柳都会 vol.20 近藤一弥×金森穣【レクチャー】レポート

3月24日に行われた、柳都会 vol.20のレクチャー部分のレポートです。

今回の柳都会は、グラフィックデザイナー近藤一弥さんの手に成る『Liebestod』『NINA』『ROMEO&JULIETS』『R.O.O.M.』のポスターが展示されたスタジオBにて行われました。
レクチャーで使用された画像■(主としてチラシ)は、近藤さんの公式サイト内の[Works]カテゴリからご覧いただけます。
以下、会場での聞き書きを整理し、敬称略にて掲載しました。特に断りがない場合は、近藤さんの発言です。

Photo: Ryu Endo

Photo: Ryu Endo

近藤 いろいろなジャンルのものを手がけてきたが、ノンコマーシャル。商業的、商品を売るようなものはやらない……でも本はやるか。
金森 断っているから?
近藤 依頼がこない(笑)。必然的にそうなって、アート、芸術、美術などをやっています。

1994-1999年代作品
■ジョン・ケージ「ローリーホーリーオーバーサーカス」
1994年のケージの回顧展ポスター。
ケージは、チャンスオペレーション、偶然性、易を作品に取り入れていた。
水戸芸術館の展示では偶然性によって陳列の順を日々変えた。
チラシは易のコンセプトが絵柄になっている。

■「絵画考」
グループ展なので、誰かひとりの作品を使うわけにいかず、自分のビジュアルを使った。
コンテンポラリーアートシリーズ全体で、脊椎のようなビジュアル。

■ダニエル・ラリュー+ウィリアム・フォーサイス
金森 あー! 天使と矢印の!
近藤 ティエポロの天使のですね、ロココ時代の。
[二人で盛り上がって置いていかれる会場……]
※フォーサイスがティエポロのデッサンに矢印を書き添えた「仮定された流れ」というダンス作品のチラシ

■フレッド・フリス/クリス・カトラー
ドラムチューニングと弦の画像を使っています、マテリアリズムで。

■書籍 安部公房全集
金森 きた。
近藤 全集では珍しいのですが、ジャンル別ではなく編年体をとっています。
金森 安部公房は好きで、15年以上前に知人のツテで安く全集を買ったんです。
近藤 (全集016の)箱の内側はフェリックス・ガタリと安部公房の写真です。
見返しは安部公房が撮った都市の写真、作家のモティーフそのものを表していると思って使いました。

■宮島達男 ブックレット 1999ヴェネツィア・ビエンナーレ
金森 現代美術で、青色LEDを使った作品を作っている宮島さんという方の……。
近藤 青色LEDはこれが最初です。

■東京オペラシティ オープニング 武満メモリアル
ロールシャッハみたいな……デカルマコニーという技法を使っている。
モチーフの五線譜は、武満遺作の五線譜の余白です。オマージュ。
金森 その作家の問題意識からコンセプトをとっている?
近藤 90年代に作ったものはそう。瀧口修造、シュルレアリズムの影響もある。

■マルティン・ヴァルデ
マルティン・ヴァルデのスライム様の作品と似たものを自分で作りました。

金森 自ら作家として表現したいと思わないのか。他者の作家性を表現したい?
近藤 自分は、批評や編集、キュレーターになると思っていた。
父は画家であり、高校時代に模写は描いたけれど、父の狂気は自分にはない。
画家はだいたい狂っているし、そうでなければ無理、自分は編集して評論していく。
金森 批評は言語を用いて本人が意識していないものをあぶりだすが、表現として視座を持つ。
近藤 宮川淳の『引用の織物』という実験的な書物がある、彼の美術評論は詩的になっていった。
言語的な方法論として極められたもので、言語を使った評論の究極であり、次のシフトになっている。
憧れていたが、亡くなってしまったので習えない。
ディスクール(言説)……ロラン・バルトのように、言語的よりも上の表現がすでにあった。
自分にはそこまでの能力はないのかもしれない、どうしても作家の側に立ってしまう。
技法的なウエイトとしての表現、身体的なものがでてくる。
絵画評論に限界を感じたので、批評性が形を変えて折衷案でやっている。
金森 それは、近藤さんにとってデザインがそうなのか、デザイン一般がそうなのか……。
近藤 デザインの中でそういうことがあってもいいのではないか。
デザインは一瞥性が大事で、まず人の足を留める簡潔性、インパクト、強さが求められる。
しかし、会話的な方法論…何度でも、あるいはずっと見続けたり、対峙してもいい。
金森 90年台はWindowsはないですね、PCがあれば反復できるツールとして使えるのに……。
近藤 ぎりぎりPCが入りこんできた時期。版下にペーパーセメントを使うのと、PCでの処理を併用していた。
1985年にはMacintoshがあり、1990年代の頭には自分の仕事として見せられるレベルまで使えるようになってきた。
金森 もうチラシは広報としていらいなんじゃないか。SNSとかが出てきて……。
近藤 一概には言えない。紙媒体がいる/いらないはシステム上のものではなく、レベル分けして考えないといけない。
だが、キービジュアルを作る作業は必要。紙として、もしくは画像としてあるのが求められる。
今日はとにかくスライドをたくさん持ってきていて……。

2000-2004年代作品
■フィリップ・ドゥクフレ「トリトン」
■武満徹「夢窓」
これは武満の本棚から。武満はルドンが好きだった。
金森 これは作品の要素が強いのでは。ダメ出しされることは?
近藤 ある。90年代に時代がかわってくる。協働しながら作ったこともあり、「もしもキュレーションに参加するとしたらどうするか?」という設定もあった。

■三浦雅士 書籍『考える身体』
三浦さんは70年代に雑誌「ユリイカ」「現代思想」の編集者をして、自分の本も出していたすごい人。
渡米してから、身体的な舞踏の評論にシフトした。
金森 どう思いました?
近藤 実のところあまり情報がなかった。雑誌「批評空間」で浅田彰、柄谷行人らと繋がりがあったが、そこから途切れ、渡米した。
金森 補足すると、舞踊をやる人誰もが読んでいた雑誌「ダンスマガジン」を三浦さんが作り、ベジャール、キリアン、フォーサイスの批評をしたり、60年代の演劇も熱烈に、いち速く取り上げた。三浦さん個人の知性のあらわれであり、必ず評論の現場にいる。
近藤 最近、Noismと金森さんを評価していると聞きます。
金森 嬉しい。聞こうと思っていたんですが、『考える身体』の装丁は……。
近藤 フォーサイスのイメージです。
金森 やっぱり。
近藤 裏見返しは、ベジャールの「春の祭典」です。

■三浦雅士 書籍『批評という鬱』
■三浦雅士 書籍『青春の終焉』
こちらは裏にブルーを使っています。
金森 作家からダメ出しされることは?
近藤 とある著作権者からダメ出しされたことはあった。金森さんからも結構……(笑)
まあ作家が作り壊していくものですが、だいたい一番最初のものが一番いい。
金森 そうですね。
近藤 勢いがあるから。

■インバル・ピント「オイスター」
パンフレットが蛇腹になっていて真珠がついている。手作業でつけた。
金森 80-90年代のヨーロッパの前衛はほぼ近藤さんが手がけた?
近藤 そうでもない。忙しい以外はほとんど断らないけれど。

■池田亮司 DVD「Fomula」
池田亮司は稀有な作家だと思っている。出会いがあった。

■ロベール・ルパージュ「月の向こうがわ」
金森 観た。
近藤 日本での公演は本人出演じゃなかったんですよ。

■マギー・マラン「拍手は食べられない」
作った時に使える宣材(画像)は写真一枚だけしかなかった、海外ではありがち。
マギーに「これが一番よくできている」と言われたけれど。
金森 フランス人はお世辞は言わない。

■安部公房 文庫本
安部公房に関しては、映像作品を作ったことがある。技術が変わったので作り直したい。
箱根の書斎の映像。そこは小説『飛ぶ男』のテクストそのもののような魅力的な部屋。
文庫本リニューアルは、安部自身が撮った写真から強度があるものを選んで使った。

以下、スライド表示されたものの、固有名詞の言及程度に留まったものを記しておきます。
東京都現代美術館 イタリア美術、東松照明、ICC(NTTインターコミュニケーションセンター)、ピーター・ブルック「ハムレットの悲劇」、森万由子、ダムタイプ「Voyages」、アントニオ・ゴームリー、ヴォルフガング・ティルマンス、クリスチャン・マークレー、やくしまるえつこ。

対談部分については、後日追って掲載予定です。なお、誤り等ありましたらご指摘いただけると幸いです。
(のい)

興味津々、家具デザイナー・須長檀さんをお招きした「柳都会」vol.19に耳傾ける

2018年12月2日(日)、心配された天気は上々。
気温もそれほど下がらず、「冬の一日」にしては過ごしやすかったでしょうか。
師走最初の日曜日のりゅーとぴあでは様々な催し物があり、駐車場は軒並み「満車」の表示。

そんななか、私たちのお目当ては勿論、14:30からの柳都会。
今回はNoismの作品で美術を担当して、極めて印象深い仕事をされている須長檀さんのお話が聞けるとあって、
皆さん、混雑を物ともせず、楽しみに集まってこられている様子が窺えました。
また、この日は、先に露国・サンクトペテルブルクに『ラ・バヤデール』を観に行かれた「幸福な方々」との久し振りの対面の機会ともなり、入場を待つホワイエでは、そのときのお話が聞こえてきていました。

開始10分前に、スタジオBへの入場が始まり、
予定時間ちょうどに、お待ちかねの「柳都会」は始まりました。
お二人のために用意された席の前には、須長さんがこれまでNoism作品のために制作された
椅子が3種(『solo for 2』、『ZAZA』及び『ロミオとジュリエットたち』、『NINA』)と
テーブル(『ロミオとジュリエットたち』)とが並べられ、
その向こうに座ったお二人のやりとりをお聞きしました。

大きなテーマはふたつ。
北欧と日本、そして日常と非日常。
全体的には、まず須長さんがお話をし、それを聞いた金森さんが様々な質問をぶつけては、
須長さんが言葉を選びながら答える。
すると、またその答えに金森さんがツッコミを入れ、
また須長さんが答えて、といった具合で、
20年来の親友という関係性を基に、
金森さんが繰り出す様々な質問を通して、
須長さんのプロフィールが立体的に立ち上がってくるといった感じで進行していきました。
主に攻める金森さん、主に困る須長さん、お二人とも本当に楽しそうでした。
ここでは、以下にそうしたなかから一部紹介を試みようと思います。

北欧と日本
☆スウェーデンのデザイン: 1880年代迄のデザイン史には「グスタビアンスタイル」と呼ばれる王侯貴族のためのデザインのみ。
女性解放運動家のエレン・ケイ(1849-1926)が登場し、女性的視点を取り入れ、生活に即した日常的なデザインを提唱。「生活者のデザイン」を重視。
★日本のデザイン: 浮世絵が「ジャポニズム」として輸出され、もてはやされる状況を危惧。
土着的な民芸品を高く評価し、「用の美」を唱えて、民藝運動を展開した柳宗悦(1889-1961)や
その実子で、前回(1964)の東京五輪・聖火トーチやバタフライ・スツール等で有名な柳宗理(1915-2011)の無意識のデザインが呼応する。
手から生まれるデザイン。それは量は質に転化する「反復」の点で、舞踊にも重なり合うものと言える。(蛇足ですが、我が家でも、柳宗理氏の片手鍋と薬缶を使っているのですが、手にすっと馴染む、使い勝手の良さには実に気持ちいいものがあります。)
☆北欧と日本の地政学的親和性: アニミズム的心性と「森」。
北欧が誇るガラス作品制作において、火は絶やすことができない。→その点でも「森」の国であることが重要。
また、「森」との関連からよい刃物が不可欠で、それが家具作りを後押しした。
一方の日本: 「森」(森林率)は世界第2位に位置する。

無意識・無作為
☆『NINA』の赤い皮の椅子「ウワバミ」*: 基本的に、スチールパイプの構造体に濡れた皮を被せる作業に無駄な作為は一切介在せず、10%程度縮んで固まっただけ。
ネジも一切使用していない。素材が形の決定性をもっているだけの作品。(現在は金森さんの私物なのだそうです。)
須長さん「どうしてこれを使ってくれたのですか?」
金森さん「皮膚の緊張感を感じる。身体の張りとエネルギーを要する椅子。知的なレベルの理解とそれを越える美しさ。そして時間が止まって見えること。『舞踊とは何ですか?』には『この椅子です』と答えられる、そんな椅子。普通に座れるが、身体を休ませることを許さない椅子。」
*「ウワバミ」のネーミングは、サン=テグジュペリ『星の王子さま』に登場する「ゾウをこなしている」ヘビに由来するとのこと。
★『ZAZA』の正立方体+アクリル板の椅子: 常に壊れるんじゃないかという感じがつきまとい、楽に座ることの出来ない椅子。正立方体のため、垂直方向にも、水平方向にも綺麗に並ぶ。(金森さん)
☆正立方体が歪んだかたちのテーブル: 『ZAZA』では使われず、『ロミジュリ(複)』で登場。歪みを特徴としながらも、ただ一方向、「正立方体」に見える角度がある。世界の見え方の喩。
★軽井沢のアトリエ「RATTA RATTARR」: 4つの「ART」のアナグラム。「うさぎのダンス」のようでもあり。
「唐突の美」: 淡い期待とすれ違いの繰り返しの狭間に唐突に現れる美をつかまえる。
障碍者(無意識・無作為)と支援員(他者の目)の二人でひとつの作品を作るスタイル。
パウル・クレー(1879-1940)は、制作の際、自分の中に他者の目を持つことを心掛けたという。
天才でなくとも、二人でなら可能になる。「ART」の再構成。予想外のものが返ってくる、発見の喜びがある。
ストップをかけずに感覚的に作る者(障碍者)+舵取りをする者(支援員)。極力舵取りをしなかった製品がよく売れる傾向がある。
それに対して、「個人の内的なプロセスでも可能ではないか」として、大きな差異を認めず、
「そこに座って観ているだけで、ワァッ!となるものを創っていかなければならない。」とするのは金森さん。

無関心
☆「棚がなくなる」: 現代は物質が情報化される時代。家具自体がなくなる、或いはシェアされる流れにある。
→所有欲や親密性も新しい姿に書き換えられざるを得ず、そのことに怖さと楽しみの両方がある。
世代を越えて使われる家具: 修理、愛着。他者にまつわるイマジネーションの問題。

無防備
★Noismを観ること: 圧倒的な情報量に晒されること。ある時から、舞台に対して無防備な状態で向き合うことにした。
混沌とした状態で観終えて、その後の道すがらから、観た舞台の再構築化を楽しむ。それが大事。
Noism以外では、このようなことは体験したことがない。
そうした再構築化が可能となるのは、一人の作家(金森さん)の作品をずっと見続けてきたことによるもの。
繰り返して何度も観てきたので、根底に流れているものにも気付けることはあるのだろう。
☆『solo for 2』の傾いた椅子: 非日常。この上なく身体を必要とする自立しない椅子。同時に、「片足が折れている」ことのメタファー。
驚くほど軽量であるうえ、美しく設えられた八角形のビスを外すと、バラすこともできるという優れもの。そのビスに代表されるように、客席からは見えない細かな部分まで手が込んでいる。
→舞台上で実演家が感じるクオリティは還元されて客席に伝わる。(金森さん)
公演時、舞踊家が椅子を離れると、椅子も逆方向にパタッと倒れたのが、「椅子が踊っている」ように見え、感動した。最も好きな椅子。(須長さん)

強度のあるデザイン
★「美しいものを作るためには誰かのために作らなきゃならないよ」: 行き詰まりを感じていた頃、金森さんからかけられたこの言葉にハッとした。(但し、金森さんは「そんなこと言った記憶はない」と言うので、真偽のほどは不明ながら。)
デザインの強度: 「切望」を相手にするデザイン。自分のためではなく、他者のためのデザインであること。舞台の仕事も良いトレーニングとなった。

これからのデザイン
☆AIの可能性: 売れるものを作るためにはAIに優位性あり。また、スタディの結果、奇抜さでもAIが勝る可能性がある。(人間らしいエラーすらスタディされてしまいかねないのだから。)
何故、AIに抗うのか?→物を作る喜びを探しているだけかもしれない。(須長さん)
現代のリアクションとこの先のリアクションが異なるのは当然だろう。知性が問われる。
現在の主潮は「対AI」的感覚だが、そのうち「対人間」的なものになる時が来るかもしれない。
「人間とは何か?」: 舞踊芸術として常に向き合っているテーマ。(金森さん)
いい意味でも悪い意味でも変わっていかざるを得ないだろう。面白いじゃない。(金森さん・須長さん)

そんなふうに時空を縦横に行き来しながら、創作というものの神髄を感じさせてくれた、
本当に濃密な2時間でした。
途中に一度、「トイレのための小休憩」(金森さん)という10分休憩がとられたのですが、
その間も、多くの方がトイレに行くことなど後回しにして、須長さんの作られた椅子とテーブルを見て、触って、持ち上げたりする姿が見られ、すっかりお二人のお話の虜になってしまっていたようでした。
それはまさに私のことでもあり、到底見るだけでは済まず、すべて触って、それでも足りずに持ち上げてみてを繰り返し、ほぼ10分間ずっと、それらの感触を実際に自分の手で確かめて過ごしました。

そんな今回の「柳都会」も最終盤に至って、
須長さんに向けて「実際にその椅子は買えるんですか?」との質問が出たのですが、
それに対しては、「家具デザイナーですから」と言うのみで、否定はされませんでしたから、
もしどうしても欲しいという方は、須長さんに相談してみられたらよろしいかと思います。

須長檀さん、物腰の柔らかい、穏やかな方でした。
問うこと及び考えること、その愉悦に満ち、とても刺激的だった「柳都会」は予定通り、16:30にお開きとなり、
その後、金森さんたちは足早に、同じりゅーとぴあ内のコンサートホールへ、17:00開演の東京交響楽団の公演を聴きに行かれました。
「Liebestod」や「タンホイザー」序曲など、予てより金森さんが興味を寄せるワーグナーの楽曲が並んだプログラム。
この日のワーグナー受信がいつか金森さんをしてどんなアウトプットを成さしめるのか、
そんな日のことを夢想しながら帰路につきました。

【追記】この日は、Noism新作『R.O.O.M.』&『鏡の中の鏡』東京・吉祥寺シアター公演のチケット発売日でもあり、私も無事に2公演のチケットを押さえることができました。
須長さんは、金森さんからの依頼を受け、この新作のために新たな制作をされているとのこと。
奥深いお話しを伺い、これまで以上に須長さんの仕事を注視していきたいと思いました。
新作、そうした意味からも期待大です。
(shin)

「柳都会 第18回 茂木健一郎×金森穣 -脳から考える身体の知性」を聴いてきました

2018年2月4日(日)、立春を迎えた新潟ですが、
もう何回目になるのか思い出して数えることも嫌になるような寒波の襲来に見舞われ、
降る雪に閉口しながらも、りゅーとぴあ(5F)能楽堂に出向き、
大勢の、本当に大勢の聴衆とともに、
脳科学者の茂木健一郎さんをゲストに迎えた「第18回柳都会」を聴いてきました。

圧倒的な臨場感をもって語られた「会」をそのままお伝えすることは到底できませんが、
その雰囲気の一部でもご紹介出来たら、との思いでレポートを試みます。
これから書かれる発言は特に断りがなければ、茂木さんのものであるとお考え下さい。

そして、もっと重要なことを最初にお断りしておきますが、
それは脳科学その他の知識の持ち合わせのない者がこれを書いているため、
あまり深い記述を期待されると困るということです。
あくまで雰囲気をお伝えしようというのが主眼です。
その点、ご了承願いたいと思います。

おふたりが能楽堂の舞台奥から登場。
開口一番、「お客さんの多さに戸惑っている」と金森さんが切り出すと、
すかさず、「葉加瀬太郎さんと勘違いしてませんか」とおどける茂木さん。
つかみはOK。このやりとりがこれに続く愉しい2時間の皮切りでした。
(但し、冒頭、言うつもりの「このあたりに住む粗忽者でございます」を言い忘れてしまい、
休憩後、後半の登場時に改めてそう名乗ることで、何とか思いを遂げることができたとして、
笑う茂木さんでもありました。)

用意された椅子にかける金森さんの傍ら、
自ら「喋るときは立つ。足にスイッチがある、そういうシステム」と語り、
ずっと立って動きながら話す茂木さんが繰り出した第一の問いは
「『美』って何だと思いますか。金森さん」
対話による公開講座の始まりです。

「美」について
☆蓄積されたビッグデータを解析すると、「美」とは「平均値」のことになると説明。
「美人」も、まずは両目の間隔が顔幅(横)の46%で、
目と口の間隔は顔の長さ(縦)の36%と数値化できるのだという統計結果を示し、
但し、顔には他にもパラメータが多く、
それらが全部揃っていれば「美人」とされるのだと解説。
(巷に美人が溢れてしまうことになり難いのも、
顔を構成するパラメータの多さの故とのこと。(笑))
動きも同様ではないか。
それを基にして動きを見つめると美しく感じる
「メートル原器」のようなものが存在するのではないか、
という見方で動きを捉えているそうです。
動きもシンプルで余計なものがない方が記憶に残り易い。
それは美人ほど表情から感情を読み取り易いのと同じだと。

芸術と日本、そして天才
★人口80万人の地方都市・新潟がNoismを抱えて、芸術を培っているのは、
欧州ではよく目にすることながら、この日本では奇跡的なこと。
例えば、100年後に、コンテンポラリーダンスの歴史が書かれたりするなら、
この年代を扱うとき、《金森穣、Noism、新潟、日本》の記載がない筈がない。
☆個性の表現としての芸術が根付きにくい国・日本。
対して、欧州や米国は、もともと主観を重視する。
この点に関して、金森さん「日本の芸術教育は先生が絶対であり、
先生に言えることはない。それ故、10代でローザンヌへ行ったとき、
『君はどう思う?』と常に意見を求められるのがキツかった」
★欧米には、自分の個性を表現することを「喜び(glee)」と捉える土壌がある。
「これを表現しなきゃ生きていけない」とかという強い思いがあるかどうか。
☆J・シュトラウスの「こうもり」を聴くと、その時のウィーンの情景が浮かぶし、
マーラーの交響曲第5番のアダージェットには、憂い、喜びや郷愁が宿っている。
これらは具体的な何かから出発して、脳の中で起源(原型)の方に向かっているのであり、
アインシュタインの言葉を借りれば、芸術は「その痕跡を消すもの」だと。
★天才は遺伝しない。ただ凡人から生まれるのみで、また凡人が生まれる。
天才はネットワークの産物と捉えられる。
天才、即ち「創発」(=部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること)した人。
「あの日、あの場所」の個別性と結びついたかたちでしか理解できないもの。
例えば、フェルメールが描いた絵には、一人ひとり全てにモデルが実在する。
個別性が普遍性をもつ。→個別的・具体的な身体が踊りとして普遍性を有する構造とパラレル。
金森さん「例えば、ボレロも、ひとりの天才がゼロから創ったものではない。
大本は、酒場の赤い円卓の上で踊ったニジンスキーの妹」

意識と脳
☆寝ている間、意識がないにも拘わらず、起きた時の自分が、
例えば、自分のコピーではなく、何故、寝る前の自分と同一であると感じるのか。
それは単に、「ベイズ推定」(確率的な意味で推論するアプローチ)に拠っているに過ぎない。
★クオリア(感覚質): 主観的に体験される様々な質感。
『SHIKAKU』や『sense-datum』を観た時のクオリアはずっと残っていて、それが育っていく。
金森さんも「人の心に届く。人の一生に何らかのものを残す。それを信じなければ、
舞台で踊ったりできない」と。
☆死について: 今ここにいない人のことを思うとき、心が動くことがある。
亡くなった人を想起するような場合など、脳の「DMN(default mode network)」
(=安静時において、活動が高くなる脳領域)的には実在していることがあると考えられる。
☆ミラーニューロンの話(参考:BS日テレ「ニューロンの回廊」…【註】):
金森さんが呈した疑問「感覚所与として、どのように客席に届くのか」に対して、
茂木さん「シミュレーションしている。子どもが言語を獲得するのと同じ。
脳内では、自分で踊っている気になれる」
★茂木さんが呈した疑問「どうやったら振りを覚えられるのか」に対して
金森さん「素質と言えば素質だろうけれど、頭で考えていないことは事実。
頭で考える人は覚えられない。空間における身体の動きの作用として覚える。
20世紀初頭に『notation(「記譜」)』が考案されたのだが、細かい動きは無理。
今なら、映像の方が優位。しかし、それも瞬間や雰囲気は捉えられない。
また一方、他者の身体を通すことによって飛躍すること、
もっと端的には実演家によって花開いたりすることがある。
もともと女性が踊っていたボレロを、ジョルジュ・ドンが『踊りたい』と言い、
今のボレロになったのもひとつの例」
茂木さん「ダンスとは、成立条件がとてもユニークな芸術形式だと感じる」

自由意志は幻、全ては自然法則で決まっている
☆金森さんの「音楽を聴いて、何かを受信する。それをアウトプットしている」イメージを
「電波系」と呼ぶ茂木さん。脳に起きていることを違った風に説明することは多いとしながらも、
金森さんを「受信して見えたものの翻訳作業ができる人」とし、
『電波』を現実に繋げていくのは容易ではないこと、と。
★自由意志はない。人間は、小さな流れが集まって、大きな流れになったもの。
自身の生活における無数の要素の集積としての人間。
感謝の念をもって、世界と交わるべき。
☆「メッセージ・イン・ア・ボトル」:
記憶に残る言葉は、大概、言った本人は覚えていないことが多い。
贈り物を誰かにあげているのかもしれない。
舞台も同じ。創り手が受け手に。
★マインドフルネス(=「今この瞬間」の自分の体験に注意を向けて、評価をせずに、
現実をあるがままに受け入れること): 多様性のままに受け取ることの重要性。
舞台もそのままで受け取るのが素晴らしい。

神や永遠について
★スピノザ『エチカ』によれば、神とは「絶対無限」であり、ということは、
姿かたちをもたず、人格もなく、賢ささえない。
☆永遠: 永続する時間のことではなく、今、この瞬間にある。
例えば、「赤のクオリア」が今ここで生まれる、その一瞬に永遠性を見る。
過去の自分は今はもういない。その時その時で死んじゃっているようなもの。
「今」という時間が「永遠」と繋がっている。

感動をめぐる脳の仕組み
★偏桃体におけるオーバーキャパシティとみなし得る。
喜びの処理がオーバーフローし、
脳の回路としては、ある意味「傷つき」、痕跡を残した状態。
☆Noismを観ると、ある意味疲れるのは、
情報処理荷重が極めて高いからと考えられる。
金森さん「また、Noismは身体を緊張状態において舞台に立たせている。
ミラーニューロンの働きとして、客席に繋がることもあるのではないか」

能とNoismの類似性
★金森さん「帰国してカンパニーを立ち上げ、名付けるとき、意識にあった。
身体でしかできないものを歴史的に継承し、抽象的なものを創造している能。
様式化することの重要性。様式化された身体。
日常的な身体は登場させない。
空間構築・橋掛かり→トランスフォーメーション後の身体という共通性。
あらざるどこかを想起させる能。
西洋と東洋の融合で新しいものを生み出したいという思い」

以上、関連した発言は前後移動してグループ化して置いてみましたが、
力不足から、総じて、纏まりに欠けるレポートとなってしまいました。
ご容赦願います。

茂木さんの縦横無尽な語りから飛び出してきた名前は、他にも、
養老孟司、ジル・ロマン、マリア・ロマン、シルヴィ・ギエム、アランチャ・アギーレ(『ダンシング・ベートーヴェン』)、青山二郎、白洲正子、小林秀雄、長次郎、木村拓哉、市川海老蔵、坂東玉三郎、小澤征爾(サイトウ・キネン・オーケストラ)、Negicco、篠田昭(新潟市長)、東浩紀、リヒャルト・ワーグナー、コジマ・ワーグナー、ハンス・フォン・ビューロー、フランツ・リスト、レオナルド・ダ・ヴィンチ、荒川修作、貴乃花、宇多田ヒカル(『First Love』)、ダン・ブラウン(『Origin』)、モーリス・ベジャール、手塚治虫、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ウィリアム・シェークスピア、ベン・ジョンソン(英・劇作家・詩人)、観阿弥、世阿弥、ハリー・フーディーニ、
(そこに金森さんが加えた名前として、サー・ゲオルグ・ショルティ(シカゴ交響楽団)、ヴァーツラフ・ニジンスキー、ツモリチサト)、等々。
(まだ書き落としている名前もあるでしょうけど。)
もう古今東西、とにかく多岐にわたりました。
しかし、「とても自由、まさしく融通無碍に」と言っては怒られてしまいそうです。
なにしろ自由意志などなく、全ては自然法則によって決まっているのですから。

新宿のパークタワーで『SHIKAKU』(2004)を観て以来のNoism愛を迸らせ、
(特に、『Liebestod -愛の死』に言及される際には、遠い目になっておられました。)
更に、(社交辞令も交じっているかもしれませんが、)
「いい感じ」だからとNoismを観に来る観客も好き、新潟も、朱鷺も好きと語った茂木さん。
このあと、Noism活動支援の手続きもして頂けるとのこと。
気さくで、淀みなく語る、大変心強いサポーターをお迎えしての
ユニークで楽しい柳都会に、すっかり雪の大変さを忘れて聞き入りました。
午前中は、間断なく雪が降り続いたため、一時は「行かないでおこうかな」とか
心折れそうだったのですが、来られてよかった、そう感じた2時間でした。
(shin)

【註】BS日テレ「ニューロンの回廊」:2006年4月から9月まで放送された番組で、
正式タイトルは「ニューロンの回廊 ~潜在能力の開拓者たち~」。
「茂木脳科学研究所」を主宰する「ドクター茂木」(茂木さん)が、
毎回、ゲストの脳の中に潜入して、その創造性の秘密に迫るという設定の対話番組。
金森さんとの対話は、光文社「芸術の神が降りてくる瞬間」(2007)としてまとめられた本
(ISBN978-4-334-97526-5)のなかに、「今やる意味のあることを、模索せよ」という章で
収められているので、そちらで読むことが出来ます。
(同書に収録されたゲストは、他に、町田康、山下洋輔、立川志の輔、荒川修作)

もうすぐ柳都会 茂木健一郎×金森穣

今日から2月ですね。
Noism2公演が終わり、Noismロスの方々、今度の日曜は柳都会ですよ♪

Noism公開講座 柳都会(りゅうとかい)vol.18
茂木健一郎 × 金森穣

日時:2月4日(日)16:00-18:00
会場:りゅーとぴあ・能楽堂
参加費:500円(要予約)
詳細・申込み方法:http://noism.jp/npe/ryutokai_18/
お問い合わせ:Noism「柳都会」係tel.025-224-7000

会場は能楽堂です。まだお席があるようなので、ぜひどうぞ!

閑話休題:

月刊ウインド2月号
今月も快調、月刊ウインド!
18ページのNoismコラム、vol.4は吉﨑裕哉さん。
タイトルは「悶々としたいのだ・・・!!」。
後味の悪い、悶々とするような映画がお好みとのこと!

そして20ページ、「NIDF2017を振り返る」。
NINA新潟公演を含め4公演+シンポジウムについて市川明美さんが書いてくださっています。
https://www.cinewind.com/news/2-1-2-2/

■砂丘館で開催中の【特別展示】Mikkyoz(le+遠藤龍)は2/4まで。
明日2月2日(金)19:00-20:00
遠藤龍さん(Noism映像・写真担当)のギャラリートークがあります。
参加費500円、申込不要、直接会場へ。
https://www.sakyukan.jp/2018/01/6158

奥野晃士さんブログ「来た球を打つ」のご紹介
http://kitatamaoutsu.blog.fc2.com/blog-entry-208.html
昨年3月、ルーマニアの首都ブカレスト国立劇場で行われた、Noism劇的舞踊『ラ・バヤデール-幻の国』公演。
昨年末、その様子がルーマニア国営放送テレビでオンエアされたそうです!
ブログには写真がたくさんあります。
NINA埼玉公演についても載せてくださっていますよ♪

そんな奥野さん(たきいさん、貴島さんも)、次のロミジュリにも出演するかと思いきや、SPACの別の方たちが複数名出演されるそうです。

奥野さんが出演するのはこちら。
http://www.aac.pref.aichi.jp/gekijyo/syusai2017/detail/180324_hogiuta
★「寿歌」(ほぎうた)
3月24,25,26日、愛知県芸術劇場 小ホール
たきいさんも出演します。
そして同演目、こちら。
http://spac.or.jp/news/?p=13869
4月28,29日、静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」
この日程はNoism1上野公演と同じ。重なっちゃいましたね。

奥野さんは新潟でも「声に出して読むシリーズ」で活躍し、新潟おくぬ~倶楽部としても活動されました。
奥野さんから、「新潟の皆様方にくれぐれもよろしくお伝えください」というメールをいただきました。
またお目にかかれるときが楽しみです♪
(fullmoon)

2017/12/3(SUN.)「Noism Day」レポート

朝、快晴だった時間があり、晴天のまま推移することを期待するも、
天気は一転し、お昼前には雨模様となった2017年12月3日、日曜日。

この時期としては、雪ではなかったこと、
そして厳しい寒さでもなかったことが救いでしたが、
どんな天候であっても、その以前に、
午後からの新潟市のりゅーとぴあは、まさしく「Noism Day」。
まず、14時半から15時半は、活動支援者及びサポーターズ会員対象の
『NINA』公開リハーサル(スタジオB)。
そして、16時から18時は第17回「柳都会」(能楽堂)。
『NINA』新潟公演を待ちわびる人々にとって
少し早い「前夜祭」的な一日でした。
ここにふたつまとめて報告させていただきます。

(1)Noism1『NINA―物質化する生け贄』公開リハーサル

今回、約30人の見学者は、スタジオB正面の鏡の前と両側面の壁の入口寄りに、
例えるなら「ホチキスの針」形状とでも言えそうなかたちに配置されたパイプ椅子に腰かけて、
冒頭部(全員)、池ヶ谷さんのソロから井本さんとのデュオ、そしてメンズ中心のパートと、
3つのパートを順に見せていただきました。

各パートごとに、金森さんと井関さんおふたりからの細かなチェックが入り、
動きが精緻に練り上げられていきます。
最高の動きを求めて、各舞踊家の限界ギリギリのところで行われる
一切の妥協を許さないクリエイションに、
見る側にも自然と緊張感が拡がっていったほどです。
「マジックがない」「抜けている」「ぬるい」と鋭いダメ出しが行われ、
「抗うんだよ」「『NINA』にはリラックスはないよ」
「ためる技術がないから、早くいっちゃうんだよ」「で、今度は遅い。パッと」
「imaginationが足りないんだよ」「もっと対峙しろよ」
「『あなたがこれやりました。次に私がこれやります』じゃないんだよ。
エネルギーが繋がっていくんだよ」等々、
火傷しそうなほど熱を帯びる厳しさに、見る側も息を詰めつつ、見守る、見守る…
この厳しさからしか生み出せないもの、
それが名作の名作たる所以なのだと承知しました。

時間を延長しながら、切れの良いところまで見せていただいたあと、
金森さんから、新潟公演での井関さんのソロ演目について、
「今の井関佐和子のために振り付けました。楽しみにしていてください」
との言及があり、公開リハーサルは締めくくられました。
時に、15時40分に近かったはずです。

(2)第17回「柳都会」 ゲスト・廣川玉枝氏(SOMA DESIGN)

さして時を置かず、定刻の16時ぴったりに、能楽堂の舞台奥から
スーツに着替えた金森さんとエレガントな装いのゲスト廣川玉枝さんが登場し、
「柳都会」が始まりました。
今回、新たに『NINA』の衣裳を担当されたのが廣川さん。
その廣川さんが用意してきたタイトルは「身体の夢 ファッションデザインの拡張」。
「レクチャー+対談」という形式ではなく、
主に廣川さんがプロジェクターを使ってご自身のこれまでのお仕事・作品を紹介するなか、
その都度、金森さんからの質問や発言に応答して、説明を加えていくスタイルをとり、
休憩は挟まず、会は進行していきました。
以下に、金森さんの発言も取り込んだかたちで廣川さんのお話をご紹介いたします。

☆クリエイティブ集団・SOMA DESIGN
自身が独立するとき、デザイナーの役割は今後変わっていくのではないかと直感。
衣服だけではなく、デザインの可能性を拡げる仕事をしたいという思いから、
ファッションブランドSOMARTAと並行して、
仲間を取り込み、仲間を増やしながらやってきたもの。

★衣服と「第二の皮膚」
衣服には、精神的なものや視認的なものを変える力がある。
その衣服の可能性の根源的なものを探りたい。人類としての根源。
原始からの身体装飾。(祭りや神事)
ボディペインティングなど、自然を超越した何か(神)に向けられたものが、
どこかの次元で、自己表現になっていったもの。(←金森さんの発言に共感した部分)
第一の皮膚の上に「第二の皮膚」を纏うかたちで、
脱ぎ着のできる皮膚が「skin」シリーズ。
360°伸びる、伸縮性に優れた「網」の構造をもつ。
1990年代後半というタイミング、「無縫製」で作る機械の存在。(日本では島精機)
技術はあっても、デザインする人がいないと進歩していかない。
デザイナー: 昔あったものを今の時代に落とし込んでいく役割も大きい。
デジタル+職人による新しいクチュール(仕立て・縫製)の創造。
また、デジタルの技術によって、時間の短縮に留まらず、
職人の仕事の質が変わってくる側面もある。

☆衣服にとどまらない展開
私たちの周囲は様々な「ボディ」で溢れかえっている。
身体を離れたskinのデザインへ。
*スキン・ボーンチェア:
骨組みとしてのガーデンチェアに皮膚を着せた、着替えのできる椅子。
*自動車のボディに対する「ファッション」の依頼(レクサス、smart)ほか:
「覆う」→二律双生。車と身体の融合。
*電動アシスト車椅子(YAMAHAとのコラボ):
足の不自由な女性がパーティーに出られるようなデザイン。
毎日乗るものとして身体とのの一体感があり、更に、「着る車椅子」的なコンセプト。
ヒールのイメージすら有する、ファッションとしての車椅子。
「ないから乗れない」「マーケットが小さいから必要ない」ではなく、
「作ってみないとわからない」。「コンセプトモデル」の必要性。

★ニットとの出会い
就職後、配属された部署での偶然の出会いだった。
平面的な中に立体的なものを取り込んでいく可能性に「楽しい」と感じた。
型紙を用いて立体的に作る西洋的な仕立てではなく、
例えば、表地・裏地の境界線もなくし、ポケットも一体成型してしまうような
新しいジャケットの作り方。

☆MoMA(ニューヨーク近代美術館)にも収蔵された「skin」シリーズ
「ニュー・プロトタイプ」(新しい原型)という範疇での選出。(「111のアイテム」)
キュレーターからは収蔵理由の説明を一切受けていないのだが、
自分では「遠くにあってもそれが何であるか言えるもの・視認できるもの」と理解。
また、当初から「これはビジネスとしても成功するぞ」という思いはあった。
「Artをやりたい」信念と「売りたい」思いの矛盾。その真ん中、或いは「交差点」を通ってきた感じ。

★会場からの質問と回答
Q.「第二の皮膚」を纏うとき、皮膚呼吸はどうなるのか。
---A.穴が開いていることで伸縮もする。イメージは蜜柑のネット。熱も逃がせる。
Q.無縫製のニット、破れたりもしたとのこと。どう修繕するのか。
---A.手で繕うしかない。かがった。爪を立てたりすると破れやすい。着る際には
注意が必要。また、ダンサーの動きで一番力がかかるポイントは脇の下部分と知り、
相応の対処を施した。
Q.360°無縫製の制作とは、頭の中でどんなことを考えているのか。
---A.編み方に関しては詳しくないし、自分一人ではできない。職人との協働。
また、どちらか一方だけでは進化はない。二者間の関係性が重要。
突飛なこと、無茶なことなど、外部からの刺激がないと次の段階には行けない。
↑この件に関しては、金森さんも「ポイントだね」と指摘
Q.「skin」を構成している「組織」という言葉が意味するものとは。
---A.部分部分の「編み」の編まれ方とでも言えるもののこと。
Q.様々な「組織」の境界部分はダメージを受けやすかったりしないのか。
---A.編み方の特徴によって弱い部分もあるが、特に境界部分がということはない。
但し、伸びる組織と縮む組織の境目が「ぽこっ」としてしまうようなことはある。
Q.「皮膚」のデザインを志したきっかけはどういうことか。
---A.服飾を学んだ文化服装学院には、人体解剖学といった科目もあり、興味を覚えた。
以前から理科は好きだったうえ、レオナルド・ダヴィンチによる解剖図も。
また、折からの「人体の不思議展」(上野)にも惹かれた。
Q.初めて観た舞台作品は何だったか。(金森さんからの質問)
---A.思い出せないが、イリ・キリアンやNDTに誘ってくれる友だち(宮前義之さん)の
存在があった。

レディ・ガガをも虜にする廣川さんの「skin」シリーズ。
それがNoismダンサーの身体と相俟つとき、どんな光景が展開されるのか。
想像するだけでワクワクを禁じ得ません。
両の眼で『NINA -物質化する生贄』をしっかり受け止めたいと思いました。

ラスト、こちらでも金森さんから「先週あたりに決まった」新潟限定・井関さんの
ソロへの言及をもって、「柳都会」は17時25分、大きな拍手の中、閉じられました。

ここまで、抜け落ちも多い、非常に雑駁なレポートになってしまいましたが、
そこは報告者の力量不足ゆえ、ご寛恕を請うよりほかありません。
少しでもイメージが伝わっていたなら幸いです。

厳しさと楽しさ。
弥が上にも、身の裡の『NINA -物質化する生贄』への期待値は上昇し、
火照りにも似た熱を閉じ込めながら帰路につくことで、
そぼ降る雨のなか、新潟市の「Noism Day」は暮れていきました。

【追記】この日はまた、茂木健一郎氏をお迎えする次回・第18回「柳都会」の申し込み開始日でもありました。
詳細は、こちらから。 http://noism.jp/npe/ryutokai_18/
次回「柳都会」(2018/02/04)も楽しみです。
(shin)

さわさわ会フォトギャラリー♪ 12/3(日)はNoism Day、『NINA』公開リハーサル&柳都会!

さわさわ会のホームページに、先日のさわさわ会懇親会・誕生会のフォトギャラリー、アップ!
http://www.sawasawa-kai.com/photo/

写真をクリックしてご覧くださいね♪
佐和子さんのSNSでご存知の方も多いと思いますが、他の写真もありますので、ぜひどうぞ。

さて、香港公演が終わり、Noism1『NINA』東アジアツアー無事終了! おつかれさまでした!
12月の新潟公演、いよいよです。

その前に、12/1(金)は京都で、金森さん出演のトークシリーズがありますね。

プロフェッショナルに聞く!~文化庁移転と文化芸術の未来~
『劇場で創造すること』

http://noism.jp/kyoto_2017_taik/

■出演者
金森穣(りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 舞踊部門芸術監督,Noism芸術監督)
堀内真人(KAAT神奈川芸術劇場 技術監督)
■ファシリテーター 森山直人(京都造形芸術大学 芸術学部舞台芸術学科教授)

日時 2017年12月1日(金)18:30~(約2時間)
会場 mumokutekiホール(京都市中京区寺町通蛸薬師上る式部町261 ヒューマンフォーラムビル3F)

私は行かれなくて残念。。いらっしゃった方は様子をお知らせくださいね。

そして、次の日曜日12/3はNoism Day♪
サポーターズ会員・活動支援会員向けの公開リハーサル&ゲストに廣川玉枝さん(NINA衣裳)をお迎えして柳都会vol17開催!
公開リハーサル終了の30分後に柳都会が開催されます。

◆『NINA』公開リハーサルのご案内

日時:12月3日(日)14時半~15時半
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈スタジオB〉
対象:Noism活動支援会員、及び『NINA』公演チケットを購入済のNoismサポーターズ会員(受付時にチケット提示)
申込締切:サポーターズ会員の方は11月30日(木)までにサポーターズ事務局までお名前をお知らせください。

*受付開始は14:20からの予定です。お時間まで2階共通ロビーにてお待ちください。
*開始時間を過ぎるとご入場いただけない場合がございます、ご注意ください。

サポーターズ会員・活動支援会員になって公開リハーサルを観ましょう(会員特典です)♪

◆対話による公開講座「柳都会」vol.17
廣川玉枝×金森穣
-デザインと技術 継承と創造の関係性

http://noism.jp/npe/ryutokai_17/

日時:12月3日(日)16:00~18:00
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈能楽堂〉
登壇者:廣川玉枝(SOMA DESIGN)、金森穣

参加費:500円(要予約。当日会場にてお支払いください。)
申込方法:メール、Faxまたは往復ハガキにて
[1]氏名(ふりがな) [2]郵便番号 [3]住所 [4]Tel / Fax [5]メールアドレス
を明記のうえ、下記までお申込みください。
*メールの場合は、件名を「Noism柳都会申込」としてください。
*定員になり次第締め切らせていただきます。
*お申込みいただいた方には、折り返し確認のご連絡を差しあげます。

お問い合わせ:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 Noism「柳都会」係
〒951-8132 新潟市中央区一番堀通町3-2
Tel: 025-224-7000 Fax: 025-224-5626
E-mail: info-noism@ryutopia.or.jp

柳都会の会場はスタジオBが多いのですが、今回は能楽堂。いつもの3倍以上の方が入場できます。ぜひどうぞ!

その次の柳都会vol.18は来年2/4(日)ゲストは茂木健一郎さん、申し込み受付は12/3からです。
http://noism.jp/npe/ryutokai_18/

閑話休題:

ダンス公演のご案内です。

■「REQUIEM ~序章~」

日時:12月23日(土・祝)15:00/19:00 ※全2回
会場:EARTH+GALLERY(東京都江東区木場3-18-17)

作・演出:高原伸子(元Noism1)
出演:OBA、笠井瑞丈、柴崎健太、中川賢(Noism1)、加賀谷香、高原伸子
料金:3,000円(各回限定50名)
予約:requiemjosyo@gmaile.com

高原伸子さんの公演に中川賢さんも出演します!
作品はモーツアルトの「レクイエム」がテーマとのこと。どうぞお運びください。

■ 生きる舞踊団Nephrite コンテンポラリーダンス公演
「Limit」

振付・演出:土田貴好(元Noism2)、小倉藍歌
日時:12月24日(日)14:00開演
会場:新潟市江南区文化会館 音楽演劇ホール
チケット:前売2500円(学生1500円)当日3000円【全席自由】
出演:土田貴好、小倉藍歌、他、出演者13名

【主催・予約・問い合わせ】生きる舞踊団Nephrite 代表土田
nephrite15.dc@gmail.com
https://www.facebook.com/nephrite15/

元Noism2の土田貴好さんの自主公演です。
土田さんは公演終了後、文化庁の新進芸術家海外研修員として2年間ベルリンに留学します。

そして、このブログには珍しく展覧会のご案内です。
●「有元利夫 版画の世界―中村 玄 コレクション展」http://www.vill.yahiko.niigata.jp/exhibition/exhibition_museum/
サポーターズ会員、さわさわ会役員、活動支援会員の、中村玄さんのコレクション展が、弥彦の丘美術館で開催中です。とても素敵ですのでどうぞご覧ください。
会期:11月11日(土)~12月17日(日)会期中無休(開館9時~16時30分)入場料300円

亀田縞のNoismコラボ動画、素敵ですね!https://kamedajima.net/ 
早くロングバージョンが見たいです♪
(fullmoon)

柳都会 第16回 田根剛×金森穣を聞いてきました

Noism『ラ・バヤデール -幻の国』ツアー直前の2016年6月26日(日)午後4時半、
新潟・りゅーとぴあのスタジオBを会場に、
『ラ・バヤデール』の空間を担当された建築家・田根剛さんをお迎えして、
「世界を舞台に飛び回る建築家が考える、21世紀の建築とは?」というサブタイトルのもと、
第16回の柳都会が開かれました。

お二人は旧知の間柄と言うことで、
お互い、なに気兼ねするところなく、テンポよいお話しが展開されました。
全てをお伝えすることは到底無理ですが、エッセンスをご紹介しようと思います。

①エストニアのナショナル・ミュージアム(国立博物館)のコンペ:
2006年、友人を介して知り合い、ご飯を食べてすぐに意気投合したレバノン人女性「リナ」・ゴットメさん(←Noism『SHIKAKU』の映像を見せると、「食いついてきた」。)と田根さん、
そこにもうひとり、イタリア人男性・ドレルさんを加えた3人で、
パリに事務所DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE/ARCHITECTS)設立。

基本的に建築は個人の力、裁量、思いを反映するものなので、
グループでやることは難しいのだが、
一緒にコンペに参加することにし、見事に勝ってしまったのも、
「信じるもの(「滑走路」というコンセプト)」を共有できたことが大きい。

②ARCHAEOLOGY OF THE FUTURE(未来の考古学):
米ニューヨーク流の20世紀の都市の構造が世界を席巻。
投下された資本に比例して縦に伸びていくモデル。(垂直構造の「中心」)
同時に、人の流入により、郊外は拡散。(水平構造の「周辺」)
→できあがったのは、どこともわからない風景、どこにもある街の風景。
仏パリ、1970年代に作られたコンクリート+ガラスの近代建築の方が先に壊されてしまう皮肉。
→近代建築は果たして正しい方向だったのかという疑問が生じる。

*目指したのは、そこにしかない「場所」の意味を掘り下げていくこと。
即座には見えて来ない土地の文化や価値を志向して、
断片的な記憶を積み重ねていくこと。
起源を系統立てて掘り下げるリサーチから、グループ化、関連性を探り、
ひとつのコンセプトを形作っていく作業。

③MEMORY FIELD(記憶):
エストニア、ソ連崩壊に伴って独立。
大国に占領され続けてきた歴史から、民族のアイデンティティが失われそうだった。
ナショナル・ミュージアムのプロジェクトは「国約」。国際コンペをやろうという形で進む。

荒涼とした森のなかに残されたソ連支配時からの「負の遺産」軍用滑走路に着目。
それを抹消するのではなく、ナショナル・ミュージアムに直結させるかたちを提案。
長さ42mの大屋根をもつエントランスから直線的に、
幅72m、長さ355mのスケールが走り、そのまま1.2kmの「滑走路」に連続する博物館。
天上高が段々低くなっていき、出ると「滑走路」に至る建物は、
高さ14mのところに一枚の板が浮いている感じで、重力を感じさせない。
冬はマイナス20℃の白いランドスケープに、光の塊のボリュームが浮かび上がる。
リビングコレクションを収めるほか、シアターや音楽堂も備え、アクティビティも重視する博物館と
国民のイベントとして使用可能な公共の広場になり得る「滑走路」。
→記憶が更新されていく建築。空間的に色々編集可能な建築。

④KOFUN STADIUM(古墳スタジアム):
東京五輪の主会場・新国立競技場コンペでファイナリスト(11案)に残る。
「旧国立競技場は近代建築としては名作。残しておいた方がよかった。
(国立競技場は)ふたつあってもよかったんじゃないか。」(田根さん)

競技場の起源は古代ギリシャ、大地を掘り込んで作られていた。
防災、交通の問題から競技場の郊外化は進み、場所の意味も失われていった。
元来、神宮内苑は明治天皇の鎮魂の場。
神宮外苑に古代の古墳を蘇らせようという発想として結実。日本にしかないもの。
「古墳」: 2011年の震災→都市のなかで「死」をどう考えていくかを問われた。
イベントのとき以外は、展望台施設として活用可能で、
環境装置、防災拠点としての機能をも負う「強い森」「100年の森」の提案だった。

物質的に失われたとしても残るものは記憶。個人の記憶を超えた集合記憶。
建築が残ることによって文化は継承され得る。記憶装置としての建築。
建築の価値: 建て直し、建て増しをしても損なわれることはない。
過去の記憶を掘り下げようとすればするほど、近代建築とは異なる意味が見えてきた、等々。

参加者からの質問: いくつかご紹介しましょう。
--Q.田根さんから見たりゅーとぴあの印象は?
--A.いい劇場であり、好感が持てる。明るく、気持ちよい空間。
「強そうな劇場」と言うより、よくデザインされた、散歩の途中に寄れる「公園」のよう。
但し、劇場のアイデンティティを支える存在である、13年目のNoismにとっての
使い勝手や動線についてはもっとコンパクトにならないかという思いはある。

--Q.今後、作りたいものはあるか?
--A.意外とあまりない。キャリアが博物館から始まってしまったこともあるだろう。
場所・人・時代・コンペとの出会いの方が重要だと考えている。

--Q.既存の建築でこれは面白いものというものを教えて欲しい。
--A.少し遠いが、南仏ル・トロネ修道院を挙げたい。
南仏特有の光線のなか、そこにある全てのものが美しく見える建築。
精神を受け継ぎ、整えるのみで、建てられたときのままの姿で今に至っている。

結び「建築は公共の福祉」:
「しっかり残されていく建物を建てることは21世紀にあって可能なのか。
もう建てなくていいんじゃないか」(金森さん)に対して、
「そこは欲望。『建てたい』」と田根さん。
日々活動するなかで、文化的なものが何のために役立つのかという疑問も生じるが、
単に美しいとかではなく、人々にとって幸福に変わるもの、喜びになるものを作りたい。

*建築は公共の福祉: 建築は不特定多数が体験できるもので、体験した人の人生に関わるもの。
一昨年、東京・南青山スパイラルでのCITIZENのインスタレーション制作中、
疲労困憊のなかで、作品を前に幸せそうな様子の来場者を目にして生まれた意識。

終始穏やかな口調で語る田根さん、鋭いツッコミを入れる金森さん。
「LECTURE + DISCUSSION」というスタイルに捕らわれることなく、
およそ自由に、そしてとても嬉しそうにやりとりするお二人の姿が印象的でした。

この場では、田根さんのご発言を中心に纏めようと試みましたが、
それすら門外漢の私にとっては困難を極めることであり、
字数だけは使いましたが、
どれだけのことを伝えられたか自信はありません。
田根さんと金森さん、お二人からは共通に時間を経てもなお残るものを志向する
「構築への意志」が感じられる2時間でした、
と書いて切り上げるほかなさそうです。

終了後も、スタジオBからホワイエに出る扉の外に田根さんを認めると
すぐに長い人の列ができたのですが、その最後の一人に至るまで、
丁寧に質問に答え、写真撮影に応じ、
あるいはサインをする田根さんの「神対応」振り、
そこに表れたお人柄について触れながら、
この拙いレポートを終わりにしたいと思います。
長々お読みいただき、有難うございました。  (shin)

『柳都会 第15回 平田オリザ×金森穣』が開催されました

昨日4月23日(土)、りゅーとぴあ能楽堂にNoism新作『ラ・バヤデール-幻の国』の脚本を担当された劇作家で演出家の平田オリザさんをお迎えして、第15回柳都会が開催されました。
15回まで回を重ねてきた「柳都会」ですが、冒頭、金森さんより「今回から、ゲストの方のレクチャーを聞き、それに基づいた対談」というスタイルに変更された旨の告知がありました。
午後4時、スクリーンとホワイトボードが用意された能楽堂の舞台で、まず平田オリザさんのレクチャーが始まりました。

LECTURE: 「新しい広場を作る」をテーマに、ユーモアを交えて、社会における劇場の役割について話されました。要旨を少しご紹介いたします。

☆劇場の役割:  限られたお金で、次の3点をバランス良く執り行うことが文化政策として重要。
①芸術そのものの役割・・・感動、世界の見方が変わる。 (100~200年スパン)
被災時の「自粛」の風潮を巡って: 「自粛」は創造活動の停止を意味する。100年後、200年後の被災者は何によって慰められるのか。また、地球の裏側の難民を慰める可能性のある「公共財」を作り続けなければならない。
公的なお金を使う以上、後に残るものを作る。作らなければ、何も残らない。新作を作り続けるなかで、一本レパートリーになればそれで良い。

②コミュニティ形成や維持のための役割・・・「社会包摂」 (30~50年スパン)
郊外型大型店舗の出店により、中心市街地が衰退し、画一化する地方都市。資本原理は地方ほど荒々しく働く。利便性の代わりに失われてしまったのは無意識のセーフティネット。
「ひきこもり・不登校」:人口20~50万人程度の地方都市(そこでは、若者の居場所が固定化・閉塞化しており、「成功」の筋道がひとつしか存在しない)で深刻。
「社会包摂(social inclusion)」:ひきこもり・失業者・ホームレスの人たちにとっての居場所も備える重層化された社会をつくる。(欧州では普通の政策)
欧州の劇場は自由に使えるパソコンを置いたカフェを併設するなど、社会参加を促している。
社会との繋がりを保つことは結局は社会的なコストの低廉化に通ずる。人間を孤立化させない、市場原理とも折り合いをつけた「新しい広場」としての劇場。「(劇場に)来てくれて有難う。」
出会いの場、きっかけを与える場としての劇場。結節点(繋ぎ目)としての演劇・バレエ等々…。
孤立しがちな人間を文化的な活動によって社会にもう一度包摂していく役割を果たす劇場。

③直接、社会の役に立つ役割・・・教育、観光、経済、福祉、医療 (3~5年スパン)
(例)認知症予防に効果があるとされる「社交ダンス」人気、等々。

また、国民の税金を使いながらも、首都圏に暮らす人たちしかその恩恵に浴しにくい、日本の文化的な状況の問題点にも触れて、経済格差より文化格差の方が発見されにくい性質のものであるとし、文化の地域間格差が拡大している現状を危惧しておられました。「身体的文化資本」(個人のセンスや立ち居振舞いといったものの総体:本物がわかる目)を育てることは、理屈でどうこうなるものではなく、常に本物に触れさせる以外に方法はないそうです。
まったくその通りですね。

(追記: この日のレクチャーの内容については、平田さんのご著書最新刊『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)に詳しく書かれているとのことです。是非ご一読ください。私もこれから読みたいと思います。)

DISCUSSION: 5分間の休憩を挟んだのち、平田さんと金森さんの対談パートでは、劇場の「ミッション(使命)」を中心に話が進んでいきました。「何のために劇場はあるのか?」

☆劇場の「ミッション」:
欧州の劇場には、その時々の課題や問題を作品のかたちで提示し、それについて考える機会を提供する場としての側面も大きいとのこと。

平田さんが制定に大きく関わった「劇場法」では、劇場を、作品を作る場と同時に、蓄積する場(フローとストック)と捉え、アウトリーチをも含め、そこには専門家が必要であるとします。
とりわけ、平田さんは、「館」全体についての責任を負い、ミッションを定める立場の総支配人を支え、そのミッションを遂行する「専門家」として芸術監督(や音楽監督)を養成するシステムを整備していくことが必要であり、リベラルアーツ(一般教養)としての舞踊の教育とは別に、「個」を育てる、舞踊のエリートのための教育を行うことで、そうした芸術監督をキチンと育てていきたい、そして色々なものを見せる劇場、そのレパートリーを信頼して観に来て貰える劇場を作っていきたいと語っておられました。プロとアマの間の線引きが不明瞭な舞踊の現状に歯噛みする思いの金森さんも「我が意を得たり」と得心の様子でしたね。

この日、新作『ラ・バヤデール-幻の国』も、初めての「通し稽古」をやったそうですが、最後、平田さんからの「極めて良いものが出来上がった。バレエの歴史にちょっとは爪痕を残せるものと確信している。その初演に立ち会って欲しい」という言葉で、ちょうど午後6時、ふたりのアーティストの矜持に満ちた、内容の濃い会は締め括られました。

「20年くらいかかるだろうけれど、この国に『劇場文化』を根付かせたい」と語った平田さん。それはスパンこそ違えど、金森さんが常々「劇場文化100年構想」と呼ぶ ヴィジョンとピタリ重なるもので、まさに「問題意識」を共有するおふたりと言えるでしょう。そのおふたりがタッグを組んだ新作です。ますます期待は高まりますね。6月、新潟・りゅーとぴあ・劇場から始まる公演に是非お運びください。そして、平田オリザ×金森穣が提示する劇場の「ミッション」をご感得ください。  (shin)

 

「柳都会」#15、平田オリザがやってくる!

Noism1&2劇的舞踊『ラ・バヤデール―幻の国』公式情報更新!

そして、4月23日(土)開催の柳都会には脚本の平田オリザ氏が登場!

詳細は当HP「Noism公演情報」欄に掲載。「リンク」欄からはNoism公式ウェブサイト、Noism公式ツイッター等に行けますので、ぜひご覧ください!

4/9(土)東京 国立新美術館での金森さんと宮前さんの対談に合わせるかのように、4/5(火)正午から、NHK BSプレミアムで「三宅一生デザインノココチ」再々々放送が決定しましたね。いろいろ楽しみです♪

そして、昨日新聞折り込みの「市報にいがた」によると、BeSeTo演劇祭が(金森さんの誘致により、東京ではなく)新潟市で10月開催!東アジア文化都市間の交流事業も昨年に引き続き実施するということで、ますます楽しみです♪どんどん応援していきましょう!!

閑話休題:「談ス」3人組、全国公演中。おなじみの平原慎太郎さんが出演します。新潟公演もうすぐ、3/17(木)19:00 りゅーとぴあ劇場。

(fullmoon)