観客。その点で言えば、観客は舞台が発する途方もない引力に惹き込まれながらも、舞台と客席の「境界」を意識させられる部分もある筈です。

しかし、金森さんの演出が最も冴えるのは、パフォーマンスが否応なしにもたざるを得ない時間的な「境界」を曖昧化しつつ、同時に、舞台上と客席の「境界」さえ破棄してしまうラストの斬新さにあるのでしょうが、ここではこれ以上書けません。是非、ご自身でご体感ください。

想像力/創造力で観る者を限りなく遠くへ連れて行ってくれるクリエイターが近くにいること、そしてそのアートが身近な「ここ」から世界に向けて放たれること、その豊かさを実感した『境界』新潟公演2日目でした。

本日、新潟公演は楽日を迎えます。現在、雪が舞う新潟市界隈ですが、観る者の心に永く、爽やかな、或いは馥郁たる「花」を残すNoism0 / Noism1『境界』、お見逃しなく!

【追記】
この度の公演に合わせまして、私どもサポーターズUnofficialは「Information #5」を作成し、入場時、各種チラシと一緒にお手許にお届けしております。ご鑑賞前、ご鑑賞後、ご覧いただくことで、Noismをより身近に感じて頂けたらと思います。是非、お楽しみください。
また、私どもサポーターズは随時ご入会を受け付けております。そちらもご検討頂けましたら幸いです。

サポーターズ・インフォメーション5号・表面

(shin)

「これはもう!」詳しく書けないのがツラい『境界』新潟公演初日

2021年12月17日、数日前から天気予報が新潟の大雪を告げていた金曜日、りゅーとぴあへ向かう道すがら、猛烈な風があらぬ方向から叩きつけてきたのはその時点では雪ならぬ雨。荒れた天候のなか、混雑した12月の道路の移動はかなりの時間を要し、「近くて遠い」感が致しましたが、それでも、この先、「多幸感」に浸れることを確信しつつ、胸を躍らせて車を走らせました。そしてそれは裏切られることがなかっただけでなく、それ以上に、眼前に展開された多彩さに終始、蹂躙され通しだった、Noism0 / Noism1 『境界』新潟公演初日。「これはもう!」書けないのがツラいレベルの、かつて見たこともないダブルビル公演でした。

19時を少し回った頃、山田うんさん演出振付のNoism1『Endless Opening』の幕が上がりました。とすぐに、荒天のなか大変な思いをした移動が早くも報われたように感じられることに。そう、様々な生きづらさに満ちた「現実」を傍らにさせてくれるような、咲き誇る色彩に富んだ若い花々を思わせる舞踊のギフトは、可憐でありながら激しく、これまで見てきたNoismとはひと味違う新鮮さに満ちたものでした。

例えば、「こんなジョフォアさん、見たことがない」ってくらい楽しみながら踊っていることを伝えてくる表情が印象的だったりしました。それは井本星那さんも三好綾音さんも同様です。更に、新メンバーに関するなら、目で追いかけるようにして観た「庄島シスターズ」、さくらさんとすみれさん、何とか見分けがつくようになりましたので、更にこれからは踊りの特徴を捉えられるようになりたいと思いましたし、また、決して大きくない身体の中村友美さんが、踊ると随分大きく見えることにはとても驚きました。

最初の1音からボロディンに合わせて、Noism1の9人が舞踊で織りなす「花束」の目に鮮やかだったこと。同時に、緞帳がおりたときに、その奥から聞こえてきた荒い息遣いも忘れられません。カーテンコールに及んで、井本さんが左右のカーテン奥を目で探し、ジョフォアさんが連れ出してきた山田うんさん。10人で一緒に大きな拍手を浴びる様子を見ながら、今回のクリエイションは確実にNoism1の新しい扉を開いたのだろうことを感じていました。

そこから20分の休憩を挟んで、金森さん演出振付、Noism0の『Near Far Here』です。これまでにない程、広くとったアクティング・エリアにぽつんぽつんと3人。茫漠とした「ここ」とはいったいどこなのか。この世なのか。それとも…。そのあたり、印象的な照明も相俟って、まったく判然としない程に作り込まれています。冒頭からラストまで、極めて実験的でありながら、同時に、言葉で言い表せないほどの圧倒的なヴィジュアルで展開されていく美し過ぎる作品には、身震いしながら没入する他ない、驚愕の視覚体験が約束されていると言っても過言ではないでしょう。この美しさはヤバイ。こんな表現があるのか、どうやったらこんなものが生み出せるのか、口あんぐりで陶酔するより他にありませんでした。そして余韻がまた相当ヤバイ。観終えてからもう数時間が経っているというのに、相も変わらずに夢見心地なのです。繰り返しになりますが、書けないのがツラいレベルとすることに一切誇張はありません。この到達点にはまったく身震いを禁じ得ません。是非、多くの方に身を以て味わって欲しいと思う次第です。

新潟市の雨は夜更け過ぎに雪へと変わりました。予報通りだとすれば、このあと、夜明けまでにはかなりの積雪を見ることになるのかもしれません。でもしかし、このダブルビル公演に関しては、安易に見逃す選択をすべきではないと思います。窓の外、唸りを上げる風の音もこの日の2作品が心に運んで来た「多幸感」を損なうことなどできよう筈もないからです。今はただ、Noism0 / Noism1『境界』、一言、必見です、とだけ。

(shin)

支援の思い新た!活動支援会員対象『境界』公開リハからのインスタライヴ(2021/12/11)

雪到来前の2021年12月11日(土)は、Noismまみれで過ごすことになった一日。先ずは、15時30分から16時50分までが活動支援会員対象で開かれた『境界』の公開リハーサルで、その後、21時からは金森さんと井関さんのインスタライヴがありました。そんなふたつを続けて堪能したら、このところの「芸術監督の任期」を巡って気を揉むもやもやした時間をちょっと傍らにすることができたように感じました。現在進行形のNoismの「今」に向き合うことは即ち、豊穣な時間に身を浸すことなのであって、見詰めつつ、耳を傾けつつ、支援の思いを新たにしたような次第です。

◇活動支援会員対象『境界』公開リハーサル
15時30分、りゅーとぴあ・劇場に進むことを許され、2F客席に身を沈めようとする以前から、白と黒の引き締まった舞台上には、金森さん(黒)と井関さん(白)、そして山田勇気さん(黒)の姿があり、主に井関さんをリフトする動きの試行錯誤が続いていました。Noism0による『Near Far Here』のクリエイションが真っ最中でした。
その後、バロックの音楽と舞台装置も入れて、通して見せてくれる場面もありましたが、そこでも、時折、金森さんがストップをかけては、より流れるような身体の捌き方を求めて、動きが再検証・再検討され、妥協することなく調整を続ける3人の姿を目にすることになりました。そうやって、動きが今まさに作り出されようとしている様子は、「産みの苦しみ」などという紋切り型の表現からはほど遠いもので、(汗をかき、呼吸はあがって、水分補給をする際も苦しそうではありましたが、)気心知れた同士が、じっくり話し合って、色々試しながら動きを獲得していく作業は、どうしてどうして、「いい時間」が過ごされているようで、ホントに楽しそうに見えました。もう期待感しかない道理です。

30分が過ぎたところで、3人のリハ公開は終了。金森さんが客席に向けて、次のように挨拶してくださいました。「え~、日頃より有難うございます。ご覧いただいたように稽古に励んでおります。俗に、『3本の矢は折れない』と言いますが、3人体制になって、今まで以上に活動していきます。これからも宜しくお願いしま~す」とどこまでも明るい調子でした。そして、最後に金森さん、もう一言、「衣裳を脱ぐにも、(3人)お互いが必要なんで…」などと言って笑いをとりながら、Noism0の3人は劇場を離れていきました。

そこから、20分の舞台転換の時間を挟んで、16時20分から、今度は山田うんさんの『Endless Opening』、Noism1の方のリハーサルを30分間見せて貰いました。
主にユニゾンで踊る箇所を見せて貰いました。フォーメイションとしては、一番前に中村友美さん、二列目に庄島すみれさん・さくらさん、三列目には中尾洸太さん、三好綾音さん、井本星那さん、そして最後列に坪田光さん、樋浦瞳さん、ジョフォア・ポプラヴスキーさんというのが基本形のようです。
シンボリックな「台車」、見ました。しかし、衣裳は本番までのお楽しみ。
誕生と死とに挟まれたいっとき、束の間の「花束」然として、ピタリ決まるユニゾンはNoism1ならではなのでしょうが、同時に、一人ひとりの個性を楽しむことが出来る作品ともお見受けしました。SMAP『世界に一つだけの花』や、或いは小林秀雄『当麻』のなかの「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」などを想起しながら、舞台上、留め置くこと能わず、刹那に輝く9輪からなる「花束」を見る体験になりそうだとの思いを抱きました。
山田うんさん、ある場面で、歩く動作の「歩数」が気になり、変更しようかどうか、色々試すのを見詰めるうちに、公開終了時刻となりました。時間が許す限り、細部まで貪欲に動きを練り上げようとする姿は金森さんと変わらないなと思いながら劇場を後にしてきました。

今回のダブルビル公演、初日は来週の金曜日、12月17日。それぞれの創作過程をちょっと見せて貰ったら、もう楽しみで楽しみで仕方なくなってしまいました。

◆金森さん+井関さんインスタライヴ
顔をパグに変えちゃうような悪戯もやりながら始まったこの日のインスタライヴ、お話しは多岐に渡りましたが、ここでは『境界』公演に絞ってご紹介を試みたいと思います。
・『境界』公演の『Near Far Here』、創作も佳境。Noism0はいつもギリギリになる。バロック音楽に感動、全編バロック音楽の小品9曲を使用し、合わせたら繋がりができた。
・バロック音楽の時代、日本は江戸時代。キリシタン信仰が渡来。弾圧、隠れキリシタン。元来、信仰と密接な音楽であり、自分にとっての「信仰」とは何かということになっちゃった。何のために生まれて生きるのか。この世の不条理等々。
・衣裳も和モノとバロックの時代の洋のモノのハイブリッド。境界線を模索する、または融合するポイントを見つける作業。美しい作品ができた。
・バロック音楽のカウント、「3」のリズムが多いのが心地よい。「3」はキリスト教にとっても大切な数字(=三位一体)。今回、3人で踊ることも「3」繋がり。
・りゅーとぴあ・劇場をこれだけ大きく使ったのは初めて。大空間を移動する身体、実演は久し振りで、最初、距離感が掴めなかったが、楽しい。大空間を自分の美意識でコントロールできるようになりたい。
・演出的にも、空間的にも、照明的にも、衣裳も、あらゆる部分で初めての挑戦をしていて、その意味では実験的なのだけれど、最終的にひとつになっていく。
・テーブルでの場面。3人で振りを作っていって、それぞれ所作を解体、バラバラにして、スピードを速くしたり、スペース変えたり、高低差をつけたり、ダイメンション変えたりもした。→作り方的にはコンテンポラリー的だが、同時に、極めてバッハ的。構造を数学的に音楽にしていくこと、バロックに括れないバッハの特性だと思う。
・今回、映像も使っているし、物も使っている。なかでも、アクリル板。井関さんと山田勇気さんとのパ・ド・トロワ(3人の踊り)を作った。アンコントローラブルな(制御できない)不確定要素を盛り込むことで何を見出すか、何が生まれるか見てみたい。(『夏の名残のバラ』でのキャメラもそう。)今の世の中のアクリル板に、目の前にいるのに触れられない悲しみを感じる。
・しかし、今回の『Near Far Here』はネガティヴな作品ではない。今ここにいることの僥倖、有難さ、幸福、奇跡みたいなものを共有したい。エンディングでは我々なりの愛を届けたい。
・今回の衣裳、ひとりでは着られないので、3人一列になって、お互いに後ろを締めて貰っている。井関さんのは中世のドレス然としていて、コルセットが苦しい。金森さんと山田勇気さんの衣裳は、和(=和服、袴)と洋(=僧侶、宣教師)のハイブリッド、かつ、ふたり併せて一人分になる、斜めのファスナーが多用された、どこで割るかっていう複雑なもの。
・今回の照明、所謂、舞台照明ばかりではなく、反射した光、プロジェクターの明かりを使ったり、実験的なことをしながら、美しい明かりになる。
・山田うんさんの『Endless Opening』、同じ「境界」をテーマにしながら、出てくるものが違う点で面白い、多幸感溢れる作品。うんさんの人柄が出ていて、「色」などは対称的だが、どちらもクリスマスに観るにはいい作品。 …等々。

と、そんなあたりをご紹介させて頂きました。全部通してご覧になりたい向きは、アーカイヴでご覧になれます。こちらからどうぞ。

とりあえず、来年9月からの5年間、新潟市での活動継続が決まったNoism Company Niigata、その決定後の最初の公演です。「ちょっとだけでも今までやったことがないことにチャレンジしたい」と語る金森さんは、(奇妙な言い方になりますが、)私たちを常に裏切りつつ、その「裏切り続ける」という点においてはまったく裏切ることのない稀有な芸術監督と言えます。公演の度に私たちの日常を活性化してくれる訳ですから。

そんな金森さんが「自信作」と力を込めて語るNoism0『Near Far Here』、そして、Noism1が山田うんさんとの間で化学変化を見せること必至の『Endless Opening』、大いに圧倒される心づもりで、いざりゅーとぴあ・劇場へ。クリスマス期に放たれる刺激的な贈り物2作、『境界』新潟公演は来週金曜日にその幕が上がります。よいお席はお早めにお求めください。

(shin)