Noismプレビュー公演…そして、創作は続く(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@りゅーとぴあ)

プロジェクト・ベースで才能を呼び集めるかたちでの多くの公演が、「人の移動」に依拠する点において、コロナ禍の停滞に見舞われざるを得ないなか、それとは一線を画し、関係者が全て新潟市民であり、レジデンシャルでの創作を続けてきた点で、いち早く公演を実現させ得たこの度のプレビュー公演。金森さんにしてみれば、本公演を打てないことの無念さもあっただろうが、混迷を極めるなか、届けられた舞台には妥協などといったものは微塵も見て取れはしなかった。これこそが私たちが誇りとするNoismなのだ、そんな思いを抱いたのは私ひとりではなかったろう。

『Adagio Assai』

共振、共鳴、離れて向き合うふたつの身体が作り出す微細な空気の震えに目を凝らす冒頭。その後、別々の方向を向き、仰け反ったアンバー似の姿勢での静止を経て、デュエットに転じるや、醸し出されていく極上の叙情。その一変奏、スクリーン手前の井関さんが山田さんのシルエットと踊る多幸感溢れる場面に、心は引き付けられ、鷲掴みにされる。

『Adagio Assai』
撮影:村井勇

出会い、邂逅も、やがては別れへと。

そう、別れ。先に触れた仰け反った立ち姿では、自然と視線は上方向、それも遠くに向かわざるを得ず、その夢を追うかのような、ここではない何処かを求めるかのような姿勢が既に暗示していた帰結に過ぎない。「繋ぎ止めておくことなど望むべくもない」、最初からそんな予感漂う他者ではなかったか。

背後からその人の腕を追い、身体を抱こうとするも、痛ましくもすり抜ける、腕も身体も。そのさまは切なく美しい。今度は、揺さ振られ、掻き乱される心。そうして立ち去る井関さん、戻らぬ人。

「しかし、その人のことは一緒に踊ったこの身体が覚えている」、山田さんの身体がそんな声にならぬ声を発するのを、私の両目は聞きつけていた、間違いなく。

『FratresIII』

「贅沢だ、贅沢すぎる、どこを見詰めろというのだ」

勿論、金森さんのソロから視線を外すことなど出来ない。しかし群舞は群舞で、その同調性には陶酔に誘われるものがある。

『FratresIII』
撮影:村井勇

そこで、欲しいのは「近代絵画の父」ポール・セザンヌ(1839-1906)が提示したような多視点。しかし実際にはそんなもの望んでも無駄だ、無理なのだ。人の視覚には不向きな作品なのかもしれない。そのあたりをどう言おう、そう、神々しいのだとでも。神の視点から眺められるべき作品なのかもしれない。

光の滝の如く流れ落ち、身体を打ち続けた穀粒、足許に残るその無数の粒に、動く身体が残した軌跡の一様性にも息をのんだ。それは何やら梵字めいていて、そうすると、全体は動く曼荼羅のようでもあったな、また別な印象も湧いてくる。

もしかすると、この時分なら、恐らく、コロナ禍との文脈で見られることも多いのだろうけれど、それは極めて普遍的な性格を有する、多義的な作品であればこそ。

いずれにしても、これを観る者は揃って激しく鼓舞されることになるだろう。

『春の祭典』

休憩時間のうちに緞帳の前に、横一列、隙間なく並べられた椅子は五線紙めいた風情。

腰掛けに来る者はみな、社会を忌避し、拒絶し、常に怯え慄く者たちばかりだ。ほぼ他と目を合わせることも出来ず、隣り合う席に座ることなど嫌で仕方ない者たち。ためらいながら、或いは妥協したり、威嚇したりしながら、座る場所を選ぶさまはおしなべて不機嫌。他者と一緒になど毛頭なりたくはない胸襟を開かぬ楽音たち。

決して収まるべき場所に収まったとは思えない不穏な導入。イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)なのだ。不協和な楽音が形作る変拍子の律動、それが同調性を示してさえ、或いは、示すなら、その陰に、既に常に付き纏う不安や怯え。

不承不承にしろ何にしろ収まった筈の構図も、背後に、やおら、その口を開いた「魔窟」たる場に蹂躙され、無きものとされてしまう、易々と。

『春の祭典』
撮影:村井勇

やがて、「魔窟」がその本性を現し、魅入られたように足を踏み入れる楽音たちを絡め取っていく。その場の磁場に煽られて、身体内部に酷薄な獣性を目覚めさせる楽音たち。生じる同調圧力と暴力、或いは、お定まりの排除と生け贄。

その様子を観ているうち、想起された名前はトマス・ホッブス(1588-1679)。彼が人間の自然状態とみた「万人は万人に対して狼」「万人の万人に対する闘争」への逆行・遡行。

2020年の今、目撃しているのはまさにそれでしかなく、ここ新潟で、ストラヴィンスキーの楽音を介して、現代社会が内包する「病」に向けられた金森さんの今日的な視線が、幾世紀も隔てた古典的な知と極めて自然に合流することにハッとさせられたが、そんな途方もない結びつきと戯れる醍醐味は格別だった。

しかし、即座にこうも思ったものだ。今回、金森さんが使用したピエール・ブーレーズ(1925-2016)+クリーヴランド管弦楽団による『春の祭典』(1969年録音)を更に聴き込んで来年の本公演に備えなきゃ、と。インスピレーションの源泉に沈潜すること。

何しろ、相手は金森さんである。時間の限り、創作は続くのだろうし、これが最終形である訳がないことだけははっきりしている。 (2020/9/3)

(shin)

2020年8月 プレビュー公演を観て(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@りゅーとぴあ)

「えっ?これって本番じゃ…?」と驚いた感動の公開リハ。いい体験をしました。支援会員でないと参加できません。なっててよかった! まだ会員になっていない方、お得ですよ。いいもの観れますよ。ぜひどうぞ。

それから2ヶ月。待ちに待ったプレ公演。来年は本公演もあるからお楽しみはこれからだ。

今回はブラボー禁止令が出ていたのでスタンディングオベーションで力一杯の拍手を。 では、思いつくまま感じたままに。

『Adagio Assai 』:  動かなければ何も始まらない。満を持して片方がほんのちょっとだけ動くと、間の空気が動きもう片方が呼応する。気功をする両手の様な二人。 静止映像。スナップ写真。うつされた瞬間に過去のものとなる。時は進む。

「人は一人一人各々の川を持っている。普段は別々に流れているが、何かの加減で合流することがある。しかし流れの質、速さなどが違う為にまた離れて行く。一瞬でも合えば “縁”。」

その瞬間は真実だったのだ。

『Fratres III』:  暗いトンネルの向こうから現れる孤高の修行者。まさに真のソリスト。指導者でもアンサンブル(群舞)を率いるリーダーでもなく。 とはいえ、抜きん出てストイックに自らを律する。痛めつける。 修行の滝(またはもっと痛いもの)に打たれる時も衣服で防御せず生身で受ける。矜持。背中で教える、みたいな存在。

『春の祭典』:  ダンサーが各々違う楽器の旋律を担当。椅子の背もたれのデザインは五線。というのはリハを観た後で知った。その時はただただ「ベジャールも良いけど金森版よ〜く出来てるわ!」と思った。 楽譜の音を拾いながら振り付けしたといいますが、前知識が何にもなかったとしたら、「先に踊りがあってそれに合わせてストラヴィンスキーと言う人が作曲したんだとさ。」を信じる人がいるかもしれない。 実際、プティパの振り付けした白鳥の湖に合わせてチャイコフスキーが作曲したらしい。

『NINA』の生きてる椅子の作者の五線椅子、一個欲しいです。バリケードになったり柵や檻になったり大活躍でしたが、そこで思い当たった。 楽譜って、作曲者やアレンジャーが忘れないように書き留めておくもの。第三者が見ても分かるようにしておく記録。しかし音符にしてみれば線に串刺しにされてるか挟まれてるかである。身動きが取れない。本当は自由に動きたいのに。 そこで演奏者(今回はダンサー)の出番。秩序は保ちながらも音を楽しく遊ばせてやる。檻から解放する。

こう思い当たると楽譜の見方が変わった。高校の時ピアノの先生に言われるがままにやった曲を久しぶりに弾いてみた。もっともっと気楽に弾ける気がした。(要猛練習)

衣裳も良かったです。シャツのボタンをどこまで止めるかでキャラ、属性が変わる。全止めすれば丸っこくて女性または中性。外すと開衿で首元が鋭角になり男性的。これも良く出来てる〜。

今回の三作品のキーワードは“距離感”かもしれない。この時代に生きていればイヤでも意識せざるを得ない事。

音たちも距離を取ろうと病的に振舞っていたが、ズカズカ踏み込んでくる者がいたりして不協和音が生じる。音同士の距離が近いほど緊張感のある音になる。

しかし、そうならない事にはストーリーが動かないのだ。

まだまだ思い当たることは出てくると思われますが、こんなにみせていただいて、まだプレですよ!さらに進化、熟成するであろう本公演、楽しみです! その前に一月の公演もあるけど。 (2020/8/30)

(たーしゃ)

穣さん+佐和子さんインスタLIVE Vol.7は『バレエ談義』♪

日差しも和らぎ、風は秋色。2020年9月19日(土)は4連休の初日。その夜、21時より、穣さん+佐和子さんによるインスタLIVE Vol.7が配信されました。

先ず公開されたのは凜々しいふたりの画像♪インスタ・アカウントからの転載です。

この日の配信は、穣さん+佐和子さんのアカウントではなく、穣さんのアカウントで行われましたので、最初、見つけられなかった方もいられたのではないでしょうか。かく言う私も、おふたりのアカウントへ行って待機していたものですから、「なかなか始まらないなぁ」と思っていたところ、連れ合いから「もう始まってるよ」と言われ、「えっ!?」ってなって、慌ててストーリーに戻り、まだ「傷も浅い」ところから視聴することが出来ました。

このインスタLIVE Vol.7『バレエ談義』は、穣さんのアカウントにアーカイヴがありますので、よろしければ、こちらからどうぞ。(約56分)

以下に少し、内容をご紹介しようと思いますが、もともと、バレエの素養がない私には手に余る部分、伝え切れない部分が、これまで以上に多くあります。その点、ご容赦いただき、アーカイヴをご覧になる参考程度にお考え頂けたらと思います。

*バレエを始めた頃: 佐和子さん3歳から17歳にベジャールの許に行くまでバレエ一筋。穣さんは6歳で踊りを始めるが、最初はジャズで、バレエは10歳から。

*バレエって世界の入り口(佐和子さんの場合): 「ずっと大好き。パリ・オペラ座に入るって思ってた。私にとってそれは(きらびやかな世界とかではなくて)『芸の道』みたいなもの。ドキュメンタリーとか、どういう道で上り詰めていくかに共感していた。キラキラしたチュチュが着たかったとか、そういうのは全然ないの。ただバレリーナたちがカッコイイと思っていた。カッコイイ人への憧れから、そういう人になりたいと思っていた」(佐和子さん)「初耳だね」(穣さん)

*バレエって世界の入り口(穣さんの場合): 「男の子ひとりでタイツ履いて、女の子のなかにいて、始めた当時はジャズの方が好きだった。バレエは『基礎だからやっとけ』と父に言われてやっていた部分があった」(穣さん)(上の写真は、穣さん14歳、バレエ団の公演に出て、『くるみ割り人形』でクララの兄・フリッツ役をやったときのプログラム用のもの、とのこと。)「普段の先生・先輩が全然別人みたいになってそこにいる、舞台芸術としてのバレエの世界観に魅了された」(穣さん)「自分はその世界観のなかに入っていく自分が楽しかった。自分が演じる、表現するってことに快感を覚えていた」(佐和子さん)

身体と向き合うこと: 「年を重ねてくると真摯になってくる。続けていれば、向き合う日々も増える。若い頃のように勢いではいけないから、考える。骨格、構造がバレエのなかにあることに気付いていって、『凄いな、バレエって』と改めて思う」(穣さん)「40代になって、子どもが読むようなバレエ本を買い漁って読んでいる。でも、西洋で生まれて、彼らの骨格に合った方法論。ディープに入っていかないと、『同じ』ってところは分かりづらい。今は自分の身体にバレエの基礎がどう働くのか考えられるようになったから、凄く楽しい。昔は力任せにやっていたから、身体を壊したりもした」(佐和子さん)「自分たちの頃は表面的な『かたち』という捉え方で教えられていた」(穣さん)「日本人のバレエダンサーが踊るときに『かたち』に囚われ過ぎて、本質が出てこないことが多く、『真似事』のような気がすることも」(佐和子さん)「成長過程の身体を理解した上で進めていくためには知識も歴史も必要。バレエは身体を変えなきゃいけないから、時間がかかる芸術」(穣さん)

*バレエの/と歴史(西洋の場合): 「科学技術の進歩、医学の進歩のうち、身体に纏わることが徹底して研究されてきた。バレエは、イタリアで発祥、フランスで成熟、花開いたのはロシア(旧ソ連)。で、旧ソ連において、社会制度とマッチしたことが重要。貴族が愛する芸術分野を脱して、バレリーナを社会制度として育成する道、その文化を担う専門家を育てる道を選んだ」(穣さん)「欧州やロシアには、骨格や解剖学的な基礎の、その先に、『表現として何があるか』っていうことを見ようとする成熟した知性をもつ人が多くて、カッコイイ」(佐和子さん)「フランスの『個の力』、凄い。しっかりした教育制度で育てていくんだけど、『個の力』がポンッて出ると、その人が持っている魅力を評価する。全く異なる個性をそれぞれ芸術的な価値として評価するフランスらしさ」(穣さん)

*日本のバレエ: 「日本もそろそろ日本のバレエ、日本のスタイルを生み出していって欲しい。そうなるためには当然、教育制度だし、そのシンボルは新国立劇場。そのバレエ団が日本のバレエとしてオリジナルなものを作って、世界ツアーをして欲しい。吉田都さんが率いる次のステージに期待している」(穣さん)

*国ごとに異なるバレエのスタイル: Q:「どれが好き?」(佐和子さん)-A:「やっぱり、アメリカン。でも、(ジョージ・)バランシンはネオ・クラで、次の時代に入ってるから、クラシックのスタイルということで、ユーラシアに絞ると、(オーギュスト・)ブルノンヴィル。やっぱり速い、切れのある感じが好き」(穣さん)-A:「私は、ロシア寄りのフランス。子どもの頃、写真で見るロシアは大っ嫌いだった。美しいのは、フランス、ブルノンヴィル。英・ロイヤルだったら、ヴィヴィアナ・デュランテ(伊)。Kバレエで熊川哲也さんと踊った『眠れる森の美女』は何百回も観た。超美しかった」(佐和子さん)「だから、スタイル、って言うより、やっぱり人なんじゃない。フランスって言っても、80%はシルヴィ(・ギエム)でしょ」(穣さん)「あと、(ウリヤーナ・)ロパートキナ(ミハイル・)バリシニコフとシンシア・ハーヴェイの『ドン・キホーテ』(ABT)」(佐和子さん)「バリシニコフ、大好きだった。彼の創作もののソロ、動きも表現力も凄くて、印象に残っている」(穣さん)「バリシニコフは女性の私でも憧れる。身体的には小さいのに、あのテクニックと表現力。ああいうのを子どもの頃に観ていたから、『こっちの世界』にいるんだと思う。『ホワイトナイツ/白夜』も凄く観た」(佐和子さん)「勿論、(ルドルフ・)ヌレエフもバレエダンサーとしての可能性を開いたけど、創作もので、バレエの領域を飛躍させたのはバリシニコフ。バレエダンサーって感じじゃなくて、天才的なダンサー」(穣さん)

*ダンサーの引退に関して: 「パリ・オペラ座の引退は男女とも同じになって42歳。私は今年で最後?(笑)アメリカで、一番身体に負荷がかかる職業のナンバー1はバレエダンサーと。本当にそうだと思う」(佐和子さん)「肉体にかかる負荷は物凄いのに、非自然なことを事もなげにやることによるマジック。背後に、凄い稽古と長年の鍛錬がなければできない。それこそ、生き様というか、それに賭けている人しか、そこには行けない」(穣さん)

森下洋子さん 「子どもの頃からずっと、漫画仕立ての彼女の本を読み続けてきた。彼女は人生を賭けて舞台に立ち、今なお表現することに喜びを感じていて、お客さんも彼女の生き様を観て、それで成立しているもの。私はいつまでも踊っていて欲しいと思う」(佐和子さん)「実演にはピークがある。それを観たお客さんのなかの『永遠なものにしておきたいという心理』も否定できない。それも引き受けて踊る必要がある」(穣さん)「絶対、引き受けていらっしゃる。それがわかる。」(佐和子さん)「勿論、勿論」(穣さん)「ただ、自分が好きだから踊っているじゃない。全てを引き受けて、なお、自分に可能性を感じているから踊っている。今なお、自分が進化していると彼女が思えていることは凄いこと」(佐和子さん)「そうだね」(穣さん)「自分も、明らかに25歳のときよりは、40歳になった今の方が、表現ということを措いても、身体的に進化している部分があることは分かるから、70歳の彼女の場合も、絶対にあることだと思う。毎日、自分の身体と向き合って、自分の可能性を見つけ続けられる限りはずっと踊っていて欲しい」(佐和子さん)

*穣さんの場合: 「30代後半、なんとなく身を引き始めて、そろそろ引退かなと思ったけれど、そこからまたスイッチを入れて踊りを再開したときに、『Noismメソッド』をやりながら、気付くことが明らかに増えた。若い頃は考えてなかった。20代って、ちょっとストリートダンス的な感じになっていて、もう「どこでも踊れます」「なんでも来い」みたいな感じだった」(穣さん)「復活し始めたときに、私が本を読んでいて、『こうだよ、ああだよ』って言うと、聞き入れたから…(笑)」(佐和子さん)「それまでは?」(穣さん)「聞・き・入・れ・ない!」(佐和子さん)(穣さん、大爆笑)「その頃から私が『ここ、こうだよ。だから、こうなんだよ』みたいに言うと、穣さんが『あれ?あれ?』ってなり始めた。目の前にいる穣さんのアライメント(骨の配列)がバレエダンサーになってきた」(佐和子さん)「40代にして!」(穣さん、再び大爆笑)

*バレエの基礎がもつ意味: 「今、もう一度、バレエの歴史を自分の身体を通して遡っている感じ」(穣さん)「ここから、皆さんは崩していったんだ、って感じ」(佐和子さん)「ギリギリ俺らの世代はそこに戻ろうという意識をまだ持てる世代。自分の後の世代にはもう戻る場所がなくなっているように思う」(穣さん)「私たちは戻る場所があったから、そこに行けたけど。もうバレエからも入らない人たちが大半。でも、何事にも基礎が必要」(佐和子さん)「踊りだけじゃなく、あらゆる身体表現、或いは表現のなかで、基礎と呼ばれるものが失われていると言われる。今の時代、新しい基礎が必要だろう。また、振付と稽古とは別物。稽古が大事。稽古を蔑ろにしたら、もう基礎なんてなくなり、単にスタイルの話になっていっちゃう」(穣さん)「戻る場所がないと、振付は、終わったら終わり」(佐和子さん)「戻ることが大事。行ったばっかりになってしまうと、もうどこにも行き着かない。コンテンポラリーダンスでは、もう結構、その臨界点が来ているように思う。今、基礎としてのバレエを大事にするんだったら、そこから日本のバレエ、新しいバレエを考えていく必要がある。伝統だけではガラパゴス化してしまい、それが好きな人たち以外に感動を与えたりすることは出来ない気がする」(穣さん)「でも、バレエは凄い。何万回も『白鳥の湖』をやっていて、今なお、お客さんが観続けている。私は舞台の舞踊を観て泣いたのはバレエ以外、記憶にない。酒井はなちゃんの『白鳥の湖』を観て泣いたし…。それって凄い力だと思う。ストーリーも何もかも分かっていて、それでも人は感動するっていう…。だから、古い体質の人が『バレエをやれ』って言うだけじゃない気がしている」(佐和子さん)「それはでも、マスターピース(傑作)を相手にしているからであって、バレエがどうこうじゃない。『白鳥の湖』っていうのは、(マリウス・)プティパのマスターピース、チャイコフスキーのマスターピースっていう部分があるよね」(穣さん)「そう。だから、あなたの作品も頑張って世界中のバレエ団でやればいいんじゃない、っていうので終わっていい?」(佐和子さん)「ああ、もう時間?」(穣さん)→ふたり、大爆笑。「やっぱり、日本で作られた新しいバレエ、世界のバレエ団がレパートリー化するようなものを作らなきゃダメ。そしてそれに見合う舞踊家たちが必要だし、それをプロダクションとして支える劇場文化も必要。そこまでいかないと日本のバレエが確立されたとは俺は思えないんだよね」(穣さん)

*「バレエ談義」がそもそも…: 「こういう話になる予定じゃなかった」(佐和子さん)「そうだよね」(穣さん)「全然、日本のバレエ界の話みたいな…、じゃなくて、ただ、私はバレエが好きみたいな…」(佐和子さん)→穣さん、みたびの大爆笑。「私のバレエ熱を、次はチュチュでも着て気分を上げて」(佐和子さん)「バレエ談義2?」(穣さん)「タイツとチュチュで」(佐和子さん)「俺、タイツ?」(穣さん)…

…と、まあ、そんな具合でしたかね。私自身がバレエに明るくない分、取捨選択することもままならず、当初は簡潔にいくつもりが、逆にダラダラ長くなっちゃいました。スミマセン。m(__)m

で、次に行われるのだろう『バレエ談義2』については、ラストで、穣さんが、佐和子さんの想定する流れにマッチするような「まだまだバレエは奥が深い」、「我々にとってバレエとは何か」なども挙げておられましたけれど、同時に、それと並んで、「抱えている課題も多いだろうし」とも仰り、またまた楽しく迷走する「談義」になる可能性も秘めています。スリリングで聞き逃せない道理ですね。ではまた。

(shin)

本日(9/19)の新潟日報朝刊「窓」欄に拙文を掲載していただきました♪

先月末、かれこれ3週間前に地元の新潟日報紙「窓」欄に宛てた投書が、本日(2020年9月19日)の朝刊に掲載されました。下に載せますので、まずはお読みください。

2020/9/19新潟日報朝刊「窓」欄より

「投稿後、3週間」というのが掲載されるリミットのようですから、今回の投稿は「ボツ」なのだと思っていたところ、ギリギリ滑り込みで、6度目の掲載。新潟日報さん、どうも有難うございました。m(_ _)m

タイトルの変更と文章の整理を施していただいたうえでの、ギリギリの掲載は、採用されたタイトルが何やら中高生っぽくて赤面したくなる気も致しますが、「最高」は「最高」なんだから仕方ありませんね。そして、「最高」の2文字が持つ日報購読層への訴求力は小さくないのでしょうし。でも、そうなら、更にもう一歩踏み込んで「サイコーかよ」とでも表記して貰いたかった気も致します。(笑)

Noismの今回の公演のクオリティ、そしてそれを実現にこぎつけた関係者の方々の努力、それら全てが「サイコー」で、それら全てが「私たちの未来(新しい日常)を作っていく」、そう感じた次第でした。「未来とは、今である」とは、さる米国の人文学者(マーガレット・ミード(1901~1978))が語ったとされる言葉です。その意味で、「未来」に繋がる「今」を目撃した気持ちを込めて書いた文章でした。

追記: 平田オリザさんと金森さんの「柳都会」(2016/4/23/)につきましては、こちらにレポートをアップしてございます。そして、今回の投書で引いた元の発言は、「芸術そのものの役割」中の「被災時の『自粛』の風潮を巡って」語られたなかでお読みいただけます。気の利かない記事ですが、ご参照ください。

(shin)

本夕、BSNテレビ「ゆうなび」にて「サラダ音楽祭」が♪

新潟県内の皆さま、朗報です。本日の夕方(18:15~)のBSNテレビ「ゆうなび」のなかで、過日、同局クルーが同行取材されたサラダ音楽祭の様子がオンエアされるそうです。必見、必録ですね。

ワクワクものですね。で、放送後、同番組をご覧になられたご感想などもお寄せ頂けましたら幸いです。(以下、Noism Company Niigata のtwitterからの転載です。)

これを書いている今、時刻は朝の8時を回ったところ。あと10時間が待ち遠しい!BSNさんには、出来るだけ「尺」をとって頂きたいと思いますが、とりあえず、楽しみでしかありませんね。皆さま、どうぞお見逃しなく♪

*追記*  同特集の内容につきましては、下のコメント欄にて若干ご紹介させて貰いました。どうぞ、コメント欄にお進み頂き、併せてお読みください。

(shin)

サラダ音楽祭について-公演翌日はもはや恒例(?)インスタライブvol.6

この度の台風10号により被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。

さて、かずぼさんによる前日のサラダ音楽祭レポがあがったばかりのタイミングではありますが、「公演翌日トーク」は公演後の佐和子さんの精神衛生上必須ということで、「ならば止むなし」とばかり、こちらのブログも簡単に概略をアップすることに致します。かずぼさんの詳細な公演レポの「番外編」としてお楽しみ頂けましたら幸いです。

・穣さん、いきなりの「謝罪会見」は、舞い上がってやってしまった矢部さんとの「握手」について。そして、この後も時折、謝罪の言葉は繰り返されました。

・佐和子さん・穣さんともに昨日の一番の印象は、生オケのラストの一音が消えていく瞬間のこと。「生の残響が空間にまだ漂っている」(穣さん)「自らじゃない力で、更に静寂が閉じていく感じ、ホントに凄い。無音が音だと感じる」(佐和子さん)音楽が始まる前も客席は「ただ待っているだけじゃなくて、聴いている感じ」(穣さん)「音との向き合い方、また新しい何かを見つけた感じがする」(佐和子さん)

・「ラベルを初めてオケで練習した際、10分の作品が40分くらいに感じた。自分が知っている世界じゃないところに連れて行かれて、音楽が導いてくれて、砂漠を凄く長い旅をしているようなイメージだった」(佐和子さん)「一音と一音の間が録音よりもっと繊細で濃密」(穣さん)

・矢部さんの『フラトレス』、「まず驚いたのはクリアなこと。一音一音が粒立って全部聞こえる。濁りがない。繊細。これをどういうふうに自分の身体に落とし込んで踊るんだろう、どうやって矢部さんと対話していくんだろう、と思ったのが初日。2日目も矢部さんの音の純度に対して合うスピード感やタイミングを掴めてなかった。何かが違う」(穣さん)「表現として、どいうふうに作品を作り上げていくか」(佐和子さん)矢部さんと言葉でイメージを交換したのを機に「化学反応が起きた」(佐和子さん)「話したことで、動きながら矢部さんに何か送る感じになった。この方向性かも知れないと何か掴み始め、本番3時間前のゲネで、これが矢部さんと奏でる『フラトレス』なんだと確信を得た」(穣さん)「本番では、あの瞬間でしか生まれないものが生まれた」(佐和子さん)「ペルトの『フラトレス』を踊ったんじゃなくて、矢部さんと踊った、矢部さんで踊った感覚」(穣さん)

・オーケストラピットがなくて、背後にオーケストラを背負っていることの体験: オーケストラから、矢部さんから受ける熱い視線の体験、とても疲れた。「超見巧者に骨董を後ろから見られている感じ」(穣さん)

・スタンバイの穣さん: 「俺もオーケストラじゃん」で、オーケストラと一緒に入っていった。いつもの手を振る仕草、「やりおったな」(佐和子さん)「普段、幕の奥で必ずやっていること。自分の儀式として」(穣さん)

・対する佐和子さんはちょっと違うらしい: 「出て行くときから『入っていく』。人の作品という意識が結構あるから。作家がいる演者という感覚とあなたの場合の自らが作家の違いがある」(佐和子さん)「舞踊家としてのタイプの違いもある。俺は人の作品でも意外とやっちゃうタイプだから」(穣さん)「そうね、そうだね。ある、ある」(佐和子さん)

・感染対策、前4列空いている客席、正装した「黒」の団員→不思議な感覚、様々な「ゲスト感」、「『郷に入っては…』なんだけど、郷のやり方が全然分かんないんすけど、みたいな」(穣さん)

・音楽家に訊いてみたいこと(佐和子さん): 本番の緊張感、アドレナリンで身体が変わり、音がゆっくり聞こえたりして、いつもの時間がストレッチされる、イコール自分が俊敏になってくる状態に舞踊家はなりがち。音楽家はどうなんだろう。

・矢部さんの『フラトレス』と俺たちの『フラトレス』、江口さんのラベルと俺たちのラベル: 「実演に向けたコミュニケーションを深くとることも何か違うと思う部分がある。どう融合していくのか、共演して生まれる新しいものに出来ないか」(穣さん)「何か感じたかった。すぐに納得したくなかった」(佐和子さん)

・「Noism0に入りませんか」(穣さん)-「入ります」(矢部さん): 矢部さんとの(サイトウキネン以来)9年振りの共演は、矢部さんの猛アタックによって実現したもの。「サイトウキネンで得た何よりのものは矢部さんと出会えたこと。オーケストラの皆さんとも精神的に近付きたい。こういう機会、経験を積み重ねていきたい」(穣さん)

・Noismとしては、生で踊る機会が続く: オルガン(年末のりゅーとぴあ)、雅楽(年明けの京都)

・佐和子さんは公演後の割りに元気。「今回、興奮気味だったよね」(佐和子さん)「録音で踊っているときは『出した』という感覚になるのだが、今回は、矢部さんから貰って出している、ある種の触媒のように、何かが通過していったって感じ」(穣さん)

・矢部さんと佐和子さんふたりトークも実現したい、等々…

約55分弱、開放感たっぷり充実のインスタライブでした。以上で報告とします。

アーカイヴはこちらからどうぞ。

(shin)

サラダ音楽祭メインコンサートのNoism@池袋・東京芸術劇場 in 2020(サポーター 公演感想)

☆『Adagio Assai』(ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調より第2楽章)/『FratresIII』(ペルト:フラトレス~ヴァイオリン、弦楽と打楽器のための)

 池袋の東京芸術劇場でサラダ音楽祭メインコンサートを観てきました。 とても素敵なコンサートで、そのすべてについて感想を書きたいところですが、私の文章力ではだらだら長く散漫な文章になってしまいそうなので、今回はこのブログの趣旨でもあるNoism Company Niigataが出演した2演目についてレポートしたいと思い ます。

東京芸術劇場外観
劇場エントランス
サラダ音楽祭の垂幕がかかっている
コンサートホールへと続く長いエスカレーター
改修前はもっと長くて恐かった
エスカレーターをコンサートホール側から見たところ
地下の広場
受付
チケットは自分でもぎる

 

 最初の演目モーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」ではモダンオルガンも音を奏でましたが、その後の舞台転換ではこのパイプオルガンが隠れるほど大きなスクリーンが吊り上げられます。 いよいよラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調 第2楽章」のはじまりです(先日の新潟公演では「Adagio Assai(仮)」として上演)。指揮の大野和士さんと共にピアニストの江口玲さんが登場、演奏が始まるかと思えば、Noism0の井関佐和子さん、山田勇気さんがおもむろに現れ大きく踊りだします。冒頭の部分は「Adagio Assai(仮)」から、より大空間に対応すべく変更されたようです。

 江口さんの素敵なピアノの旋律と共に井関さん山田さんの舞踊がドラマチックに語られます。金森さんが以前「退団するメンバーとの別れの寂しさから小さな作品がつくれそう」とつぶやいていたのは、恐らくこの作品のことでしょう。2人のダンスは別れを語っているように感じました。井関さん山田さんの軌跡がストップモーション風に切り取られスクリーンに映し出されます。それはまるで流れつづける時間(現実)と、もはや永遠となった回想がオーバーラップして現れるように感じました。井関さんはオーケストラの間を抜け舞台後方に、山田さんは前方に留まり離れ離れでラストを迎えます。しばしの沈黙のあと万雷の拍手で賞賛されるお二人。

 続いて転換の後、暗転したままの舞台上にオーケストラメンバーと共に入ってきたのは金森穣さん。ヴァイオリンソロの矢部さんも自席で座ったまま演奏するようです。 舞台前方のリノリウム上で気合がみなぎっている様子の金森さんはこれまでにないほど大きく、異様な雰囲気を漂わせています。その直後に大野さんも入場すると場内から拍手が起こりますが拍手には応えず指揮台にのぼり演奏のスタンバイに入りました。 矢部さんのヴァイオリンが鳴ると同時に金森さんの身体が即座に反応し二人の激しい演奏が始まります。ペルトの「Fratres」です。次第に舞台の上手下手からフードで表情のみえないNoism1ダンサーがゆっくりと入場、芸術劇場の舞台上横いっぱいに広がり完璧なユニゾンを踊ります。金森さんは矢部さんのヴァイオリンソロと呼応、群舞はアンサンブルと呼応し演奏が繰り広げられます。金森さんの演舞は鬼気迫るものがあり圧倒されますし、対する矢部さんのヴァイオリンは冷静沈着な中に鋭さがあり、まるでサムライのような凄みがあります。また矢部さんは冒頭の超絶技巧後も、ソリストとオーケストラのコンサートマスターとしての役割を同時に担い、アンサンブルを率いつつソロを奏でます。

 Noismの踊りはコンテンポラリーでありながら原始的であり、純粋な祈りの儀式のように感じられました。「Fratres」シリーズ最終章となる「FratresⅢ」では「これからも踊り続けること」「新型ウイルスの終息」「舞台芸術の存続」の祈りのように感じられました(もちろん観る人によって感じ方は様々でしょう)。 ちなみに、これまでの「Fratres」シリーズでは天井より白いモノが落下してくる演出があり、それが非常に感動的なのですが、こちらについて興味がある方もいらっしゃると思いますので、単独公演との演出の違いについても簡単に書き記します。まず落下物の演出は照明を操作することで同様の効果が得られていました。またラストの円舞もスペースの都合上変更されていて、上手下手に分かれて非常にゆっくりと退場していき最後は金森さんだけが舞台上にいる、といった演出がされていました。

 打楽器の余韻が鳴り止むと同時にこれまた大きな拍手が起き、舞台袖に捌けていたNoism1ダンサーも舞台上に戻りカーテンコールに応えます。ここで金森さん、勢いのあまり矢部さんに握手を求めました。矢部さんは一瞬困惑したように見えましたが握手に応じていました(ちなみに指揮者大野さんと矢部さんは握手の代わりに肘タッチをしていました)。

 また演奏会の終演後は、再びのカーテンコールとなり今度は金森さんが臼木さん、江口さんと共に登場しました。ここでも大きな拍手が観客から送られカーテンコールが何度も続きました。 ちなみに、東京都交響楽団は7月に主催公演を再開しましたが都響会員・サポーターに限られていたため、今回のサラダ音楽祭が一般に開かれたコンサートの久しぶりの再開となったようです。 都響、Noismの公演を待ち望んでいたファンにはとても感慨深いコンサートとなりました。と同時に、いつもNoismの公演には必ず現れる熱いファンの姿が今回は見えなかったこともあり、新型ウイルスの影響により泣く泣く来場を諦めた、自粛した方もいらっしゃることも知っています。 本日のNoismの祈りが天に届き、早く舞台人が正常の舞台活動が出来る日が訪れることを私も願っています。

(かずぼ)