Noism Company Niigata 《春の祭典》

稲田奈緒美(舞踊研究・評論)

 2021年7月23日、この日は「東京オリンピック2020」が始まる日でもあった。新国立競技場での開会式とほぼ同時刻から、Noism Company Niigataの公演が始まった。

 幕開きは、2019年初演の〈夏の名残のバラ〉。井関佐和子が楽屋でメイクをし、赤いドレスの衣装を着て舞台に出演するまでの映像が映し出される。静かな、一人だけの時間が流れるが、それは井関がダンサーとして舞台に立つために自らを奮い立たせ、かつ冷静に集中力を研ぎ澄ましていくルーティンだろう。幾度となく繰り返しながら歩んできたダンサーとしての年月が、その佇まいに、背中に、美しく滲んでいる。恐らくは同時間に新国立競技場では、わかりやすくショーアップされた開会式のパフォーマンスが繰り広げられている。その光景を想像しながら井関の姿を見る時、彼女の身体とそれを映像に捉える視点からは、馥郁たるアートの豊かな香りが漂ってくる。アートを特権的な地位におくわけではないが、私が見たいのはこういうものなのだ。様々な意味が、思いが、何層にも積み重なり、あるいは混沌としながら意味を生成していくような、イマジネーションを掻き立てるもの。オリンピックに世間が沸く一方で、このように上質なダンス公演を楽しむことができるのは幸運である。

udon
『夏の名残のバラ』
撮影:篠山紀信

 井関を捉える映像が舞台へ切り替わり、舞台上で井関が踊り始める。舞台で踊りながらカメラを井関に向けるのは、ダンサーの山田勇気。カメラが井関の顔を、手足を、密着するように、あるいは遠くからとらえ、舞台上のスクリーンに映し出す。観客は目の前で踊る井関と山田を見ると同時に、異なるアングルからクローズアップされた二人をスクリーン上に見る。井関が赤いドレスを翻しながら舞台を疾走し、全身を山田に投げ出して表情をこわばらせ、また柔らかく肢体をくゆらせ、あるいは鋭く空間へ切り込んでいく。常に全身を燃焼させながら踊る井関も、それを果敢に受けとめる山田も、ダンサーとしては円熟期を迎えつつある。しかし、そこにネガティブな要素はない。〈夏の名残のバラ〉は、今なお、その凛とした姿を形にとどめているのだ。私たち観客の眼前にあるダンスと、その遠近をかく乱しながら映し出される映像をシンクロしながら見ていると、最後にその思い込みが見事に覆される。鮮やかな手法。それは次回の上演を初めて見る観客のために秘密にしておこう。

 井関は、自身の過去と未来を、いまここにある身体に重ね合わせながら踊る。強靭なしなやかさで、そのダンスと生きざまを美しく表現し、観るものを引き寄せる。この踊りで井関は、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。井関の“いま”を鮮やかに見せる振付と、ダンスと映像による仕掛けを施す構成、演出をした金森穣は、日本ダンスフォーラム賞を受賞した。

 二作品目は、昨年コロナ禍による自粛が続く中でその状況を見事に映像化した映像舞踊〈BOLERO 2020〉が、劇場のスクリーンで大写しにされた。踊ることを日課とするダンサーたちが、それぞれ閉塞的な部屋にこもり、一人きりで踊る姿を編集し、ウェブ上で配信されたもの。この状況では、いつものように空間を縦横に動き回り、手足を存分に広げ、またダンサー同士で会話したり触れ合いながら創造するという、彼らの日常が封印されている。その苛立ちを、まだるっこさを、不安を吐き出し、なおも踊らずにはいられない身体の生々しく、ヒリヒリとした痛みや熱が画面から伝わってくる。筆者は昨年、パソコン画面上で拝見したが、今回のスクリーン上映では、大写しになったダンサーたちの身体のディテールと、「ボレロ」という単調な反復がやがて大きな渦となる音楽とのシンクロが、より迫力をもって伝わってくる。映像舞踊という実験がまた一つ、ダンスを創り、観る可能性を広げてくれた。

映像舞踊『BOLERO 2020』
撮影:篠山紀信

 3曲目は〈Fratres〉シリーズの最終章〈Fratres Ⅲ〉。ラテン語で親族、兄弟、同士を意味する言葉であり、使用されているアルヴォ・ペルトの音楽タイトルでもある。

 幕が上がると、薄暗い空間の中心に金森。その周りを取り囲むように群舞が配置される中で、ヴァイオリンが鮮烈なメロディを畳みかけるように奏で始める。ダンサーたちは男女の別なく、修道士のようなフードのついた黒い衣装をまとっている。彼らの動きは顔を上げる、手を伸ばす、俯く、床に倒れこみ、這うといったミニマムなものが多いが、それを見事に音楽と他者にシンクロしながら反復していく。一つひとつの動きには、研ぎ澄まされた内への集中と同時に、空間を構成するすべてのダンサーや光、音楽へと向けられている。その場に佇んだまま、または蹲踞の姿勢を取りながら続いていく様は、儀式のようでもある。そのため観客はシンプルな動きが単なる身振りではなく、天を仰ぎ、地を希求するかのような意味を様々に見出し、解釈することができる。

 集団によるアンサンブルの集中度が極まったとき、頭上から米が降り注ぐ。群舞はフードをかぶり、一人一人の頭上で受け止めるが、中心の金森だけはフード(我が身を守るモノ)をかぶらずに全身で受け止める。受苦であり浄化でもある、頭上からの米を一身に浴びるという行為からは、自己犠牲を超えた祈りを感じる。踊ることで天と地をつなぐダンサーである彼らは、もはや儀式や祈り、畏れを忘れた現代人のために、そこにいるのだ。しかし突出したカリスマに扇動されるのではなく、その集団の調和によって、そこにいることの強度を増している。Noismが多くの団員を抱えるカンパニーとして存在することの意義と可能性を、舞台は表している。

『FratresIII』
撮影:村井勇

 4曲目は公演タイトルにもなっている〈春の祭典〉。この作品が1913年に初演された際は、ストラヴィンスキーの音楽、ニジンスキーの振付共に時代から遥に進んでいたため、観客の多くは理解できず、評価も得られなかったことは舞踊史ではよく知られている。しかし時代と共に音楽は高く評価され、20世紀の古典となり、数えきれないほどの振付を生んできた。そのため振付家は、どのような設定で、コンセプトで、振付、演出をするか想像力を掻き立てられると同時に、恐ろしくもあるのではないか。金森が選んだのは、ダンサー一人一人にオーケストラの演奏家のパートを振り分けて、オーケストラが踊りだす、というコンセプトであった。それはしばしば「音楽の視覚化」と言われる振付の手法を超えた、厳密にして挑発的な試みである。

 客電がついたまま幕があがると、舞台前方には横一列に椅子が並べられている(椅子:須長檀)。椅子の背はワイヤーのようであり、それが一列に並んでいると、まるで鉄格子か鉄柵で囲まれているように見えるため、囚人、隔離された人々の空間を思わせる。井関から一人ひとり、おどおどした様子で背中を曲げながら登場し、椅子に座っていく。中央に井関と山田。全員が横一列に座ると、客席の方へ、舞台の中へと、何ものかにおびえているように見つめては後ずさりし、音楽に合わせて手を震わせる。男女全員が白シャツと白い短パンという同じデザインの衣装を着ており、その色と画一的なデザインが精神病院かどこかに囚われているようにも思わせる。

『春の祭典』
撮影:村井勇

 音楽が激しいリズムを刻み始めると、その不規則なリズムにぴったり合わせながら、群舞が踊る。椅子に座ったまま両足を床に打ち付けながらリズムを刻み、あるいは半分が立ち上がり、また座り込み、と見事である。やがて、椅子の後方にある幕の内側が紗の間から照らされると、誰もいない空間が広がっている。四方を半透明の柵に囲まれた空間は、閉ざされ、隔離された空間であることがわかる。空間は人々をおびき寄せるように、サスペンションライトで床を照らしている。覗き込む群衆。幕があがると、群衆は恐れながらもその中に入っていく。

 そして激しくなる音楽そのものを踊っていく。椅子を円状に並べ、座る人と、前方中心に向かって倒れこむ人がいるシーンや、ダンサーが自分の腕で自分の腹部を打つような動きはピナ・バウシュへのオマージュだろうか。また、男女が下手と上手に分かれて群れとなり、男の群れが帯状の光の中を激しく跳躍しながら突進してくるシーンは、ベジャールへのオマージュだろうか。〈春の祭典〉という音楽と舞踊の歴史への敬意が感じられる。

 やがて男女が分かれて入り乱れ、一人の女性が生贄として選ばれる。これまで多くの振付家が作ってきた作品では、生贄として選ばれた女性、または男女ペアと、それを取り巻く群衆は対立構造を取ることが多い。それがこの作品では、生贄の女性を守ろうとするのは、もう一人の女性(井関)である。か弱い女性を男性が守るのではなく、女性が女性を守っている。男女のペアで無いところも現代ならではの視点だ。その二人に対して攻撃するような群衆。この辺りは、群れを作ったとたんに匿名の集団が凶暴性を増す、現代社会を投影しているのだろうか。同調圧力やSNSでの誹謗中傷などを思い起こさせる。しかし、最後に守られていた女性が、井関を指さす。「この女こそ生贄だ」と示しているかのように。信頼が裏切りに変わる、人を裏切り、売り渡すような現代社会を表しているのか。

 井関は一人で群衆の苦しみ、恐れを受けとめるが、最後は全員が手をつなぎ、後方へ向かってゆっくり歩んでいく。手をつなぎ共に歩み始める人々の姿は、救いと希望を感じさせる。

 もちろん振付家は、ベタな現代社会の投影を意図して振り付けてはいないだろうが、今回の公演では様々に現代社会を喚起させるシーンが多かった。言葉ではなく身体で表されるからこそ、観るものの想像力を多面的に刺激し、その意味を考えさせ、より深く目と耳と、胸と頭と、皮膚感覚に残る。なんと贅沢な公演だったのだろう。また、これだけ体力と集中を必要とする作品を、(映像作品は含めず)3曲も次々と踊っていく団員たちにはまったく感服する。そのダンサーたちは国籍も民族も身体も多様性に富んでいる。このように多様かつ優れたなダンサーたちを育てた金森や井関、山田、そして新潟という日本海から世界に向かって開かれた土地に改めて拍手を送りたい。 

(2021.7.23(金)/彩の国さいたま芸術劇場)

PROFILE | いなた なおみ
幼少よりバレエを習い始め、様々なジャンルのダンスを経験する。早稲田大学第一文学部卒業後、社会人を経て、早稲田大学大学院文学研究科修士課程、後期博士課程に進み舞踊史、舞踊理論を研究する。博士(文学)。現在、桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンス、アートマネジメントなど理論と実践、芸術文化と社会を結ぶ研究、評論、教育に携わっている。

「私がダンスを始めた頃」⑰ 庄島すみれ

 私が6歳の時にクラシックバレエを始めたのは、内股歩きだったのを心配した母が医者に相談し、バレエを勧められたのがきっかけです。母に「バレエやってみる?」と聞かれ、「やる!」と言ったのを今でも覚えています。

 最初は近所の公民館で少人数でのクラスで、友達に会いに行く様な感覚でバレエ教室に通い始めました。その後本部に行くことになり、踊ることに段々のめり込んでいきました。恥ずかしがり屋で自分の感情を表に出すのが苦手でしたが、不思議と踊ることは好きでした。

 中高校生になってからは、ただバレエが好きという訳にもいかず、コンクールで悔しい思いをしたり、自信を失ったりすることも多々ありました。それでも、発表会やコンクールなどで人前で踊ることは私にとってとても特別なことで喜びでした。

 高校卒業後の進路はとても悩みました。バレエを続けたい気持ちとバレエの道へ進む事への不安で葛藤していました。しかし、バレエの先生からの勧めと、今までバレエの事にあまり口を出さなかった母が「留学してみたら?」と言ってくれたのが大きなきっかけとなり、スイスのバレエ学校に留学することを決心しました。バレエ留学してからは、プロのダンサーになる! と初めてはっきりとした目標を持てた気がします。

 その後、スロバキアのバレエ団に入団する事が決まりプロのダンサーとしての活動が始まりました。私のプロのダンサーとしての道は沢山の人達の支えがあって切り開かれたんだなと改めて思いました。

(しょうじますみれ・1990年福岡県生まれ)

新潟日報が報じた「要求水準を達成」、2020/9~2021/8のNoism

先日(9月23日)、金森さんがツイートしていたように、9月25日(土)付けの新潟日報朝刊がその新潟面で、「昨季『要求水準を達成』」の見出しのもと、「ノイズム活動評価」について「有識者会議が判定」した内容(「B評価」)を報じました。

同紙は、9月22日に開かれた有識者会議が、りゅーとぴあの自己評価や(新潟)市の評価案を基にオンラインで議論し、「昨シーズン(2020年9月~2021年8月)のNoismの活動について3段階のうち真ん中のB評価を付け、『要求水準を達成している』と評した」と伝えています。

市の評価案で、初めて実施した小学校5校への出張公演が高く評価されたこと、有識者5人のなかで、市舞踊協会の若林美江会長の「コロナ禍でも舞踊文化に触れられるのは、ノイズムが新潟にある強みだと再確認した」との言葉などが紹介されています。

新潟日報9月25日(土)朝刊より

10月発表予定の今後の契約や「レジデンシャル制度」の見直し案などが待たれますが、今は(当然と言えば当然の事柄に過ぎないとも言えますが、)頷ける「内容」であったのだろう「B評価」に安堵しているところです。(個人的には、昨シーズンも「特A評価」とみるところですが、「内容を常に改善」することが求められるなら、伸びしろの残る「B評価」はむしろ好ましいのかもしれません。)

求められている「市民の満足度や認知度の向上」に向けて、私たちサポーターズとしましても、改めて出来得ることをやっていきたいと思ったような次第です。この先も一丸となってNoismを支えて参りましょう。

(shin)

「私がダンスを始めた頃」⑯ 庄島さくら

 私は6歳の頃に、近所にある公民館でバレエを始めました。
 幼かった私は、仲の良いお友達がバレエをしているから私もやってみたい! とバレエを始めました。また、自覚はなかったのですが、母によると私とすみれ(双子の姉)は2人揃ってひどい内股で、走ったり階段を降りたりするときいつ転ぶかとヒヤヒヤしていた様です。そんな私達にお医者さんがバレエを勧めたこともあり、母は私達にバレエさせることに決めたそうです。

 シャイな私は人前で踊りを披露するのが苦手でしたが、毎回のバレエのクラスで、先生が筋肉はどのように付いているか、どういう風に使うとジャンプができ、足が高くあがり、怪我をしないかなど、子供の私達に丁寧に身体のつくりを教えてくださり、自分自身の体を研究するように、試行錯誤しながらバレエをすることに没頭していきました。いつのまにか内股も改善し、いつも最下位だった徒競走も上位になっていました。


 ダンサーに怪我はつきものですが、今まで深刻な故障に悩まされなかったのは子供の頃から自分自身の体と向き合う時間が多かったからかもしれません。

 海外で10年間プロのバレエダンサーとして踊り、今帰国してNoismで踊ることになりました。私にとって”体と向き合う”から次のステップに挑戦中です。とてもマイペースな私のダンサーライフですが、まだまだ新しい発見に出会える予感がしています。

(しょうじまさくら・1990年福岡県生まれ)

「にいがた総おどり祭」20周年記念オンライン公演「天地-AMATSUCHI-」のNoism2

2021年9月20日(月・祝)15時から17時までの2時間にわたり、今年、20周年を迎えた「にいがた総おどり」が「明日を創る」をテーマに、万代シティの交差点から、オンライン舞台をLIVE配信しました。(視聴チケット:税込み4,000円)

参加したのは、響’連、太鼓芸能集団 鼓童、Noism2、NGT48、ばんにゃい、澪-mio-、万代太鼓 華龍、永島流新潟樽砧伝承会ほか、公募出演キャスト。(欲を言えば、出演者や演目のテロップやタイムテーブルなどが示されると良いなぁと思いました。)私はいつものメンバー(=連れ合い)と軽く飲食しながら、スマホの小さなモニターを覗き込むようにして観ました。

勿論、お目当ては、Noism2×永島流新潟樽砧伝承会による名作「赤降る校庭 さらにもう一度 火の花 散れ」の部分再演。初演は2015年の8月、薄暮の校庭に灯された篝火のなか、その炎のゆらめきが醸し出す情緒と、そこに重なる繊細かつ力強いばち捌きから繰り出されるリズムとの三位一体を成し遂げ、「伝説」と化した感のある名作です。そしてその後も、ことある毎に「また観たい」と口の端に上ることが多かった舞踊でもあります。

15時、鼓童によるオープニングから始まり、NGT48の『Awesome』などを挟んで迎えた15:50、見覚えのある「にいがた総おどり祭」のプロモーションビデオが流れると、やがてそれが振付を行った山田勇気さん、そして永島流新潟樽砧伝承会代表の岡澤花菜子さんのインタビュー動画に繋がっていき、そのときが来たことを知ります。

奇しくも左上方の「赤地にM」が
色的に妙に調和してたりします(笑)

後方に樽砧の叩き手を配し、その手前、赤い衣裳の女性5人(青木愛実さん・兼述育見さん・小林亜優さん・土屋景衣子・渡部梨乃さん)、黒い衣裳の男性1人(糸川祐希さん)のNoism2メンバーが、6年前から全員入れ替わっただけでなく、そもそも新潟市に伝わる独特な音色にその身を浸していきます。この10分間だけは、当然ながら、ほかの一世風靡セピア然とした「前略、道の上より」(古っ!)的な時間とは異次元なもので、明らかに異彩を放つものになっていました。敢えて言語化してみれば、それは「ハレ」の祝祭空間がもたらす興奮に身を委ねるといったベクトルとは真逆で、叩き手と踊り手の磨き上げられた技量が(リモートといえども)観る者に陶酔をもたらし、そこに祝祭空間が立ち現れてくる、そんなパフォーマンスだったとでも言えるかと思います。殊に、ダンサーとも遜色のない岡澤さんの踊るようなばち捌きが刻み出す細かなリズムに応えて舞われた兼述さんのソロ部分など、(リモートといえども)まるで「1対1の決闘」ででもあるかのようなヒリヒリ感さえ伝わってきました。

本日踊ったNoism2のメンバーたちが全員、県外出身であることを考え合わせるとき、こうしたダイレクトに新潟市の歴史や伝統に連なる「演目」を踊る意味にも大きなものがあると思います。そしてそれと同時に、ここ新潟の地で、洋々たる「明日を創る」人たちであって欲しいと思いました。

活躍を期待しています、Noism2。

(shin)

BSN「ゆうなび」が伝える金森さん×東京バレエ団『かぐや姫』創作の様子♪

2021年9月9日(木)夕刻、BSNが平日18:15から放送している番組「ゆうなび」内で、10分を割き、「挑戦 Noism金森穣氏 東京バレエ団と“初共演” 新作『かぐや姫』を創作」の題のもと、クリエイションの過程を伝える特集を放送しました。

時刻18:26、特集は金森さんと井関さんが、東京都目黒区、大通り沿いにある一際目立つ西洋風の建物「東京バレエ団」のスタジオに入っていく姿から始まりました。

金森さんが演出振付を行う新作『かぐや姫』は、「日本最古の物語」と言われる『かぐや姫』に着想を得たもので、音楽にクロード・ドビュッシーが用いられ、かぐや姫、初恋の相手・道児、翁の3人を主要人物に展開する物語とのこと。

金森さん「皆さんも知っているような“王道のかぐや姫”なんだけど、エッセンスとして現代的な物語とか、あるいは自分が常々問いかけ続けている『人間とは何か』とか『人を愛するとは何か』とか根源的なテーマというものも、この『かぐや姫』にはのせられるし」

柄本弾さん(道児役)「穣さんが創っておられる過程に自分も参加できているというのもありますし、自分がやったことのない動きとか新しいことに挑戦できる毎日なので楽しくて楽しくてしょうがないというのは一番ありますね」

秋山瑛さん(かぐや姫役)「(穣さんは)漠然と怖い人なんじゃないかって思っていたのはなくなりました。(笑) 穣さんの中の『かぐや姫』っていうのはこういうふうに進んでいくんだなっていうのを今私たちもちょっとずつ、こうページをめくっている最中っていうか、でもすごく楽しみです」

一人の芸術家を介したつながり: 20世紀を代表する振付家モーリス・ベジャール(1927-2007)。国内では唯一、ベジャール作品をレパートリーにしている東京バレエ団と10代の頃に直接薫陶を受けた金森さん。

「東京バレエ団から依頼を受けたこともすごく自分の中で縁(えにし)を感じるというか、ベジャールさんが今“きている”のかなとは思うよね。失礼な言い方になっちゃうけど、(依頼が)遅いなと思った」と屈託なく笑う金森さん。

1964年の創設以来、古典バレエを活動の中心に据え、国内は勿論、海外は32ヶ国、155都市で775回と、日本で最も多く海外公演を行ってきた東京バレエ団が、世界への発信を視野に、新作を金森さんに依頼。

斎藤友佳理さん(東京バレエ団芸術監督)「東京バレエ団にとっても日本人振付家の作品を海外で上演するのはすごく意味あること。常に金森穣さんというのは私の頭の中にありました。彼の才能というのをもっと世界にアピールしていかなければいけないし」

Q:「Noism設立以来、外部での振り付けは初めて?」
 -金森さん「そう。新作を振り付けるのは初めて。なんていうのか、その挑戦がものすごく楽しいよ。それが何より大切なことだと思っていて」
 -金森さんにとっての挑戦: たとえば、ポワントシューズを履いた女性ダンサーの群舞を振り付けるのは初めてなのだそう。

金森さん「(東京バレエ団のダンサーは)バレエをメインでやっていらっしゃるから、それ以外の『金森穣の身体性』みたいなものは今回は初体験だから、そこは教えていかなければいけないし」

更に金森さん「『バレエと金森穣の身体性の融合』が今回の一つの東京バレエ団への振り付けの課題、テーマではあるよね」

両者の初共演に高い関心を寄せる評論家の三浦雅士さんがスタジオに足を運びました。「金森さんがね、ピークに接近していっているんだよね、今。自分のキャリアの絶頂の方に行っているの。新潟という所で元々の素地をつくって、その上で東京バレエ団という、率直に言えば、日本でほとんど唯一インターナショナルなバレエ団、そこで全幕物を目指して振り付けるというのはものすごく意味がある」と手振りを交えて話す三浦さんの様子からは内心の興奮が滲み出ていました。

金森さん×東京バレエ団の新作『かぐや姫』は全3幕物の構想。今回の公演はその第1幕、かぐや姫の誕生から都へ出るまでのストーリーが描かれる。

Q:「いい作品になりそうですか?」
 -斎藤友佳理さん「なります。もう絶対なりますね」

金森さん「自分たちの街(新潟)の舞踊団の芸術監督の作品をずっと見てくださっている方たちが、違う舞踊団の金森穣の作品を見るわけだから、うん、反応が楽しみ」

この日の特集は、笑顔の金森さんが椅子に腰を下ろしながら発した「一応できたぞ、全部」の声に、スタジオ内から拍手が沸き起こる場面で閉じられました。

期待の新作『かぐや姫』第1幕は、世界初演となる11月6日(土)、7日(日)に東京公演(同時上演『中国の不思議な役人』、『ドリーム・タイム』)、11月20日(土)に新潟公演(同時上演『ドリーム・タイム』)が組まれています。良いお席はお早めにお求め下さい。

(shin)