Noism2『よるのち』楽日、1日2公演を満喫

2017年6月25日(日)、Noism2特別公演『よるのち』楽日。
この日は早くから購入していた18:00の回に加えて、
頑張って20:00の回の当日券も手に入れ、2回観てきました。
否、単に観るだけの側が「頑張って…」などと書いたりするのは、
ホントおこがましいくらいに、大熱演の2公演でした。

前日(中日)18:00の回を観て帰路に着く私の心に、
何か後ろ髪を引かれるような思いが残ってしまっていたのです。
その正体とは、あれだけの舞台を1時間後にもう一度上演するなら、
「本当の『よる』」の時刻に『よるのち』を観てみたい、という血の騒ぎ。
同時に、20:00の回を見ようと入場していく人たちへの嫉妬心に似た気持ち。
それは、私だけでなく、多くの人に共通するものだったようです。
楽日、2公演の客席には、同じ顔ぶれが何人も見受けられたことが
如実にそれを物語っていました。
平原慎太郎さんと若き8人の「吸血鬼」に
嬉々として自らの血を差し出そうとする
まさに「被吸血鬼」の群れと言えそうです。(笑)

さて、話は少し脇へ逸れますが、
数多の「吸血鬼」もの映画が描いてきた、最も恐ろしい場面といえば、
いたいけで疑いを知らぬ美少女を捉えたカットに
背後から「吸血鬼」がフレームインしてくる場面と言い切って
間違いないでしょう。
そのシーンを成立させているのは、情報のギャップです。
「誰が『吸血鬼』なのか」という情報に辿り着けずにいる少女を、
とりあえず情報を手にし得る立場にある観客が見詰めることで、
そこにサスペンスが生まれることに説明は不要でしょう。

今回の『よるのち』の観客についてはどうでしょうか。
選んだ席によって見える場面もあれば、見えない場面もある。
それがかなり重要な鍵を握る場面であったとしてもです。
それこそまさに情報のギャップ。
私たち観客も、安穏として観ていられなかった筈です。
つまり、作品世界の時空が、私たちの現実世界を巻き込み、
浸食して拡がっていたのだと言えます。
私たちは作品の後半、鳥羽絢美さんが操る「妖力」の類いに
しっかり捉えられてしまっていたのではないでしょうか。
そのため、何度も進んで自らの血を差し出そうと
あの洋館に通い詰めた(或いは、通い詰めたくなった)のです。

初夏の怪奇譚。
全5公演中の4回、
彼女たちが示した、研修生カンパニーという以上の
見事なパフォーマンスを心ゆくまで堪能しました。
(細かいことですが、楽日20:00からの公演を観て、
早い回と遅い回とでは、カーテンの使い方が
違っていることも確認できましたし。)

しかし、あの「吸血鬼」たちであれば、
「またすぐにでも血を差し出したい」と、
なかなか血のたぎりが鎮まらないのは私だけではない筈です。(笑)
再演は難しいかも、ですけど。 (shin)

Noism2『よるのち』中日、「さ、噛むまでよ。噛むだけ。」

2017年6月24日(土)、Noism2特別公演『よるのち』中日は2公演の日。
前日に続いて私の2度目の鑑賞は、18:00からの早い回でした。
初日の舞台を観て、私に書き得る大概のことは既に書いてしまっているため、
今日は短めに。

(この投稿は、初日のコメント欄に載せていたものを、読みやすさに配慮して、
若干の加筆・修正を施したうえで、独立した投稿に改めたものです。
その点、お断りしておきます。)

前日はド正面、議場の「36番」椅子席に座ったのですが、
この日は角度を付けて、正面上手側最前列のクッション席を選びました。
すぐ前を、鳥羽さん、西岡さん、秋山さん、西澤さんはじめ若い身体が
空気を震わせながら妖しく舞い踊るのを直視できる席です。
臨場感たっぷりに、大迫力で舞台を満喫できる点で、ここ、お勧めです。

8人の若手舞踊家揃って、大熱演の『よるのち』。
2回目の鑑賞となるこの日は、
片山夏波さんのダンスに目を奪われました。
目の動き、表情を含めて、
まさに何かが降りてきて憑依し、彼女の肉体を借りて踊っている、
そうとしか思えないような凄みに溢れていました。
そして、ラスト、彼女が見せる象徴的な「噛む」行為は、
驚愕で、身震いがするほどです。

『よるのち』、この雰囲気たっぷりの舞台に向き合うのに、
何も難しいことを考える必要はありません。
作品中間部の鳥羽絢美さんの台詞「さ、噛むまでよ。噛むだけ」が
そのあたりを端的に表してくれているとも言えます。
身構えることなく、ただ見詰めるのみです。
私たち観客は目で「吸血」するのでしょう。
(もっとも、舞台での「吸血」行為も「噛む」かたちでは行われていませんでした。
それではどうやるのかというと、
冒頭の秋山さんの語りに表れる仕草からほぼ一貫して、・・・
おっと、それは書けません。見てのお楽しみということで。)

・・・しかし、そもそも観客は「吸血」する側でしょうか、
それとも、される側でしょうか。
PCの前でこれを打っている私は、
見終わるや否や、次が待ち遠しい気分になりました。
どうやら、「吸血」されて、
「一瞬の痛みだけを受け、実感なるものが作る世界から逃れる」(平原さんによる台本)
気分を味わい、「次の痛み」が待ち遠しくなってしまったのでしょう。

ご覧になられたみなさんはどんな印象をお持ちでしょうか。
コメント欄にてご紹介頂けましたら幸いです。
残すは、楽日の2公演。
未見の方は是非ともお見逃しなく。 (shin)

『よるのち』初日、新生面で魅せるNoism2

2017年6月23日(金)、Noism2特別公演、
平原慎太郎さん演出振付の新作『よるのち』初日を観てきました。

場所はりゅーとぴあのお隣にある建物、新潟県政記念館の議場。
コの字型に設えられた往時の議会席、その長机と椅子。
そしてその内周にキレイに据えられたパイプ椅子席と
正面には更に最前列としてクッション席が1列。
それらが描くコの字に囲まれた内側の床面が舞台です。
客席は多様な自由席ですから、
どの席を選ぶか迷いますが、
座る場所によって見えるものが異なってきます。

ほの暗い議場、
下手奥の壁に架けられた大きな柱時計が7時を刻むと、
情緒たっぷりに、かそけき鐘の音が数度聞こえてきます。
上手奥の「書記」席、今公演で退団される秋山沙和さんが
落ち着いた口調で真剣かつユーモラスに「公演中の注意」をしたかと思うと、
そのまま語り続けながら立ち上がり、黒いマットへと移動して、
公演内容へと繋がっていきます。
今回の『よるのち』は随所に言葉が語られる多弁な作品で、
「吸血鬼」を扱った野心作です。

作品中に触れられるように、世界各地で「吸血鬼」伝説は見出せるとしても、
「吸血鬼」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、
やはり古城を舞台にした、「あの」ゴシックロマンスでしょう。
県政記念館の堅牢そのものの議場はぴったり。
更に、「吸血鬼」作品にあって、
血を吸われる美少女の存在も不可欠とするなら、
うら若きNoism2の8名はまさにぴったり。
両者を得て、新潟で、平原慎太郎さんが一ヶ月をかけて制作した
妖しい世界が立ち上がります。

鍛錬を重ねる身体であると同時の、弾力に富む若い肉体。
纏わり付く髪の毛、首筋、汗ばむうなじから、
胸元、背中、たくし上げられ露出する脇腹や突き出される臀部を経て、
足の付け根、太腿、白く浮かびあがる艶めかしい足先まで。
こぼれて突出する肉体の「隙間」、そのフェティシズム。
そして真っ直ぐ前のみを見詰める目を含めて、
若い血と永遠の生を巡って、たちこめる頽廃的な官能性。
文字通り、地を這う鳥羽絢美さんをはじめ、今回、8人の若い舞踊家が示したのは、
健康的に躍動する身体とは真逆に位置する、伏して悶え、喘ぎ、捩れる身体。
「吸血鬼」と、それにおののき、やがて蹂躙される美少女を観ることの愉悦。
禁断の倒錯性、或いは嗜虐性に浸る時間、それはまさに快楽。
そして、吸う側と吸われる側の反転する関係性、
加虐と被虐とが絡み合い、縺れるさまも見所のひとつで、
50分の公演が終わるその瞬間まで、次の展開の予想がつきません。
私たちは何を観ているのか、
そして今、ここが、いつでどこなのか、
それらが判然としなくなる感覚に痺れます。

かように書いてくると、「男性目線」優位の見方・書き方と思われるかもしれませんが、
そのあたりは、実際、どうなのでしょうか。
見入るうちに、性別を超えて、己の中に「吸血鬼」を見出すのが、
この妖しいゴシックロマンスの醍醐味ではないでしょうか。
女性の目にも同じように映じていたはず、と信じます。

若い(女性ばかりの)舞踊家集団であることを最大限取り込んだ
平原慎太郎さん書き下ろしの『よるのち』は、
ですから、Noism2の新生面を開く作品とも言えるでしょう。
今のNoism2が、今というこの時にしか生み出せない作品かもしれません。
演出振付の平原慎太郎さんが「吸血鬼」なのか、
Noism2が平原慎太郎さんの血をその8つの若い肉体で吸い尽くすのか。
飲むか飲まれるか、
その判定をしながら観るというのも一興でしょう。

終演後、会場でお会いした「Noism愛」では人後に落ちない方々から、
口々に、「shinさん、こういうの好きでしょう」と見透かされてしまうと、
やや書きにくい気持ちもあったのですが、
Noismサポーターズ(Unofficial)事務局「黒一点」(!)の私が、
この怪しく妖しい世界を観たまま、感じたままに書かせて頂きました。
不穏当な部分もあるかもですが、ご容赦願いたいと思います。(笑)

そんなスリリングな意欲作『よるのち』、
明日(土曜)、明後日(日曜)はそれぞれ2回公演。
各回、若干の当日券も出るとのことですし、
日曜日の2公演はまだ席に余裕があるとのこと。
私はあと2回観ます。
初日夜ののち、
今度はどの席に座ろうかと今からワクワク。

今までのNoism2とはひと味違った「若さ」が
観る者の目を魅了する今回の『よるのち』、
あなたの目にはどのように映りますでしょうか。
是非ともご覧ください。

追記
この作品が気になる方や平原慎太郎さんのファンの方に向けた嬉しいお知らせです。
会場にて、平原さんによる台本「舞踊戯曲『よるのち』決定稿」が
各回限定10冊、2,000円で販売中です。如何でしょうか。ご検討ください。
(shin)

新潟3デイズに幕、感動の舞台は埼玉へ

2017年5月28日(日)夕刻、正確には17時半過ぎ。
今回はいきなりその時刻の心境から書き出します。

その時刻、・・・
はや1時間も前に、Noism1ダブルビル・新潟公演(全3公演)は、
客席からの鳴りやまぬ大きな拍手と
飛び交う「ブラボー!」の掛け声をもって、
感動のうちに楽日の幕を下ろしてしまっていた、そんな時刻。

アフタートークを終えてさえ、なお日は高かったものの、
既に先刻、羨望の的たる「世界の中心」が
新潟から埼玉へとシフトしてしまったという思いを抱えつつ、
場所を移して座った、さるカフェの屋外ベンチ。
珈琲のカップを傾ける者たちの上に注がれていたのは、
まったく艶を欠いた日光であり、
その抜け殻のような光を照り返す街の姿もやはりどこか虚ろで、
それらは全て、心の中の寂寥感のなせる業。
感動と感傷、否、感動から感傷へ。
他でもない、早くも、所謂「Noismロス」に陥ってしまっていたに違いありません・・・。

   ☆   ★   ☆   ★   ☆

新潟3デイズを終えて(寂しさと共に)振り返る
感動のダブルビル公演、
全く趣きを異にする2作とも見えますが、
初日のアフタートークでの客席からの感想にもあったように
大きな共通点を有する2作ともとれました。

異なるベクトル。
間断なく耳をいらだたせるノイズ群に合わせて、
脱中心化され、拡散する印象の身体と
甘美にうねることで心を揺さぶるワーグナーの旋律へと
一分の隙もなく収斂していく雄弁な身体。

しかし、観点をずらすと見えてくるものも変わります。

両作品に共通するもの。
抗いようにも抗い得ない物理的な事実と、
如何に抗い得ないとしても、それでもなお抗うよりない身体。

人など卑小な存在に過ぎませんが、それでもなお抗う、
その身体が内側から発光するさまを目撃すること。
刹那の輝きという共通点。
そしてそれがまさに刹那のものであるがゆえに、
心は揺さぶられずにはいないのだと言い切りましょう。

「見る」という特に何の変哲もない営為を通してではありながら、
どのように作品にコミットするかが大きく分かれる2作。
舞踊の多彩さの一端に触れるのが
観客としての最も豊かな振る舞いであることは言を俟ちません。

ここまで書いてきて、はたと気付くのは、
どんなに言葉を費やしても、「良いものは良い、ただ見詰めるのみ。
そして感じるだけ」と言うのと何ら大差がないという事実。
私のような者が語っても、端から同語反復の徒労に終わる他ないのでしょうが、
新潟3デイズを終えた今に至り、
見終えて、こんなにも寂寥感を掻き立てる感動の舞台を、
埼玉でも、是非とも多くの方にご覧頂きたいとの思いから、
非力を顧みず書いてきたような次第です。

今回、埼玉へ行くことが叶わない者にとっては、
感動が大きかった分、ぽっかり空いた穴も大きい訳ですが、
所詮、相手は刹那なるもの。
ここは気持ちを切り替えて、
網膜を通して刻まれた記憶を愛撫し、或いは咀嚼しながら、
また再びNoism1にまみえる日を待つことにします。

埼玉公演は今週末の全3公演。
圧巻の舞台をご堪能ください。 (shin)

快調!Noism1ダブルビル新潟2日目、そしてサポーターズ懇親会

2017年5月27日(土)、突然、一時的に雨が落ちてきたり、
風が強くて、体感気温も低く感じられる街を移動して、
りゅーとぴあに着くと、
そこは硝子張りの劇場ホワイエ、
風は遮られ、太陽光だけが差し込む空間では軽装が正解。
17時の公演を待つ気持ちの昂ぶりと相俟って熱気が感じられる空間でした。

まずは山田勇気さん振付のレパートリー『Painted Desert』。
美しく移り変わる照明と、印象深いシルエットが、
耳に届く不穏な音響を更に際立たせていきます。

8人の舞踊家が息づく場所、
何物も根付かせることのないトポス、「砂漠」。
安らぎをもたらすかのように映じたとしても、それは蜃気楼かもしれず、
徹底して起承転結を欠き、人を弄ぶ「砂漠」。
そして何人(なんぴと)といえども座ることを拒む椅子。それもまた「砂漠」。

突出する身体、しかしそれも消えゆく定めから逃れられることなどない、まさに刹那。
「砂漠」の悠久に対して、人が刹那を彩る、「painted desert」。
ラスト、セピアの照明を浴びて談笑する8人のうち、
ひとり客席を向いて、口を動かし、しかし、音声にはせず、
「何か」を伝えてくる池ヶ谷さんを目にするまで、
50分間、「作品の強度」(金森さん)と8人の強靱な身体に目は釘付けです。

そして金森さんの新作『Liebestod – 愛の死』。
ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』が流れ出すと、
いとも易々と作品世界のなかに投げ込まれてしまう感じは前日と変わりません。
二日続けて観るので、幾分か落ち着いた心持ちではいられましたが、
ふたりの舞踊家が流麗に、あくまで流麗に可視化していく「愛と死」、
そして「その後」に、身を乗り出すようにして見入っていると、
心を鷲づかみにされて、
自然と鼓動が速くなり、
耳たぶが、目頭が熱をもち、
遂には、涙腺が崩壊寸前になってしまう他ありません。

この感動は言葉では伝えきれない類いのものですし、
敢えて言葉にしてみても陳腐なだけで、
到底、この20分間の何物も伝わったりはしませんから、
観る以外にない、何度も観たくなるとしか書けません。

アフタートークを終えてから、
サポーターズとしても初の試み、懇親会(19:30~)が開催されました。
場所は、白山神社近くのオリエントイタリアン「Iry(イリィ)」。
参加した18名のなかには、遠く京都、横浜からお越しの会員も含まれ、
美味しいお料理と飲み物を肴に「Noism愛」が繋ぐ絆を堪能し、
和気藹々のうちに、楽しい夜は更けていきました。
またの機会がありましたら、是非多くの方からご参加頂き、
Noismについての熱い思いを交換して頂けたら、と思います。 

本日は、ダブルビル新潟公演の最終日、
感動の待つりゅーとぴあ・劇場へ是非。
(shin)

雨の新潟にNoism1降臨 ー 『Liebestod – 愛の死』『Painted Desert』ダブルビル公演新潟初日

確かに天気予報では高い降水確率の予報が出ていたようでしたが、
街には傘を持たずに出掛けてしまって
時ならぬ激しい雨にうつむき加減で早足を繰り出す人々や、
傘を差していても結構な雨量に足許が濡れるのを如何ともしがたい人々の姿が見られ、
「ならば、車で」と思っても、隣の県民会館でも集客の見込めるイベントが組まれており、
車は車なりに大変だったのだろう、新潟市、2017年5月26日(金)の夕まぐれ。
そんな様々な不都合を越えて各所からりゅーとぴあ・劇場に集った私たちの眼前に、
満を持して、Noism1は降臨したのでした。
それはまさに金森穣さんと山田勇気さんの見えない手と舞踊家の身体によって描き出された、
ふたつの非日常。

この日、初日を迎えたダブルビル公演は
まずは、山田さんがNoism2に振り付けたレパートリー『Painted Desert』から。
かつてNoism2で観ていた作品をNoism1が踊ることに興味をそそられました。
間断なく耳を襲う不穏な地鳴りの響きが緊張感を高めるなか、
冒頭から石原悠子さんが、井関佐和子さん抜きのNoism1を牽引して、
圧倒的な存在感を示します。
他の舞踊家も、椅子に沈み込む姿が、或いは床に身を縮めて眠る姿が、
尋常ではないエッジの利いた身体として静止を続け、もうそれだけで目を惹き付けます。

白眉はやはり中川賢さんと池ヶ谷奏さんによるブラインド・パ・ド・ドゥ。
この作品は「レパートリー」ということですから、
ふたりが完全に目をつむったままで数分間踊るということは書いても差し支えないでしょう。
その姿を観ているだけで、舞踊家の緊張感がダイレクトに伝わってきます。
そしてこの日、私の目に強い印象を残したのは、他ならぬふたりの掌のセンサー。
目という感覚器官の代替物としての掌。見詰める私の目は釘付けでした。
力を抜き、柔らかく、緩やかにほんの少し曲げられた五指が
相手の身体を繊細にキャッチする様子、
それは同時に実に艶めかしくもありました。

照明も美しい作品です。

15分の休憩を挟んで、今度は金森さんの『Liebestod -愛の死』、文字通り世界初演。
ワーグナーの蠱惑的な旋律が流れるなか、
暗闇の下手側に一筋の光が落ちてくると、そこには吉﨑裕哉さんの後ろ姿。
その立ち姿だけで、既に「末期」が表象されています。
再び暗闇。次に上手側で照明が、こちら向きの井関さんの「歓喜」を捉えます。
「実験的な作品ではない。思いっきり感情で作っている。これが金森穣。」(金森さん)
観る者の心を掴んで、虜にしてしまうのにまったく時間は要しません。
見事な滑り出しです。

衣裳、照明、そしてシンボリックな装置の力も相俟って
ほんのふたりしか登場しない作品とは思えない程の空間的、時間的な広がりをもって
観る者を眼福へと誘います。
今、新潟に、井関さんと吉﨑さんがいて結実し、
ふたりの存在が不可欠な作品にして、
感涙必至の名作なのですが、
これより先は、これからご覧になる方に配慮して、あまり書かないでおきます。

ただ、アフタートークの最初、用紙での質問がなかったばかりか、挙手さえもなく、
金森さんが「新作の発表というのに『驚愕の事態』」と笑ったことを書き添えておきましょう。
観客はもれなく作品世界から現実世界への帰還を果たし得ないでいたからに相違ないのです。
この作品はかくの如く観る者を連れ去ってしまうことでしょう。

ここでは、舞台について直接触れることはせずに、
金森さんがその初日のアフタートークで、この作品について語った言葉を紹介することにします。
「憧れのために死ぬのではなく、憧れながら死ぬのだ。」(ショーペンハウアー)
「生は死のなかに取り込まれていて、死のなかの一瞬が生である。」
「(井関さんの「歓喜の女」には)悲しみにくれる女性であって欲しくない。
絶望的な悲しみを超越して立つ姿。それこそ、舞踊家の姿とも重なるもの。
冷ややかな視線や、酷評を前にしても、それを受けて立ち、
踊らなければ生きていけない存在。舞踊家のあり方。」
「劇場は、そうした舞踊家の生き様を見ることに喜びを感じる人が集まる場所であって欲しい。」(金森さん)

   ☆   ★   ☆   ★   ☆

アフタートークでは、金森さん、山田さんおふたりとも、
今回、狭いスタジオ公演ではなく、劇場という広い空間での公演ということから、
席によって見え方が全く異なるので、
是非、席を変えてもう一度見て欲しいとも言っておられました。

また、「今の時代、物質的に恵まれていて、自己表現が容易な社会という側面もある。
そのなかで、敢えて人を集めてまで、人と共に舞台芸術を作るには相当な覚悟を問われる。
作ることは魂の所在を示すこと。」と金森さん。

振付家と舞踊家の覚悟に満ちた舞台は必ずや観る者の心を強く揺さぶることでしょう。
生涯に渡る感動が待っていると言っても過言ではありません。
是非、一度、いえ、一度と言わず劇場へ足を運び、
己の身体と向き合う舞踊家の姿を前に、
感動を共有してみませんか。  (shin)

Noism1『Liebestod −愛の死』プレス向け公開リハーサル&囲み取材に行って来ました

Noism1ダブルビル公演の初日を8日後に控えた2017年5月18日(木)、
りゅーとぴあ・劇場での新作『Liebestod – 愛の死』プレス向け公開リハーサルと
それに引き続いて行われた、金森さんの囲み取材に参加して来ました。

午後3時を少しまわり、劇場内へと促され、
客席に腰を落ち着けて前方を見やると、
既にふたりの舞踊家はステージ上にいて、
動きや立ち位置を確認していました。

正面奥の金色(こんじき)の手前、黒い床面の上、
金色の髪に白い衣裳、或いは黒髪に白い衣裳が目を奪います。
今回、大役を務める若い舞踊家(吉﨑さん)が目や口を思いっきり広げ、
表情筋を大きく動かすことで、緊張や体をほぐそうとするなら、
成熟した舞踊家(井関さん)は照明スタッフに語りかけ、
両手を腰にあてて大きく頷いています。

客席に身を沈めた金森さんの「いきましょう」と囁く声が聞こえたかと思うと、
本番さながらの照明と音楽が訪れ、通しの公開リハーサルが始まりました。

リハーサルなら、先日もスタジオBで見せて貰っていましたが、
衣裳と照明とが加わると、やはり別物。
ふたりの舞踊家による「愛と死」を巡る舞踊は
「ふたりきり」の舞踊であるということが嘘のような
壮大なスケールをもって胸に迫って来ました。
その迫力ある非日常の美しさを伝える言葉など見つけるべくもありません。
是非ともご自分の目で観て、圧倒されて欲しいものです。
このうえなく豪華で、このうえなく濃密な20分間であることだけは確かです。

リハーサル後はホワイエに場所を移して、
金森さんの囲み取材がありました。
新潟の報道各社が揃って参加していたことに、
Noism1新作へと注がれる関心の高さが窺え、
嬉しく感じました。

質疑応答の形で金森さんが語った事柄のなかから一部紹介させて頂きます。

〇今、この作品を作る意味について
「現代の社会は決して明るいものではない。
未来に対して希望を抱けない若者も多いと聞く。
それだけに、人を愛することや、生きることに、
純粋に真っ直ぐ向き合う非日常的な感動が必要な時代なのだと言える。」

〇光を用いた表現について
「そもそも光がなければ何も見えないのだし、
光は舞台にとって最も不可欠な要素。」
「それは生と死、或いはその境界のメタファーであり、
影は実存のメタファーでもある。」

〇吉﨑さんのキャスティングについて
「最初は驚いただろうけど、嬉しかったと思う。
彼は野心もあるし。どんどん良くなってきている。」
「身長も高く、筋力にも恵まれていて、今回のハードな役にはうってつけ。」
「自分がここまでひとりの舞踊家にエネルギーと愛情を注いだことはないくらい。
今までにない吉﨑裕哉をお見せできるはず。」
「彼を念頭に置いた『あて振り』もあるし、敢えて全く別のものを求めた部分もある。」
「若い舞踊家(吉﨑さん)と成熟した舞踊家(井関さん)が描く愛の姿を観て欲しい。」

〇ダブルビル、もう一本の山田勇気さんの『Painted Desert』について
「ほとんど見ていない。見ると何か言いたくなっちゃうから。
舞踊家たちは、山田勇気という自分(金森さん)とは違う振付家にどう向き合うかが問われている。」
「金森穣以外の作品をどういうふうに踊れるか。
そして、お客さんが観て、今までにない発見があるのでなければ、
(Noism)1がやる意味はない。」・・・等々。

到底、紹介し切れるものではありませんが、
ここはひとまず、「最近、あまり感動してないなと思ったら、劇場に来てください。
劇場に来れば感動します」
(金森さん)という言葉をもって締めくくりとします。

金森さんが18歳のときに魅了されたワーグナーの楽曲、それ以来、25年。
今、ここに機が熟するかたちで届けられる
Noism1最新作『Liebestod – 愛の死』、その世界初演。
新潟は来週末、埼玉はその翌週。チケット好評発売中。

是非、純粋な「感動」が待つ劇場へ。
心が震えます。
ただひと言、必見とだけ。
もうそれで充分なはずです。 (shin)

ブカレスト公演直前公開リハーサルを観てきました♪

3月25日(土)正午、
漸く「遅い春」の到来を思わせる日差しは「マランシュ帝国」ならぬ、新潟市。
りゅーとぴあ・スタジオBを会場にして、
活動支援会員対象、定員15名(申込先着順)のみ観覧可という
ブカレスト公演直前公開リハーサルがあり、途中15分の休憩を挟んで、
劇的舞踊『ラ・バヤデール -幻の国』全編を通して見るという光栄に浴しました。

いつもお見かけする顔、顔、そして顔。
みんな頑張って申し込んだのだなぁ、と感心することしきり。

来月には市内でも熊川哲也 Kバレエ カンパニーの『ラ・バヤデール in Cinema』の
公開(2週間限定)予定があり、
映画館での予告編で、ミンクスの音楽を耳にしていた折も折、
私たちサポーターにとっては、こちらこそが大本命。
このNoism版『ラ・バヤデール』に魅せられた、
「やまいだれに隠れる」と書く「癮(いん)」の身には、
この日の公開リハはまさに「劇的」舞踊だった訳です。

一部、衣裳を纏って踊る舞踊家も含まれていましたが、
多くは普段の練習着姿。
各舞踊家の好みや趣味なども垣間見えて、その点でも楽しめました。
セットの慰霊碑や小道具も、既にブカレストなのかもしれません。
とてもレア度の高いものを見せて貰いました。
なにしろ、スタジオBの鏡に沿って一列に並べられたわずか15脚の椅子にかけて、
息遣いも聴き取れるほどの至近距離から観れたのですから、
こんなに贅沢なこともそうはないはずです。
「活動支援をしていて良かった」、そう思いながら、目を凝らしました。
(支援の寄附金も「寄附金等特別控除」が受けられますし。(笑))

「ムラカミ」を演じる貴島さんの張りのある声でリハーサルは始まり、
私たちの膝小僧を掠めて、貴島さんが通り、
石原さんが、中川さんが、そして井関さんが踊っていたのです。

この日、大僧正ガルシン役の奥野さんは不在で、
私たちと並んで腰掛けていた山田勇気さんがガルシンの台詞を読み上げていたほか、
第1部、婚約式へ至るくだりには、台詞も少し足されていて、
ミランを始末しようと企む「特務機関」の意図が鮮明になっていましたし、
カリオン族のヨンファを池ヶ谷さんが、
メンガイ族の少年を浅海さんが踊るなど、
キャストにも入れ替えが有ったりして、
新鮮な気持ちで興味深く見詰めました。

そして、たきいさんの品のあるフイシェンや、
バートルを案ずる幼馴染みアルダル役のチェン・リンイさんの
役になり切った、まさに迫真の、素敵な舞踊を、
再び、あんなに間近に見れたことにも感激しました。

やはり名作です、こちら。
見とれてしまいました。
ブカレストはチケット完売とか。
膨れあがったフルハウスの劇場で、かの地の観客を魅了すること必至。
聞こえてくる評判が楽しみですね。

ルーマニアまで駆けつけてご覧になられる方々、
誇らしい思いを胸に、くれぐれも楽しんで来てください。
報告をお待ちしております。
対する、「国内待機組」は、本日よりチケットの一般発売が始まった
Noism1のダブルビル公演を、
ワクワク、気もそぞろに待つことと致しましょう。 (shin)

マッチ+パッサ千秋楽を終え、スタジオB撤収 まだ観足りないなら・・・

2017年2月26日(日)の朝は晴天、青空が広がった新潟。
Noism1『マッチ売りの話』+『passacaglia』新潟凱旋公演の千秋楽の日。
ここまで高い確率で雪に見舞われてきた今回の長丁場の公演も、
最終日を迎え、よもや雪など想像できないほどに
ポカポカの午前中でした。

がしかし、公演時間の一時間半前の13:30、
一天にわかに掻き曇り、
途端に、大粒の霰(あられ)が垂直に落下をはじめ、
音を立てて、屋根を、地面を叩き付けることになろうとは誰が予想できたでしょうか。
それも色こそ違え、ミモザの黄色を降らせた劇的舞踊『カルメン』を彷彿とさせる勢いで。
最後の最後まで、天候を味方に付けるとは、
やはり名作のなせる業に違いありません。

そんな天候のなか、開演時間が近づくと、前日書いた「ラス前」のレポートのように、
否、それ以上に、この日の公演を楽しみにして、
ホワイエに集結してくる「Noism愛」の面々を目にし、思わず笑みが零れました。

でも、それも束の間。
最後の公演が始まると、
舞台から10人の舞踊家が10人とも、
いつも以上に思いを込め、気合いを入れて踊っているのがビシバシ伝わってきて、
それを受け止めるこちら側としては、魅了されながらも、
同時に寂寥感がこみ上げてきてしまうのも致し方なかったことかと。
やはり千秋楽は普段とは違うものなのでした。

普段とは違う・・・。
手許のチケットは今日で尽きてしまったというのに、
感覚はまだそれについて行けず、
また次の週末には、普通に、スタジオBで公演がありそうな気がして、
それを打ち消すのがとても切ない、そんな心持ちです。

ホワイエで行われた終演後のアフタートークも、
平行して撤収されていくスタジオBという現実を受容することを求めてきました。

「今日で千秋楽を迎えましたが、まだ観足りないという方は
来月末、ルーマニアにおいでください。
ルーマニアに行くからといって、特別変わったことはありません。
新潟の舞踊団としてベストの舞台になるよう努めるだけです」(金森さん)と言われてしまうと、
何やら誇らしくもあり、現地でその様子を見届けたい気にはなりますが、
いかんせん・・・。(汗)

楽日のアフタートークとあって、質問も多かったようです。
なかから、このあと5月に控える新作にまつわる金森さんの言葉を紹介して、
締め括りとさせていただきます。
「最近ハマっているものや、ことがありましたら教えてください」との問いに、
「最近ハマっているものですか・・・」と少し考えた後、
金森さんの口から、「ショーペンハウアーの本ですかね。」と意外な名前が飛び出し、
続けて、「ショーペンハウアー、今まで読んだことがなかったのですが、
次回作にも関係しているので、今読んでいます」と事情の一端を明かしてくれました。
もしかして、Noismロスの「心に空いた大穴」を埋めてくれるのは、
案外ショーペンハウアーなのかもしれません。(笑)
この機会に、一緒に勉強してみようかな、と思ってみたりもしますが、
私の場合、今はまず、村上春樹からですかね。(汗)

寂しい気持ちを抱えつつ、今回はこのへんで。
皆様からのコメントなど賜りましたら、寂しさも紛れようというものです。
どしどしお寄せください。

そして、ルーマニアへおいでの方、現地のレポートを心待ちにしております。
ルーマニアへおいでにならない方、次回、ダブルビル公演の「劇場」でお会いしましょう。
ではでは。 

追記
この冬、新潟と埼玉の地に、金森穣とNoism1が灯した燐寸は、
燐寸であればこそ、他の点火器具とは異なり、
いかに望もうともいつまでも灯り続けることなどあり得ず、
避けがたく訪れた消えることの摂理にも、「Patience!」とばかりに耐えねばなるまい。
しかし、また、燐寸だけが、消えてなお、微かに燐の匂いを鼻孔に伝えてくるのに似て、
千秋楽を終えた今も、金森穣とNoism1の燐寸が放った残り香に囚われ、
酔いしれたままの自分を見出だすのも、私ひとりであろうはずがない。
(shin)

名作マッチ+パッサ、残すところあと1公演

2017年2月25日(土)、所謂「ラス前」公演に行ってきました。
この日のスタジオBのホワイエには、
これまでにもNoismの公演でお見かけしてきた顔も多く、
「私は〇回目です。あなたは?」といった会話と同時に、
「あと明日一日になってしまいましたね。淋しいですね」という声が聞かれました。

今回、公演回数も多いスタジオ公演で、
それが新潟であれ、埼玉であれ、
週末には「公演があるのが普通」っていう感覚でいましたが、
やはり終わりは確実に近付いていたのです。

そうして回を重ねて迎えた「ラス前」の舞台は、錬磨・彫琢が際立ち、
第1部『マッチ売りの話』では、人物の造形に厚みと説得力を増し、
込み入った時空も、頭より先に目が納得させられましたし、
第2部『passacaglia』の方は、信仰と科学といった両極を往還する
不連続な連続を織り上げる身体の豊かさ、
その密度に息つく暇もありませんでした。

明日の最終日は、「舞踊家もそういう思いで踊る」(金森さん)ことから、
ますます訴求力を増した、圧倒的な舞台になることは必定。
前売り完売ながら、当日券が数枚出るとのことですから、見逃す手はありませんよね。
まあ、ルーマニアまで遠征するなら、話は別でしょうけど。(笑)

あと、本日の折り込みチラシには、
Noism1の5月末のダブルビル公演の作品タイトルが、
金森さんによる新作『愛の死』と
山田さん作のレパートリー『Painted Desert』と刷られていました。
金森さんは(新作を)「早く作りたくて仕方がない」と言っていましたし、
『Painted …』の方はNoism2で観てきましたが、Noism1が「劇場」で踊るとどうなるのか。
どちらも楽しみですね。

ですが、その前にまずは明日の公演で見納めになる方が多い
『マッチ売りの話』+『passacaglia』。
この名作を心ゆくまで堪能しようではありませんか。
明日の千秋楽に向けて期待は募ります。
「いざ、スタジオBへ」です。 (shin)