要望通って新潟市HPに「Noism Web Site」へのリンク新設される♪

皆さま、嬉しいお知らせです。
本日2018年9月20日、大変遅蒔きながらではございますが、
新潟市のHPに「Noism Web Site」へのリンクを設けて頂くことが出来ました。
15年目を迎えるまで、それがなかったことが不思議なくらいではありますが、
それは今は言うますまい。何しろ喜ばしいことなのですから。

きっかけは、下の2018年8月19日付の「市報にいがた(No.2677)」。
「りゅーとぴあ開館20周年 市民と共に創り育む」と
「芸術文化をNIIGATAから発信」の文字が踊る、その一面、
使われた数枚の画像の一番上に、
『ラ・バヤデール -幻の国』で文字通り「踊る」井関さんを捉えた篠山紀信さん撮影の画像が掲げられていたことでした。

キャプションには、「りゅーとぴあ専属舞踊団Noism。
日本で唯一の公共劇場専属舞踊団であり、
新潟を拠点に世界へ向けて作品を創作。」という至極当然の賑々しさ。

サポーターズのacoさんと一緒に我がことのように喜びあっていたものです。

しかし、話がそこから新潟市のHPに及ぶと、調子は途端に一変しました。
「Noism」の5文字でヒットするものが少ない、とacoさん。

いつも金森さんが「新潟市の舞踊団です」と言ってくれているのにも拘らず、
何故、新潟市はNoismをPRしないのか。
これは何とかしなければ、という思いで、
HPについての要望を届けることにしたのでした。

新潟市の地域・魅力創造部広報課宛に次のようなメールを出しました。
2018年9月8日のことです。

> 日頃からの、より良い市政に向けたご尽力に敬意を表します。
> さて、少し古い話から始めることをご容赦願います。
> 私は今年春先3月6日付の新潟日報朝刊報道に接して以来、
> Noismの今後に関する不安な気持ちのなかに過ごしております。
> その新聞記事とは次のようなものです。
> >新潟市議会は5日、2月定例会本会議の一般質問を行い、
> >新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)専属の舞踊集団
> >「Noism(ノイズム)」の今後の活動について、
> >中野力文化スポーツ部長は、
> >「これまでの実績や成果を踏まえ、2018年度末までに在り方を検討する」とした
>
> ご承知のように、Noismは過去14年の長きにわたり、
> 精力的に新潟市の文化の一翼を担う活動を行ってきました。
> それは私を含めて多くの新潟市民にとって、そのシビックプライドの醸成に
> 大きな力となるばかりでなく、国内外へも極めて強い発信力をもって
> 「新潟市」をアピールしてきた年月というふうに理解しております。
> しかし、そのNoismも9月から始まった15thシーズンのあとは
> 何も決まっていない状態にあるとか。
>
> 新潟市は過去14年間、そして現在15年目となるNoismの活動に対して
> 税金を使ってきた訳ですから、
> その「在り方」の検討期にあって、充分にその実績の周知をはかる立場にある
> と考えるものです。
> そうした観点からこの新潟市HPに、
> Noism Web Site(http://noism.jp/)へのリンクを
> 設けていただくことをお願いしたいと思います。
>
> 私はNoismへの強い愛着を持つ一市民ですが、
> そうでない方もいらっしゃることは承知しております。
> しかし、なかには未だにあまり詳しく知らないという市民も少なくないようです。
> だとするなら、新潟市は毎年、税金を投入してきていながらも、
> 充分にその説明責任を果たしているとは言いきれない部分が残るのも否めない
> のではないでしょうか。私はそう感じています。
> Noismの「在り方」の検討にあたって、市民の広範な声が反映されるよう、
> 新潟市は、市民のNoismに関する理解とそれに基づく意見形成に資するために、
> その情報にアクセスできる環境を用意する必要があると考える次第です。
> Noismを、過去14年間、市政の一環に位置づけて、
> 主に税金を使って運営してきた主体である新潟市が負うべき説明責任に鑑み、
> 是非ともリンクを設けていただくことをお願いするものです。
> 善処のほど、宜しくお願いいたします。

で、本日、市の文化政策課より、待ちに待った返信がありました。

>メール拝見いたしました。
>shin様からは、Noism Web Siteへのリンクについてご意見をいただきました。
>日頃からりゅーとぴあをご利用いただきありがとうございます。
>また、Noismの活動へのご支援をいただいておりますことに、重ねてお礼申し上げます。
>Noismは、本市の踊り文化の発信・普及・継承に大きな役割を担っていると考えておりますが、
>その活動を継続するには市民の皆さまのご理解とご支援を得ることが重要と考えており、
>shin様からご意見いただきましたとおり、
>本市ホームページ内にNoism Web Siteへのリンクを設けました。
>今後もより一層、皆さまからのご支援をいただけるよう努めてまいりますので、
>引き続きご支援くださいますようお願いします。
>なお、Noismの活動については、実績や成果をもとに3年ごとに検討を行ったうえで、
>活動期間の更新を重ねてきております。
>今後の活動の在り方については、これまでの活動実績や成果を踏まえ、
>今年度末までに検討します。
>メールありがとうございました。

嬉しさいっぱい、勇んで、新潟市HPを訪問しました。
トップページ左脇(メニュー)の「観光・文化・スポーツ」をクリックし、
更に、夏のりゅーとぴあの美しい画像が添えられた「文化・芸術」をクリックしますと、
「新着情報」の下部、「MangaAnimeナビ」の次に、
確かにリンクが設けられていることが確認できました。
辿り着く迄に、若干、手間はかかりますが、
要望を受け入れていただけたことに、喜びと感謝しかありません。

そこで、こちらからの「返礼品」のつもりで、
本ブログでも左側の「リンク」集に「新潟市HP」のリンクを設けました。
「Noism Web Site」への行き方も添えてあります。併せて、ご確認ください。

これによって、本ブログから「新潟市HP」へ行き、
そこから「Noism Web Site」をまわって、
再び、本ブログに戻ってくるリンクの流れが整ったことになります。
めでたし、めでたしです。

そして、これらのリンクが充分に活用されることを通して、
Noismへの理解と支援の輪が更に拡大することに繋がっていけば、
これほど嬉しいことはありません。
皆さま、リンクを存分に使って、更にNoismを盛り上げていきましょう。
ここからが本当の正念場かもしれませんから。
(shin)

渾身の熱演が大きな感動を呼んだ『ロミジュリ(複)』大千秋楽(@埼玉)

2018年9月16日(日)。
この日の劇的舞踊Vol.4大千秋楽について記すにあたり、
NoismでもSPACでもなく、全く別の件から書き始めることをお許し願います。
時、まさに午後5時ちょうどくらい。
打ち震えるような感動に包まれつつ、会場を後にし、
歩きながら、劇場内ではOFFにしていたスマホの電源を入れなおした際、
目に飛び込んできたニュースの見出し、
「樹木希林さんが死去 最期は自宅で家族に看取られて」に心底うろたえたからです。
75歳。この秋も来月、映画『日日是好日』(大森立嗣)を楽しみにしていた矢先の訃報。
込み上げる喪失感。
飾らない人柄で、奥深い表現を欲しいままにしていた名女優。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

…喪失感。感動が大きかっただけに…。
勿論、それはまた『ロミオとジュリエットたち』のことでもありました。
すっきりと晴れたとは言い難いものの、気温もあがり、
雨が降って幾分肌寒かった前日とは違うこの日、大千秋楽の地、埼玉は与野本町の天候。
金森さんは、そして舞踊家と俳優はどんな舞台で私たちを圧倒してくれるのか。
退団される舞踊家(中川さん、吉﨑さん)の姿も瞼に焼き付けなくては。
みなさん、そうした共通の思いを胸に、彩の国さいたま芸術劇場を目指した筈です。

この劇的舞踊、途中に約2か月の間を挟むことで、
新たな彫塑が加えられ、
表現は、より自然さを増して嵌るべきところに嵌り、熟成の度を増しながら、
この日の大千秋楽に至った訳です。
そんな「大航海」を経ての最後の寄港地、彩の国さいたま芸術劇場。
そこはまた言うまでもなく、蜷川幸雄シェイクスピア劇の本拠でもあります。
金森さんのこの意欲的な挑戦を誰より喜んだのは、
物思わし気に娘・実花の写真に収まる今は亡き蜷川本人だったかもしれません。
次にご紹介するのは、メモリアルプレートに刻まれた彼の言葉です。
>最後まで、枯れずに、過剰で、
>創造する仕事に冒険的に挑む、
>疾走するジジイであり続けたい。
>Till the end, never wither, beyond limits.
>Take risks in creativity, and stay at top speed.
>So I wish as a man of theater. 蜷川幸雄

さて、『ロミジュリ(複)』です。
前日のブログにも書きましたが、それはとりもなおさず「生々流転」の舞台。
作品自体が、より自然であることを求め、
あたかも生き物ででもあるかのように、自ら呼吸を始め、
それに応えて金森さんが創造の手を休めることなく動かす構図とでも言いましょうか。
もしかしたら、新潟3公演、富山1公演、静岡2公演、埼玉3公演で、
どれひとつとして同じ舞台はなかったのかもしれません。
いえ、きっとそうに違いありません。

それはまた、新しい総合芸術の在り様を模索する営みでもありました。
舞踊(身体)、演劇(台詞)、文字、映像、更には呪術的な炎と、
あらゆるメディアを縦横無尽に駆使することで結実をみる作品です。
例えば、市川崑や庵野秀明が用いる明朝体寄りの文字が得体のしれない不気味さを示すのに対し、
今回、不在の大公を示すゴシック体の文字は、
威圧感たっぷりに抑圧やある種の「通じなさ」といったものを体現していました。
(それと同時に、仮に明朝体を採った場合、
否が応でも『エヴァンゲリオン』を想起させずにはおかないという側面もあった筈です。)

また、映像で看過できないのは、
ロザラインがポットパンを籠絡させて入手した手紙を読む大写しの映像です。
私の記憶する限り、緞帳に投影されるこの映像は2度差し替えられて、
順に次の3通りがあり、それを観る際も全く気が抜けませんでした。
その3つ、①新潟・富山:読み終えてからも、手紙は両手のなかにある。
②静岡:読み終えてから、それを破る。
そしてこの度の③埼玉:読み終えると、それは両手からするりと落ちる。
そのどれを目にしたかで、ロザラインの印象は全く異なるものにならざるを得ないでしょう。

「奈落」の演出に至っては、この日は会場の少なくとも2、3箇所から、
期せずして「あッ!」という驚きの声が上がり、
一番最初に新潟で観た時の感覚を思い起こすことができました。
ツアー中、唯一、静岡公演のみ、ピットが設けられない劇場形状のため、
「奈落」を用いることなく、亡骸が舞台上に留まるかたちで進行していったことも
ここに改めて書き添えておきます。
「その一瞬」の衝撃こそありませんが、逆に、舞台上が血で染まっていくかのような
おどろおどろしさを幻視するように感じたものです。
そしてその静岡公演以降、
冒頭部分が、舞台上を埋め尽くす夥しい死体のイメージで始まるかたちに改められたことも
大きな変更点と言えるでしょう。

(今回の劇的舞踊における斬新さの最たるもの、ロザラインとロレンスに関しては、
また別の場所(次号のサポーターズ会報)で、触れてみたいと考えています。
少し時間はあきますが、その際、こちらと併せてお読みいただけましたら幸いです。)

舞踊の枠組みに収まり切らない過剰さ加減には、
当然、当惑する向きもあるかもしれません。
しかし、作品同様、私たち自身が刷新されていく感覚は
あまり経験したことのない性質のものであり、
それはまさに「冒険」としか言いようのないものだったと思っています。

この日、当面これが最後の機会になると思いながら見つめた第一部の終わり、
舞台中央奥から白く胡乱な金森さんがゆっくり出てくる場面を観ているだけで、
客席にあって、全身を目のようにして見詰める体の、
その胸部から発する動悸が、あたかも出口を求めでもするかのように、
体内を揺さぶり、総身を経巡った果てに、
内耳に、そして外耳に至って、熱く激しい耳鳴りと化し、
同時に頭はのぼせていくような、まるで触知可能な身体感覚に囚われたことも
書き記しておきたいと思います。
気付くと、自然と拍手している自分がいました。

埼玉公演における驚きの最たるものは、
なんといっても、井関さんと金森さんのパドドゥがひとつ増えていたことを措いてありません。
そして、追加されたふたつめのパで、
ふたり(?←片方はアンドロイドだけに。)の立ち位置がより明瞭になる仕掛けでした。

最後の最後、所謂「屋台崩し」のようなボールチェーンの扱いに至っては、
見るたびごとに鳥肌が立つような感覚があり、この日も例外ではありませんでした。
舞台上、大千秋楽の全てが終わりを告げたとき、
渾身の熱演を繰り広げて、観客を魅了し尽くした舞踊家と俳優に対して、
鳴りやまぬ大きな拍手とあちこちから飛び交う「ブラボー!」の声たち、
更にはスタンディングオベーションが贈られたのは至極当然のことに過ぎませんでした。

拍手に応えるカーテンコール。
笑顔で並ぶ実演家たちの横一列。
中央に金森さん、その左隣(私たちから見て右側)に中川さん。
いつとも知れず金森さんの手のなかにあったそれに気付いたのは、
笑顔の金森さんからさりげなく、実にさりげなく、中川さんに向けて差し出され、
中川さんが反射的に、一層、相好を崩して受け取ったそのときでした。
「それ」、最終盤でベッド上から散らばった小道具の白い百合の花。
勿論、本物の花であろう筈もなく、
まき散らされた人工的な小道具のなかから拾い上げられたに過ぎないただの一片が、
ふたりが重ねてきたこれまでの時間を祝福する、
この上なく感動的なアイテムたり得ることを目撃したこの瞬間の感動には、
拙い言葉をどれだけ連ねても迫れないほどに味わい深いものがありました。
今、こうして思い出すだけでも熱いものが込み上げてきます。

意欲作『ロミオとジュリエットたち』が帰結した大きな感動に包まれながらも、
否、それが大きな感動であっただけに、同時に感じる思いにも強いものがあります。
7月に始まったツアーが全て終わってしまったことからくる寂寥感。
そして、中川さんと吉﨑さん、去っていく舞踊家ふたりへの感謝と喪失感。
かように、Noism 15thシーズンのスタートがいつになく寂しさが相半ばするものであったことも
この場では包み隠さずにおきます。
(shin)

『ロミジュリ(複)』埼玉公演2日目、こみ上げる「マジか⁈」

「秋の3連休ウイークその1」がスタートした2018年9月15日(土)、
この日早くからかなりの雨量をもたらした雨雲も去った与野本町の午後5時。
彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉で
『ロミオとジュリエットたち』埼玉公演2日目を観てきました。

この日に至るまでの金森さんのツイートや
前日の公演をご覧になった方々のSNSなどから
色々変更点もあるだろうことは予想していたのですが、
それでもそんな予想を上回る程に、あちこち手が入っていて、
「えっ、マジか⁈」となってしまいました。
特に、作品の根幹に関わる「ある関係性」を
より明確化して前面に押し出した部分など
まさに驚きを禁じ得ませんでした…。

7月の新潟、富山、静岡から、シーズンを跨いで迎えた埼玉3daysも、
いよいよ明日が大千秋楽。
もう1日残っていますし、
明日また変わる部分もあるかもしれませんから、
今は詳しくは書きませんが、
観る都度、刷新される舞台はまさに「生々流転」。
作品から響きだす声に耳を澄まし、
自ずと見えてくる世界に目を凝らし、
常にとどまることを知らず、
理想の舞台を追求してやまない金森さんの飽くことなき姿勢に、
これまでも、そしてこれからも、この人からは片時も目が離せない、
やはりこの人について行こう、
そんな思いがいや増すこととなりました。

シェイクスピアが書いた、年端の行かぬ若者ふたりの
「ボーイミーツガール」的な恋とその後の運命を描いた
あまねく知らぬ者などいようのない周知の枠組みに、
金森さんによる、今日的な問題系を踏まえた重ね書きが施され、
より緻密で重層的に立ち上げられた時空は、
そこにジュリエットが複数いるだけでなく、
恐らくみんなの共通認識のなかの姿より齢を重ね、ある種「拗ね者」と化したロミオがいて、
更に、「自然の力は偉大」としながらもそれに挑まんとする
医師ロレンスとその被造物ロザラインまでが配されることで、
原作にはない、怪しいほの暗さを纏って私たちを魅了します。

7月には唯一無二と承知していた筈なのに、
約2ヶ月の間をおき、大幅な変更を伴い、
装いも新たに、私たちに届けられたこちら埼玉の舞台は、
より一層の熟成、或いは深化を感じさせるものになっていました。

この日は第一部の終わりにも拍手が起こりましたし、終演後送られた拍手は途切れることを知らず、
それに合わせてカーテンコールが何度も繰り返されました。

明日9/16、遂にラストを迎える『ロミジュリ(複)』、
金森さんはそれをどんな作品に纏めあげてくるでしょうか。
大トリの舞台まで、メタモルフォーゼは続くのでしょうか。
もう既に驚く用意はできていますけれど、(笑)
明日を最後にNoismを離れるメンバーもいますし、
様々な思いが胸を去来したりもします。
今は、明日の公演が待ち遠しいような、
でも、明日はまだまだ来て欲しくないような、
そんな落ち着かない気分に包まれている
埼玉の深夜です…。
(shin)

08/22朝日新聞夕刊「柳都の舞踊、孤高の輝き」

Twitter の Noism PR 等でも既報の通り、
2018年8月22日(水)付の朝日新聞夕刊にNoismが
「柳都の舞踊、孤高の輝き」の見出しとともに紹介されています。
もうご覧になられましたか。
*上のリンクから、朝日新聞DIGITALに無料登録をしますと、
(1日1記事のみ)全文読むことができます。

その記事は、同紙の山口宏子記者が、
「地域の劇場をたどって」とのタイトルのもと、
現在、日本各地で顕著な活動を続ける劇場を取り上げようと始まった連載記事で、
松本、静岡ときて、今回はその3回目。
この日の記事では、私たちのNoismとりゅーとぴあに焦点が当てられ、
Noismの足跡・業績と存在意義、そして現在、新潟市が直面する課題等について書かれています。
同時に、サポーターズについても触れられていて、
文中に、代表のfullmoonさんの言葉を紹介しながら、
芸術監督に金森さんを迎え、Noismが設立され、
ほどなくサポーターズがスタートした当時の
高まる「熱」がいかばかりのものだったのかをも伝えてくれています。
是非お読みいただけたらと思います。

そのときから14年。
持続可能な文化的コンテンツの在り方を体現しながら活動することで、
Noismが勝ち得た名声と市民にもたらされた誇りにも拘わらず、
今、財政難に喘ぐ新潟市にあって、先行きの不透明感は払拭されていません…。
ですから、この記事に絡めて、金森さんも翌8/23にtwitterで、私たちに、
「ほんのひと時でいい、足を止めて考えてくれたら。」と呼び掛けていて、
それを目にして以来、胸を抉られるような思いも続いています。

朝日新聞夕刊に山口さんが書いて下さった記事と
その後の金森さんのツイート。
その両方をセットに、熟読し、反芻するにつけ、
新潟市はもとより、この国で、否、世界の舞踊シーンにおいて、
Noismが果たしてきた役割の大きさがまず広く認識され、
そしてそれを踏まえつつ、
ここ新潟市で、次世代に向けて、
真に豊かな選択がなされることを期待する思いを一層強くしました。
ともにNoismを支えていきましょう。
(shin)

Noismの15年目と、その先のために、そして私たちのために

ご存知の通り、Noismは現在、14年目を終えて、
9月からに備えて充電中です。
15年目には、通常の公演や活動に加えて、
ロシア・サンクトペテルブルクで催される「プティパ生誕200周年フェスティバル」
への『ラ・バヤデール ー幻の国』の招待(11月)や、
長野県諏訪市での井関さんの「第38回ニムラ舞踊賞」受賞式(12月)等、
これまで国内外で得てきた評価の高さや名声を如実に示す出来事が続きます。
とても誇らしく、嬉しい限りですね。

しかし、現在、Noismを抱える新潟市は未曽有の財政難に陥っており、
ここまで重ねてきたNoismの歴史も、16年目以降はまだ未確定のままです。
以前の新潟日報朝刊(2018/3/6付)が伝えるところによれば、

>新潟市議会は5日、2月定例会本会議の一般質問を行い、
>新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)専属の舞踊集団「Noism(ノイズム)」の
>今後の活動について、中野力文化スポーツ部長は、
>「これまでの実績や成果を踏まえ、2018年度末までに在り方を検討する」とした

とのことで、依然として不透明かつ混沌とした状況は続いているようです。

財政難が人の心に及ぼす影響には手強いものがあります。
過去にも文化的コンテンツが目の敵にされてきた例など
挙げれば枚挙にいとまがないくらいです。
そこで、Noismがある生活の豊かさを守る意味からも、
公益財団法人新潟市芸術文化振興財団が募集する
「Noism支援会員」或いは「Noism寄付会員」が増えたらいいなぁと思うものです。
そちら、15年目シーズンの募集は既に始まっています。
会期は8月からの1年間で、 個人の支援会員は1口10,000円~、
今回、新たに設けられた個人の寄付会員は1口2,000円~ に設定されています。
(他に法人会員もあります。)

このご時世、お財布からの出費を極力抑えたいのはやまやま。
「支援」や「寄付」など、もっと生活にゆとりのある人の話、
以前は、そう感じていたものです。
しかし、「いつまでもNoismを観続けたい…」、
「何としても、あの豊かさは手放したくない…」、
そんな思いから、支援会員を続けています。

新潟市の持続可能な文化的コンテンツとしてのNoism。
支援会員として、金額的には小さいかもしれませんが、
文化的には大きな誇りを胸に支えていきたい、と。
そして、敢えて、ちょっと大袈裟な言い方をするならば、
私たち一人ひとりがNoismのちっちゃな「パトロン」。
少しお金は出すけど、余計な口は出さない、そんな「パトロン」。(笑)

この256mm×182mmの小さな紙片から、
Noismと私たちの新たな歴史が始まります。

今、この日本にあって、私たち一人ひとりが
ちょっとずつNoismを支えていく、
これってかなり豊かな選択ではないでしょうか。
そうした思いを共有してくださる方がいらっしゃるなら
嬉しく思います。

詳しくは、Noism Web Siteのこちらをご覧ください。
http://noism.jp/support/

併せまして、Noismサポーターズ(unofficial)会員も
絶賛募集中です。
蛇足でした。
( shin / aco / fullmoon )

敢然と酷暑に向き合った『ゾーン』、Noism2に労いの夕陽は美しく

台風の直撃こそありませんでしたが、
フェーン現象というかたちで暑さが牙をむいた新潟市、2018年7月29日(日)。
この日、国内で最も高い気温を記録したらしいその新潟(市)で、
Noism2特別公演『ゾーン』がNoismの14thシーズンの掉尾を飾りました。

前日にも増して強い風が吹いていたことから、客席を覆うテントは立てられず、
舞う者も、観る者もともに「露天」という、ある意味、開放感たっぷりの50分間で、
全員が等しく日射しと風を総身に受けながらの公演となりました。

予定開演時間の17:30を7分程過ぎて、
「白い女性」が下手側客席脇から歩み出てきました。この日は三好綾音さん。
彼女と片山夏波さんは来期、Noism1準メンバーに、
「白い女性」ダブルキャストの西澤真耶さんはNoism1メンバーにそれぞれ昇格しますし、
この公演を最後にNoism2を去るメンバーに牧野彩季さんがいて、
そうした意味合いからも、このメンバーの見納めとなる最後の公演だった訳です。

しかし、なす術もないほどの自然の猛威が容赦なく彼女たちに襲いかかりました。
体温を上回る危険な気温とあって、15:30の回は前日に中止と決定していましたが、
熱を溜めこむだけ溜めこんだアスファルトや、
一向に収まる気配を見せない強い風など、
屋外公演のもつ、「計算できず、手に負えない」要素が
Noism2メンバーを苦しめた2日間でした。
前日に、同様の暑さのなか、2公演を行っていたことが、
この日、ボディブローのように効いてきた部分もあった筈です。

色々なことが起き得るのが舞台、
ましてや、屋外公演となれば尚更です。
決して万全ではない過酷過ぎる条件下、
それでも一人ひとりが観客に対してNoism2を背負おうという気概を発揮して、
敢然と酷暑や強風に向き合っていたと思います。
フォーメーションの変更も行いながら、
ラストの公演を全うしたメンバーに対して大きな拍手が贈られました。

メンバー9人それぞれが個々に貴重な経験をし、その身中に経験値を蓄え、
次のステップに繋がる「何か」を得た2日間だったのではないでしょうか。
彼女たちが櫛田祥光さんの振付のもと、重ねてきた時間、
その確かさは決して損なわれることはなかったと思います。
私たち観客に届けようと腐心し、
炎天下、リハーサルを繰り返す姿に胸を打たれなかった者などいない筈です。

序盤、水を思わせる断片化された音楽のもと、
日傘によって頼りなく守られた「白い女性」の周囲には、
海面下、或いは、海底にゆらぐ、忘れ去られた「藻屑」のような
ゆったり美しい動きを示す黒い衣裳のメンバーたち。
とても印象的な滑り出しです。

ひとり白の「今を生きる女性」に対して、
「忘れられた記憶」を踊る黒のメンバーは、
容易にその失われた顔や表情を回復できません。
回復のきっかけは、禍々しい音のコラージュが耳に届くなか、
思いもよらない災害とともに訪れます。

「今を生きる女性」すら「忘れられた記憶」と等価である他ないという
如何ともしがたい厳しい真理。
誰しも「mortal(死すべき)」な存在に過ぎず、
「immortal(不死)」ではなく、
自身の生のなかに内在する死を自覚したとき、
記憶のなかで失われていた顔や表情の回復は果たされます。
かつて「白い女性」を頼りなく保護していた日傘は、
いまや周囲と同じ黒に身を包んだかつての「白い女性」の手で、
集められた白黒2色の衣裳の上に、
それらを分け隔てなく慈しむように捧げられるでしょう。

『ゾーン』…声高に叫ぶことなく、静謐でいながら、強く胸に迫る作品でした。

終演後、仮設の客席撤収に余念がない
Noism1メンバーを含むスタッフの向こう側、
夕陽を映した壁面のホリゾントが
えも言われぬ美しさに染まり、
あたかも、厳しい2日間3公演に力の限り向き合ったNoism2の若手舞踊家一人ひとりを労おうとでもするかのように、
刻々、その鮮やかな色合いを深めていきました。
彼女たち一人ひとりの前途に光あれとばかりに…。
(shin)

きっと記憶に残るNoism2特別公演『ゾーン』、その初日2公演

大雨、続く酷暑、更に台風。
「とても異常な状態」にあるとも言える日本列島の2018年7月28日(土)、
新潟市「水と土の芸術祭2018」の関連企画として、
本拠地・りゅーとぴあを飛び出し、万代島多目的広場〈屋外広場〉を会場に、
Noism2の特別公演が行われ、
元Noismメンバーで、
現在、東京でDance Company Lastaを主宰する櫛田祥光さん振付演出の
『ゾーン』が上演されました。

濃い夏の青空と白い雲、更には光を照り返す対岸の漁業会社や造船会社の壁面をホリゾントに、
注ぎ続ける太陽光にいたぶられて熱した、黒のリノリウムならぬアスファルトの上で、
白1:黒8の構成で、9人のNoism2メンバーが、
記憶を巡る「切なさ」を踊りました。
折からの暑さゆえ、当初の構想より10分短くしたとはいえ、全篇50分の力作です。

「100年後の事を想像してみた。
私はもちろん、目の前を歩く人、車を運転している人も、
誰1人として存在していない。
時間とともに記憶はおぼろげになり、
言葉は風化し、
そして人々から忘れ去られ消えていく。」

この日は、15:30からの回と、17:30からの回の2公演をどちらも観ました。
白い日傘を差した白い衣裳の女性はダブルキャストで、
最初は三好綾音さんが、続いては西澤真耶さんがそれぞれ演じました。
ふたりの持つテイストの違いを楽しみましたが、
日傘のレースが顔にあやなす光と影の美しく儚げな様子は共通でした。

黒8人は「忘れられた記憶」、白ひとりは「今を生きる女性」。
相互に嵌入し合い、絡み、引き込み、縺れ、抗い、飲み込み、飲み込まれるのは、
一人ひとり重みのある筈の身体、そして異なる筈の顔たち。
…甦るは、東日本大震災の記憶。
この日、若手舞踊家たちが踊る「ゾーン」の奥、海から続く水面の青は、
波こそ立てつつも、「あの日」の凶暴さを感じさせることはありませんでした。
それでも、水辺で観る風化への抗いと鎮魂には強く胸に迫ってくるものがありました。

時に、8人の黒い女性に同調するかのように、上手側から数羽の烏が飛び立ち、
或いは、正面奥にまっすぐ立つ河岸のライトの上に一羽の白い鴎がとまり、
彼女たちが踊る「ゾーン」中央に立つ白いひとりを見下ろし、
はたまた、正面奥から客席側に歩みだす白の女性(15:30の回:三好さん)の姿を、
突然、あたかも強いピンスポットライト然とした光線が浮かび上がらせるなど、
見事なシンクロ振りで自然を味方につけた、「持っている」感満載の屋外公演でした。

そして何より、若手女性舞踊家全員、暑さに顔を真っ赤にしながらも、
「体温」以下の、或いは、より正確には、「体温」が失われた世界を描出して、
観る者の心を締め付けました。
それはそれは、(矛盾するようではありますが、)この日、2公演を通した彼女たちの
消耗振りが案じられるほどの「熱演」でした。
「ゾーン」に入っていたからこそ演じ切れたのだとも思いますが、
明日(7/29)の公演に関しては、15:30からの早い回が中止となりました。
観ているだけでも厳しい暑さでしたし、明日は一層気温が上昇する予報もあります。
残念ですが、若手舞踊家の身体を思えば、やむを得ない措置かと考えます。
もっとも、一番残念に感じているのは彼女たち自身の筈。
全身全霊を傾けた、渾身の舞踊で締め括ってくれることでしょう。
15:30の回のチケットをお持ちの方は、17:30の回に振替が可能ですし、
ご都合のつかない方には後日払い戻されるとのことです。

明日も暑くなります。
入場時に(恐らく)ペットボトル入りの麦茶も配付されますが、
各自、充分な脱水対策と暑さ対策をしてお越しください。
開演10分前より整理番号順にて客席へのご入場となります。
たゆたうような大人テイストのNoism2をご堪能ください。
きっと記憶に残ることでしょう。
(shin)

満席の『ロミジュリ(複)』静岡 2 Days、Noism1「14th シーズン」を締めくくる

関東地方の気温が摂氏40度に迫ろうかという週末、
2018年7月21日(土)及び22日(日)はまた、
Noism1×SPAC劇的舞踊Vol.4『ROMEO & JULIETS』静岡公演の週末。

舞台形状の都合上、「静岡オリジナル演出」が金森さんから予告されていた「2 Days」。
その二日目、静岡楽日の公演を、急遽、観に行ってきました。
前日に決めたばかりの日帰り弾丸静岡行、SPACの「ホーム」グランシップ。
前の座席の背もたれのてっぺんには通風孔があり、
そこから絶えず涼やかな微風が出ているのですね、静岡芸術劇場。
なるほど、息苦しさを感じずにいられる訳です。

しかし、早めに新潟に戻らねばならない事情があり、
「さわやか」のげんこつハンバーグを食べて、『ロミジュリ(複)』を観たら、
もう後ろ髪を引かれる思いを振り切って、
アーティストトークは聞かずに、
速攻帰らなきゃ(涙)---それがこの日の私。

でも、舞台さえ観られれば、
(+結局、ハンバーグを食べることへの拘りも捨てきれなかったのですけれど、)
との思いで行って参りました。
そして、結局、無事にそのふたつの「ミッション」は完了したのですが、
刺激的なこと請け合いのアーティストトークを聞いていないのですから、
本来、これを書く資格などない訳でしょうが、
そこは「大人の事情」(なのか?)、ご容赦願います。

まだ、9月の埼玉公演が残っているので、
間接的にせよ、過度のネタバレに繋がる要素は回避しながら、
「静岡オリジナル演出」など、この日私が目にしたものを、
今、書ける範囲で書き記したいと思います。

「あの終幕」を変更するとなると、
もう冒頭の「怯え」の演出から変えざるを得なくなる訳ですから、
それはもう「えらいこと」なのでしょうが、
そこは金森さん、最終的に決めたのは静岡入りしてからだったにせよ、
静岡でやるとなった最初の時点で既に織り込み済みだった筈とも。

で、静岡。
もうトップシーンから全く異なっていて、驚きました。
「怯え」の対象、「怯え」をもって見詰める方向が真逆になっていることから、
全員の存在の、その在り方がまるで違って見えてくる印象です。
(苦しいところですが、この点に関して、今はこれ以上書けません。ご容赦を。m(__)m)
そのあとも、随所に細かな変更を伴いながら舞台は進んでいきました。
より「演劇寄り」の雰囲気になっている印象で、
描かれる「死」は、唐突さの印象を薄め、
それを契機に「垂れ込める暗い運命」の禍々しさを濃厚に漂わせていたと思います。
敷き詰められた変わらぬ黒のリノリウムに
鮮血の赤色を幻視する思いがしました。

そしてこれは「ネタバレ」にはならないかと思いますので、書きますが、
井関さん演じる「ロザライン」の映像も差し替えられていて、
「えっ!?」となりました。(汗)

こちら、前日もご覧になったfullmoonさんから教えていただいたところによれば、
この日(7/22)になって初めて目にした、前日(7/21)までとは異なる箇所とのことで、
このあと、9月の埼玉でも踏襲されることになるものだろうと思われます。
アンドロイド「ロザライン」の哀しみや憧れとも言うべきものが
より前景に出てくるようで、切なさが身に染みる表現になったように感じました。

ですから、新潟公演~富山公演~静岡公演初日までをご覧になられた方にとっては、
是が非でも、埼玉の舞台に足を運ぶ必要がありそうです。(笑)

Noismの「14th シーズン」を締めくくるこの日の公演、
二幕が終わり、全篇の終幕に至って、
緞帳がさがり、客電が灯っても、なお、
会場は水を打ったような静寂に包まれていました。
まるで、即座に拍手することなど、野暮で無粋な振舞いだとでも言うかのように…。
漲る万感を一旦胸に収める必要があった、そんな感じで、
一様に客席中に下りてきて張り詰めた静寂。
一瞬あって、みな我に戻ると、今度は、堰を切ったように、
舞台上、横一列に並ぶ舞踊家と俳優に大きな拍手が贈られ、場内に谺しました。

SPACの本拠地で金森さんが仕掛けた「劇的舞踊」、
演劇を見慣れたこの地のお客様の目にはどのように映じたことでしょうか。
もしかすると、終演後のアーティストトークで、
そのあたりが語られていたのかもしれませんが、
そこはご報告できず、申し訳ありません。
どなたか、コメント欄にてお知らせ頂けましたら幸いです。

「アーティストトークも聞きたいけれど、…」
「…ならぬ『逢瀬』をなんとしよう、
なんとしよう…」
断ち切り難い未練を断ち切って、
JR東静岡駅へと向かうべく、
グランシップ出口を目指す私を、
神様が憐れんでくれたのか、
久しぶりにSPAC俳優・奥野晃士さんの姿が目に飛び込んできます。
少しお話をする機会が持てたことで、喜んでいると、
更に、奥野さんからSPAC芸術総監督・宮城聰さんにご紹介をいただき、
初めてご挨拶して、少し言葉を交わすことまでできてしまったという…。
誠に嬉しいハプニングでした。

「行けてよかった」
「案外近いじゃん、静岡」
喜びを胸に、
「このメンバーで踊られる『ロミジュリ(複)』はこれが最後か」
同時に、寂しさも感じつつ、
東海道新幹線、上越新幹線と乗り継いで、
新潟に戻ってきました。

でも、今はもう既に、
ああ、9月の埼玉公演が待ち遠しい。
皆さま、そんな思いですよね。
(shin)

『ロミジュリ(複)』in富山、一夜限りの舞台が客席沸かす

予報に違わず、酷暑が日本全土を襲った
三連休初日の2018年7月14日(土)。
Noism1×SPAC劇的舞踊Vol.4『ROMEO & JULIETS』が
「ホーム」新潟を離れ、最初のツアーの地、
富山のオーバード・ホールの舞台に登場しました。

開演1時間前、午後4時になると、
当日券を求める人が並び、
順に、それぞれ、出来るだけ良い席を確保しようと、
示された座席表に目を落とし、
真剣に席を選ぶ姿が見られました。

欧州の劇場かと見紛うような
大層立派な劇場、オーバード・ホールの威容。
鮮やかな差し色も美しい場内のあちこちには、
様々なアート作品が飾られ、
それはそれは本当に素敵な大劇場でした。

加えて、この日、ホワイエの客席入口脇には、
地元・チューリップテレビからNoismとSPACに贈られた花と、
和田朝子舞踊研究所からかつて所属していた中川賢さんの
「凱旋」に対して贈られた花とが飾られ、
富山での今公演の実現を祝していました。

…午後5時を少し回って、客電が落ちる前の場内に
あの音楽が流れ出し、
いよいよ富山『ロミジュリ(複)』開演です。…

こんなに立派な劇場での公演がツアーに組み込まれていたのですから、
恐らく、富山にお住いの方々は、
この日が今作初鑑賞という方が大多数だった筈。
金森さんが仕掛けた様々な見せ場に、
客席からは、とてもダイレクトで、素直な反応が返されていました。

1幕、金森さんが提示する「厚み」に気持ちよく翻弄されたことでしょう。
幕がおりたあと、ややあって、あちこちから拍手が起こり、
それがやがて、会場中に広がりました。

2幕、冒頭から眼を凝らして見入る張り詰めた空気感のうちに
ラストの衝撃まで連れて行かれたことでしょう。
繰り返されたカーテンコールでは、
スタンディングオベーションと「ブラボー!」の声が送られました。

で、客電が点いたあとも幕があがったことで、
「えっ?」という笑顔を浮かべて並ぶ実演家たち。
その姿を目にした客席からも、笑みが広がり、
更に大きさを増した拍手が送られて、
和やかな空気感のうちに
一夜限りの富山公演は締め括られていきました。

twitterで金森さんが呟いていた「追加された演出」、
…わかりませんでした。(涙)

しかし、個人的には初めて訪れた劇場オーバード・ホールで、
富山のお客さんたちと一緒に、新たな気分で翻弄され、
心臓はバクバク、
大いに楽しみました。
中川賢さん繋がりということもあってのことでしょうが、
何より、昨年の射水市に続き、
今年もこの公演を組んでいただき、
富山を再訪する機会に恵まれたことも
心底嬉しかったです。

ツアーに出た『ロミジュリ(複)』、
次の訪問地はSPACの「ホーム」静岡。
7/21分は前売り完売で、キャンセル待ち。或いは当日券対応があるかも(?)で、
翌7/22も残り席はホントに数枚とのこと。
それでも、何としてもご覧頂きたい真の意欲作です。
更に、静岡公演についてはその劇場形状から「変更」箇所もあるとのこと!
私は行けないのが残念でなりません。
皆さま、是非お見逃しなく!
(shin)

『ロミオとジュリエットたち』感動の新潟楽日を終えて、アフタートーク特集

2018年7月8日(日)、雨予報を裏切り、晴れるも、相当な蒸し暑さの一日。
感動のうちに、「新潟 3 DAYS」全3公演の幕が下りました。
この日のアフタートークでのSPAC・舘野百代さんの言葉を借りれば、
「一幕の丁々発止のやりとりから、このまま二幕も転がる感じがした」との、鼓動が高まり、「胸熱」だった新潟公演の楽日。

一幕の終わりにこの日も拍手が沸き起こり、(私も拍手しました)
終幕には「ブラボー!」の掛け声、(私も叫びました)
そしてスタンディングオベーション。(私も自然と立ち上がっていました)

回数を重ねたカーテンコールのラストに至り、
退団が決まっている中川賢さんと吉﨑裕哉さんに、
金森さんから情熱的な赤色が印象的な花束が手渡されると、
会場中から一層大きな拍手が贈られたこともここに書き記しておきます。

この日はアフタートークに先立って、
客席で一緒に新潟楽日の公演を観た篠田昭・新潟市長の挨拶があり、
「文化発信都市」を自認する一地方都市・新潟市にあって、
ここまでNoismが担ってきた役割の大きさについて話され、
今後も持続可能な活動を作っていきたいと結ばれました。

「ホーム」新潟・りゅーとぴあ公演における一大アドバンテージと言ってよい3日間のアフタートークには、
連日、Noism1からは、金森さん、井関さん、山田さん、
SPACからは、武石さん、貴島さん、舘野さんの合わせて6名が終演後の舞台に登場して、様々な質問に答えたり、色々なお話を聞かせてくださいました。

で、ここからは、今回の分厚い力作『ロミジュリ(複)』を観るにあたり、
期間中のアフタートークから、
読んでおけば、少しは参考になる事柄などを少しご紹介していきたいと思います。
ネタバレはしないつもりですが、それでもご覧になりたくない向きには、
この下の部分(☆★を付した部分)をそっくり読み飛ばしていただきますようお願い致します。

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★
〇井関さんの役柄「ロザライン」: 原作では直接登場してこない役どころながら、「元来、物語全体がメインの人物だけに付随する構造は好きじゃない。
ほんのちょっとしか登場しない人が見ている世界の方が豊かなこともあり得る」(金森さん)ということで、ロザラインの比重が大きくなったのだと。
ロザラインはアンドロイドの看護師(全機、両手に手袋)、
他の看護師ふたりは歪な体はしているが、人間、
金森さんが演ずる医師ロレンスは半人半機(片手の手袋)の存在。
◎その井関さん: 「一番楽しいシーンが一番大変で、大変過ぎて笑っちゃうくらいだった」と明かす。←きっと「あの」シーンです。

〇患者たち、チームC(奇数)とチームM(偶数)について:
「キャピュレットは奇数っぽかったし、モンタギューは偶数っぽかったので、そういう患者ナンバーを割り振った。(笑)」(金森さん)
彼らはみんな、ナンバー化され、ナンバーとして管理される存在。それぞれの背中、縦一列にナンバーが付けられている。
◎彼らの体のあちこちに貼られたテープ2種の意味合い:
暖色(オレンジ)→パワーアップしている部位、
寒色(青緑)→マイナスがかった部位、 をそれぞれ示している。
【例】山田さん演じるポットパンは頭に「寒色」: おつむが弱い。
5人のジュリエットたちも喉に「寒色」: 発話しない(できない)。
反対に、ティボルト(中川さん)は両手が「暖色」、
マキューシオ(シャンユーさん)は両足が「暖色」。
〇両足「寒色」で車椅子のロミオについて:
「車椅子を押してまっすぐ行くのも、曲がるのも難しい。人の体なら通じるのに、物はなかなか通じない」と井関さん。
ロミオ役の武石さんは「車椅子での事故はなかった。愛があった」と。

◎精神病院でのロミジュリ、あるいは、多様性(diversity)と包括性(inclusiveness)の問題:
「今の時代を言い現わす象徴的な2語だろう。
多種多様な人たち、多種多様な趣味嗜好、多種多様な価値観が混在する世界。
それはどのように包括されたらよいのか。
『視線』が複雑なものにならざるを得ないのが、まさに(現代の)世界。
今回の作品も同じ。そのどこを見て、何を感じるのか。
作品に正解を求めるのではなく、どう見るかを問いたい」(金森さん)
〇金森さんが師と仰ぐ鈴木忠司さんの『リア王』も精神病院を舞台にしていたが、その類縁性について:
「絶対、言われるだろうと思っていたが、好きなので、『まあ、いいや』と。
今回の『ロミジュリ』に関しては無自覚だった部分もあったのだが、
大好きなので、そういう文脈で観て貰えることは嬉しい」(金森さん)

◎実演家として大事だと思う事柄:
SPAC武石守正さん(ロミオ役): 「関係性。ある瞬間が切り取られたものが舞台。
他者との関係の中で、声も演技も定まってくる」
SPAC貴島豪さん(グレゴリー/キャピュレット役): 「見られている感覚。
本番までどういう準備をして、舞台に立つのか。
お客さんが舞台を観に来られる理由はさまざま。
何が観る者の心を動かすのか」
Noism山田勇気さん: 「関係性。例えば、武石さんが体から発しているものがあって、自分はそこにどう居るべきなのか、肌で受け止める。そうやって何かが生まれたら嬉しい」(そこで金森さんの「感受性だね」の言葉に一同頷く。)

〇シェイクスピア『ロミオとジュリエット』は「死ぬことでしか叶わない愛」を描くが、「今回のロザラインには『死ねないことの悲哀』を込めた」(金森さん)
(また、「ジュリエットたち」が果たしてどうなっていくかについても要注意、と書くことに留めておきます。)
・・・場合によっては、読み飛ばして欲しい箇所、ここまで。
☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★

Noism1×SPAC劇的舞踊Vol.4『ROMEO & JULIETS』、
「お互い境界線を感じない、ひとつの舞台を創る舞台人」(井関さん)として、
舞踊家と俳優とががっぷり四つに組み、
渾然一体となって取り組んだこの野心的なクリエイションで、
双方の実演家の皆さんが異口同音に、
大きな刺激を受けたと語っておられたことも印象的でした。
それはひとえにどちらも「劇場専属」という在り方に関わっているのだとする金森さんの指摘にも首肯する他ない事実が含まれているように思いました。

また、「繰り返される一回性」や「一瞬、一瞬」という言い方も、
日頃の金森さんがよく口にされる「刹那」とピタリ重なり合って、
動かしようのない「舞台の真実」を物語っていました。

「繰り返す『一回性』」と語ったのは武石さん。
更に続けて、「舞台は日々模索し、発見するもの。
再現することが出来ないことも多いのだが、
再現しなきゃならない」とも。
で、井関さんが、「舞台は立たないとわからない。常に発見があり、
お客さんが入ると、本気を越えた本気になる」と言えば、
貴島さんも、「毎日、フルパワーでやっていても、日々違うものがある。
一回一回新しいものがどんどん生まれている。
いろんなところに『宝箱』があって、それを探しに行く感じ」と応じました。
山田さんは、「舞踊でも演劇でもない『劇的舞踊』がようやくわかってきた。
やっているなかで、見出すもの」と語り、
舘野さんも、「神秘的で曰く言い難い魅力」を指すらしい「ドゥエンデ」という
言葉を使って、それがあるのが舞台であると纏めました。
そんなふうに、舞台のうえで生まれる「一瞬、一瞬」を共有しに、
私たちも劇場に足を運び続けましょう。
…人生を豊かにするために♪

以上、力の及ぶ限りの「採録」を試みてみました。
ご覧になられた方にとっても、これからご覧になられる方にとっても、
僅かでも何かの参考にしていただけたなら、望外の喜びです。

さて、3日間、新潟の地に大きな驚きと感動をもたらした『ロミジュリ(複)』、
次は、週末7/14(土)、中川さんご出身の富山県はオーバード・ホールに参ります。
演出・振付家、舞踊家、俳優が揃って創りあげるこの渾身の舞台、
ゆめゆめお見逃しなきように!
(shin)