「柳都会」vol.26 渋谷修太×金森穣(2023/03/18)を聴いてきました♪

ここ数日の暖かさはどこへやら、冷たい雨がそぼ降る2023年3月18日(土)の寒い新潟市。雨もあがった夕刻16:30からの「柳都会」vol.26 渋谷修太×金森穣を聴いてきました。(@りゅーとぴあ〈能楽堂〉)

この日のゲストはアプリとデータをテーマに事業展開するIT企業・フラー株式会社の代表取締役会長 渋谷修太さんとあって、ビジネススーツ姿の来場者もおられるなど、いつもの「柳都会」とは少し雰囲気も異なるように感じました。そしてこれを書く私はと言えば、デジタルにはとんと疎いもので、「ついていけるかなぁ?」という不安が拭えずに会場入りしたような次第でした。しかし、渋谷さんの人間味溢れる人柄と語りの上手さに惹き付けられてあっという間に終了予定時刻になっていた、そんな対談でした。ここでは話された内容からかいつまんでご紹介しようと思います。

冒頭、この日の占いで「口は災いの元」と出たので気を付けるという金森さん。つかみはOK。そこからは主に渋谷さんがご自身とフラー株式会社についての話をされるかたちで進んでいきました。

*起業家の力で、故郷を元気に。
渋谷修太さんは1988年、新潟県生まれ。佐渡に実家も、親の仕事の都合により、→妙高→南魚沼→新潟と転校→長岡高専へ進学(プログラミング・テクノロジーを学ぶ)→筑波大学に編入学(経済・経営を学ぶ)→IT企業・グリー株式会社に勤務(2年強働く)→1911年、愛着のある新潟で、長岡高専時代の仲間と一緒にフラー株式会社を設立した。「友達と一緒にいたい。どうしたら『卒業』しないで済むんだろうか。会社があれば」の思い。創業時、5人→現在、150人が働く会社へ。
高専: 高等専門学校。中学卒業で入学することができ、5年間の一貫教育で優れた専門技術者を養成するための高等教育機関。全国に57校ある。「かつてアメリカのオバマ元大統領は『日本で一番優れた教育機関』と評した」と渋谷さん。

2016年、アメリカの経済誌「Forbes」から、年に一度選出する「アジアを代表する30歳未満の30人」に選出されたことを報せるメールが届いた。同年の選出者には、他に田中将大、錦織圭、内村航平もいて、そこに「起業家」が並ぶことはアメリカでは驚きなく受け止められることであり、日本で「『おおっ!』ってなるのをやめさせたい」(渋谷さん)思いがある。評価されたのはアントレプレナー(起業家)としての「数値」:会社を成長させるスピードや資金調達力(当時、10億円くらい集めていた!)

2021年、EY「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」10人のうちのひとり(Exceptional Growth(=並外れた成長)部門)に選出される。「地方創生DX(デジタル・トランスフォーメーション:デジタルでの変革)のリーダー」

*フラー株式会社 
「自動車だったらトヨタ、家電だったらソニーといった、日本発で世界一といえるような会社をITの世界でも創りたい。」
デジタルパートナー事業: パートナーに寄り添い、共に創り、本当に必要なものを届け、企業がデジタル化していくのを支える。
一番大事にしているのは人。IT企業には在庫はない。コストの大半は人件費。
社員の平均年齢:32歳。高専出身者:27%。
地方拠点を活かした開発体制:都心から離れた拠点率:100%。(←Uターン就職の受け皿に。)

*社会全体がHAPPYになることを目指す、地方のデジタル化
【例】長岡花火のアプリ開発: 大勢の人が集まることで電波が繋がり難くなるウェブサイトに対して、使えるのがアプリ。
金森さん: どうして? その瞬間、最新の情報にアクセスできるの?
渋谷さん: 事前にアプリをダウンロードしておけば、最新の情報も情報量は少ないので、キャッチできるときにキャッチすることが可能。

「デジタル化」はあくまでも手段。「長岡花火が良くなるんだったら、デジタルでなくても何でもやろうよ」→ゴミ拾いなども行った。→そこを見てくれて評価してくれる会社(任天堂)もあった。

*2本社体制(新潟&柏の葉)、それぞれの地域を活かした活動
統計によれば、東京で働く人の4割が地元に戻りたい思いを持つが、仕事が理由で叶わない。→ささるキャッチコピーを投下。
・交通広告: 改札を出ると、またはエスカレーターに乗ると、「フラー」の広告。
・年末・年始のTV 15秒CM: 年末・年始、普段はTVを見ない若者が、お茶の間で家族と一緒に点いちゃっているTVを見ている時間帯にCM。
「ふるさとに帰ったら挑戦は終わりだと思っていた。この会社と出会うまでは。」
「諦めなくていいんだ。新潟に戻るのも、ITの仕事も。」 

*「地域に優しいデジタル化を通じて、世界一、ヒトを惹きつける会社を創る。」
ソフトウェアの地産地消。持続可能であること。地域の課題を地域で解決することは働くモチベーションになる。地域に雇用を生み出す正しいサイクルを目指す。

金森さん: 経営者の面のほか、デジタルのプロダクトやコンテンツはどうしているの?
渋谷さん: デザイナーとエンジニアに任せている。「自分よりできるヤツいる。みんなで一緒につくればいいんだ」自分は説明やお金集め、人集めに特化。
金森さん: 日本のプログラマーは現在、最先端ではない。「外国へ行きたい」とかならないの?
渋谷さん: シリコンバレーで感じたのは、「こいつらもめちゃめちゃ凄くはないな」ということ。但し、挑戦はするし、プレゼンは上手い。日本にも優秀なエンジニアはいる。
金森さん: テクノロジーの進化に対応する必要はある。
渋谷さん: 英語のメディア等に情報を取りにいくことは必要。更に実際に自分で使ってみることが重要。

3年前、故郷・新潟に移住して感じたリアルな現場: ファミリー経営が多い地方の企業は社長交代期に、60代から30代へとか、「世代がとぶ」環境があり、一気にデジタル化が進む傾向もある。

新潟には、100年続く老舗企業も多く、そうした既存企業の更なる飛躍と新潟初の新規事業の促進をDXで支えていくことを目差す。
全国的にも起業家が少なかった新潟において、新潟ベンチャー協会として若手起業家合宿などの活動を行うことで、現在、若手起業家は増加している。「ローカル発。世界に新潟から。」
金森さん: 同業他社が増えていいの?
渋谷さん: 人に関しては、ある程度、「集積地」を作らなければならない。フラーなのか東京なのかではなく。給与のレンジや競争の適正化が図れる。自分としては、「競争」ではなく「共創」のイメージがある。

*AIで仕事は変わる
金森さん: テクノロジーやAIの進化で人はどんどん要らなくなっていくとみられている。この先もアプリを作るのは人間?
渋谷さん: ゆくゆくはAIが作るようになるだろう。AIで仕事は急速に変わる。AIを使いこなし、味方につける術を身につけていくことが求められる。スティーヴ・ジョブズも「既存の仕事はなくなるが、クリエイティヴなことに使う時間は増える」と言っている。時間が節約され、膨大な時間が生まれる。それを人間にしかできないことに使うこと。

*活躍できる土壌、文化、場所
シリコンバレーの風土・環境: イノベーション施設「wework」には遊ぶ環境も用意されていて、昼からビールも飲める。精神的に何がよしとされているか。ハード面でもクリエイティヴな環境があることが大事。→プラーカに「新潟版」を作って貰った。「NINNO(ニーノ)」:新潟とイノベーションを掛け合わせた造語。
金森さん: 環境に惹かれる人間の感性を育てることも重要。劇場はクリエイティヴィティが発動する場という思いでやっている。ローカルに消費されるだけでなく、世界と繋がっていることが感性にとって大事。
渋谷さん: アメリカのポートランドの例をみるまでもなく、芸術とクリエイティヴな人材の相関性は高い。「Noism、希望だな」と思う。個と集団を扱ったこの間の作品(『Der Wanderer-さすらい人』)、(会社)集団が大きくなってきていて凄くささった。
金森さん: 世界の主要な劇場には多数の日本人がいる。帰って来ようにも(金銭的にも、精神的にも)来られる環境がない。
渋谷さん: 活躍できる土壌、文化、場所が必要なのはアートもITも同じ。仕事をつくれば戻って来られる。

会場からの質問
01a: 社名「フラー(FULLER)」の意味・由来は?
-渋谷さん: サッカーボール状の構造をもつC60フラーレンに由来する。強固な構造をもつと同時に他とも吸着する側面を併せ持つ。また、「ソニー」や「ヤフー」のようなカタカナ2文字+伸ばし記号にもしたかった。
01b: 「起業家」の意味は?
-渋谷さん: 社会に今、存在していない解決策をつくる存在。何かインパクトを起こし続けたい。
01c: 友達と一緒に会社を作った。その組織論は?
-渋谷さん: 最初はよくても、10年続くのは6%に過ぎない。自分はビジネスアイディアよりも友達が大事。みんなでやることが大事。友達と一緒だったので、苦難・困難も乗り越えることができた。

02: 2011年の創業。物凄い勢いで勝ち上がってきた。その秘訣は?
-渋谷さん: シンプルに言うと、助けて貰った。愛された。アプリ製作から「新潟においでよ」と言って貰えた。先輩経営者の方々が協力してくれて今に至っている。自分としては誰よりも新潟を愛している。住みたい人が住めるようになって欲しい。そのために、何かしらできることがあればやりたい。

03a: 人とのコミュニケーションの取り方、人との関わりのなかで身につけていくこと希薄になっていないか?
-渋谷さん: 自分はコンピュータよりも人が好き。デジタルも使うことによって人と一緒にやっていけるものと信じている。アイディアはひとりのときよりも人と出会うことによって生み出される。
03b: 介護分野でのデジタル化進んでいないが、どう考えるか?
-渋谷さん: デジタル化は時間を生み出す。介護もデジタル化が必要となる分野。大事である。

04: 企業やアプリにおけるアイディアや著作権はどうなっているか?
-渋谷さん: IT分野では、アイディアだけでは意味がない。誰もが同じようなことを思いつくが、実行が大事な分野。Facebookのマーク・ザッカーバーグも”Demo is better than words.”と言っている。また、意匠面でもユーザーにとってインターフェイスは似通っていた方が使い易い。インターネットという環境をみんなで作り上げているように思う。
-金森さん: インターネットとはそもそもオープンソースであり、地球規模の民主化。一方、舞踊における固有性、脳や身体などは真似できないものだが、舞台のイメージやビジョンについては訴えられることもある。
人と違うことが大事だったのが20世紀とすれば、過去から学び、影響を受けることを恥じずに次の一歩を踏み出すのが21世紀。

*結びに
渋谷さん: 新潟はシリコンバレー同様、自然が豊かな良い場所。エンジニアのなかには登山やサーフィン等、外に出て行くことを好む者も多く、ITと自然豊かな場所や芸術的に盛り上がっている場所とは相性がよい。
1888年の新潟は全国で一番人口が多い町だった。一度できた町にはポテンシャルがある。若い人が増えて欲しい。戻りたい人が戻れて、住んで楽しい町になって欲しい。
金森さん: (渋谷さんは)「もう有能な政治家にしか見えないね」(笑)

…金森さんにそんなオチまでつけて貰って終了したこの日の「柳都会」でした。
ざっと、そんな感じでしょうか。何かしら伝わっていたら幸いです。途中に(トイレ)休憩も挟まず、聴く者をぐいぐい引き込んでいく、圧倒的に、或いはめちゃめちゃ面白い90分間でしたから。

聴き終えたら終えたで、渋谷さんについてもっともっと知りたい気分になり、物販コーナーにて著書の『友達経営』(徳間書店)を求めたところ、その後いろいろありで、渋谷さんのサインもいただけました。

そんなこんなで、とても刺激的で有意義な時間を楽しみました。以上、報告とさせていただきます。

(shin)

金森穣『闘う舞踊団』刊行記念 金森穣×大澤真幸(社会学者)トークイベントに行ってきました!

『Der Wanderer-さすらい人』世田谷公演の余韻も冷めやらぬ2月28日(火)、東京・青山ブックセンターで開催された金森さん・大澤さんのトークイベントに行ってきました♪

ほぼ満席の会場。黒のステキなジャケットで登壇の金森さん! あのプリーツは!?
そう、宮前義之さん(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE)のデザインです!
(ちなみに次の、Noism0・1夏の公演「領域」https://noism.jp/npe/noism0noism1-ryoiki/ でのNoism0衣裳は宮前さんですよ♪)

世田谷公演の裏話があるかなと思いましたが、それは全く無くてちょっと残念。司会者はいないので、最初は大澤さんが進行役のような形で始まりました。
大澤さんの机には付箋がたくさん付いた『闘う舞踊団』が置いてあり、 金森さんも気になる様子でしたが、付箋箇所を開くわけでもなくお話が進みます。

トーク内容はとても書ききれませんので、だいたいの流れに沿って簡単にご紹介します。

大澤:
・金森さんは、劇場に専門家集団がいて世界に向けて芸術文化を発信したいと思っているのに、足を引っ張る人がいて苦労している。
・芸術活動は何のためにあるのか。金森さんには確信があるが、他者はピンと来ていない。
・スポーツは見ればわかるが、芸術はそうではないので受容する素地(文化的民度?)が必要。
・日常を超えた真実があるかどうか、世界が違って見えてくるのが芸術。
・芸術は感動。快いと感じるものだけではなく、不安をおぼえるようなものも含めた心が揺らぐ体験。

金森:
・時代によって世の中が芸術に求めるものが変化している。
・自分はかつては、既存のものを壊して新しいものを立ち上げたいと考えていた。それができないのは自分に力がないからと思っていたが、そうではない。
・自己否定ではなく、意識を少し変える。微細な意識変容で見えてくるものがある。
・少しずつ世界をずらしていく。

大澤: 舞踊芸術の価値は日本では伝わりにくいのではないか?

金森: そんなことはない。日本には海外の一流のものがたくさん来ていて、観客は目が肥えている。そういう見巧者の感性に肉薄できるかどうか。環境が整えば日本でもできる。

大澤・金森: 見たことによって心が豊かになるのが芸術の力であり価値。

大澤: 90年代は多分野の人たちが集まって話をすることが結構あったが、最近は専門分野に分かれてしまっている。金森さんはいろいろな分野の交点になるような触媒になれるのでは? しかも東京ではなく新潟で。

金森: 新潟では対談企画の「柳都会」をやっているが、それとはまた違うことと思う。既存の文化の体制を変えたい。
・問題意識として、自分の同世代は40代、50代になり、老いや老後のことを考え出している。しかし今からでは遅い。20代の頃から考えなければならない。そのためにもこの本を読んでほしい。

大澤: この本を読んで、金森さんが100年スパンで考えていることに驚いた。そして自分は最初の方をやると書いてあることに感動した。
・舞踊は普遍的、本質的なもの。言語の前に音楽やダンスがある。言葉により日本では能が発展し、後に西洋のものを輸入していくようにもなる。
・集団を率いるというのは羨ましい。

金森: 集団は大変。一人だと楽だろうなと思う。

大澤: 静岡県のSPAC芸術総監督・宮城聰さんの苦労はよく知っているが、金森さんは宮城さんより大変だと思う。

金森: そんなことはない。自分ができたことは環境があればみんなができる。行政の人にはいい人もいる。
・カンパニーの維持や金銭問題についてはベジャールやキリアンでさえ苦労していた。

*このあと大澤さんは、吉本隆明と高村光太郎がどのように戦争と関わったか、転向論について話され、日本のどこに問題があったのか。知識人は大衆から遊離、孤立し、その孤独感に耐えられなくて転向する等、お話がどうなるのかと思いましたが、最後にはぐっと引き寄せて、
「金森さんは、一般の感覚と西洋のものの間に何とか連絡をつけて日本の文化として定着させたいとしている」とまとめてくださいました。

大澤: 感染症やウクライナ、核など、世界が迷っているこの時代に、日本はただ世界の後に付いていくだけ。
・感受性に対して揺らぎを与える芸術こそが役に立つ。
・少しずつ物事の見方を変えていく。
・金森さんは劇場文化の困難な道を進んでいる。

金森: そんな大層なことではなく、ちょっとやり方や使いみちを変えれば実現できること。
・劇場はもっと別な使い方をした方がよい。劇場のあり方に自分の人生を賭けている。
・ヨーロッパにいた時も、帰国してからも自分は移民・アウトサイダーだが、日本も新潟もアウトサイダーをうまく活用できるかどうかがカギ。

大澤: アウトサイダーがどのように文化を豊かにするか。
・金森さんは思春期~青年期に日本にいなかったので、日本人として社会人にならなかったのがよかった。
・ムラ社会に取り込まれなくてよかった。

金森: 日本は島国だから。でも外来文化を受け入れるマレビト的な考え方もある。
・自分は運がいい。危機的な時に限って決定的なことが起こる。助けられるとやらなくちゃいけない。

*大澤さんが終始「金森さんがやってきたことは、苦労、不可能、困難、難しい」等々を連発するので、金森さんは「それを言うのをやめてほしい」とことごとく談判! 
その結果、「金森だからできた。ではなく、金森ができたのだから他の人もできる」という共通認識になりました。

金森: 誰でも楽勝!
・時間とお金を使って観るだけの価値があるものを提供するのが劇場。

*時間になって一応トークが終わり、質問コーナーでは、東洋性と西洋性との折り合いについて、つらかった時期の解決法、新体制について等の質問がありましたが、『闘う舞踊団』にも書かれていますのでどうぞお読みください。

Q: 国の文化政策の課題は?という質問に対して、
金森: 確かに他国と比べて国の芸術予算は少ない。
でも(東京は劇場が減ってきて、人口に対して劇場の数は多くはないが)、他の地域は劇場(ハコ)もあるし、補助金も出る。
ハコも予算もあるのだから、少し考え方を変えるだけでやっていけるのではないか。
国の芸術予算は無駄な支出が多いと思う。官僚の皆さんは頭がいいのだから、補助金の出し方も踏襲のみではなくて考え方を変えたらいいと思う。

お話はだいたい以上です。割愛だらけで申し訳ありません。
トーク内容は、本に書いてあることもたくさんありましたので、どうぞお読みくださいね♪

最後に金森さんのひとこと: 一人ひとりが唯一無二。わかり合えないのが大前提。

やはり苦労してますね~
おつかれさまでした♪

トークのあとはサイン会があり、井関さんの臨時サイン会もあったようですが、私は日帰り参加のため残念ですがトークのみで直帰しました。

会場では、東京の友人知人に会えましたし、夕(せき)書房の高松さん、金森さん、井関さん、山田さん、浅海さん、三好さん、糸川さんに挨拶できてよかったです♪

(fullmoon)

「纏うNoism」#04:庄島さくらさん

メール取材日:2023/2/22(Wed.)&3/4(Sat.)

新潟と東京で大きな感動を呼び起こして幕をおろした『Der Wanderer-さすらい人』。まだまだその余韻に浸っているところですが、その後半すぐ、『糸を紡ぐグレートヒェン』で鏡面のこちら側からあちら側へと越境し、その不穏さのままに此岸から彼岸へ越境してしまい、観る者の心を大きく揺さぶった庄島姉妹の妹さん・庄島さくらさん。今回、4回目を数える「纏うNoism」にご登場です。お楽しみください。

「エレガンスとは目立つことではなく記憶に残ることだ」(ジョルジオ・アルマーニ)

それではさっそく拝見いたしましょう。

纏う1:稽古着のさくらさん

敢えての「傾き」にキュンキュン♪

 *品のある色合いのadidasジャージをすっきり着こなすさくらさん、とても素敵です♪ この日の稽古着をご説明願えますか。

 さくらさん「ジャージは母からのおさがりです。写真では見えていないのですが、ジャージの下にはYumikoのレオタードを着ています。速乾素材で汗をかいても冷えないので、よくトレーニングで着ています。靴下はadidasです。履き心地が気に入っていて、同じものを何足も持っています」

 *「お母様からのおさがり」というadidasのジャージですが、お母様もバレエなどなさっておられたのでしょうか。そしてすみれさんと供用のおさがりなのでしょうか。まずそのあたりからお訊きします。

 さくらさん「母はバレエをやっていないのですが、普段、体を動かす時に使っていたものをおさがりで貰いました。どちらの物とは決まっておらず、すみれとは共用で使っています。でも私が着ている時のほうが多い様な気がします」

 *そうなのですね。そしてYumikoに関してですが、バレエをやる人たちに人気のブランドなのですね。そのあたり、私は疎いのですが、皆さんはご存知かと。で、色やデザインのラインナップも豊富なようですけれど、お好みアイテムはどんな感じのものなのでしょうか。

 さくらさん「Yumikoのレオタードは今まで様々な色や形をオーダーして着ましたが、結局黒やシンプルな形のものを好んで着ています」

 *そして今回も出ました、靴下!で、さくらさんはadidas推し!「勝利の3本線」入りなんですよね、きっと。そうですか、そうですか。でも、メンバー皆さん、お気に入りの靴下があるのですよね、毎日身につけるものだけに。

纏う2: さくらさん思い出の舞台衣裳

 *これまでの舞踊人生で大事にしている衣裳と舞台の思い出を教えてください。

背中に翼、可愛いですねぇ♪

 さくらさん「この写真は、スロバキアのバレエ団にいた時に、踊った『ドン・キホーテ』という作品のキューピッドの衣裳です。初めてのバレエコンクールで踊ったキューピッドを約20年後にまた踊ることができて思い出深かったです」

 *今回もまた出ました『ドン・キホーテ』!コンクールでっていうのも前回の中尾洸太さんと一緒!でも、珍しいことではないのかしらん、とも。で、そのキューピッド、初めてのコンクールのときのことを少し教えてください。

 さくらさん「初めてのコンクールは小学生の時でした。当時、私は同年代の子たちに比べると身体が小さく、皆がお姉さんに見えて怖かった記憶があります。この時の衣装も思い出深く、祖母が一から作ってくれました」

纏う3: さくらさんにとって印象深いNoismの衣裳

 *Noismの公演で最も印象に残っている衣裳とその舞台の思い出を教えてください。

 さくらさん「『鬼』は私がNoismに入って、初めて穣さんから直接振付をもらって練習をした作品なので、思い出深く衣裳も印象的でした」

 *Noism Web Site へのリンクを貼ります。
 2022年のNoism×鼓童『鬼』画像です。ご覧ください。

 *その『鬼』、和のテイストも漂う赤い袖の衣装から黒のレオタード調の衣裳への変化も見応えありました。そのあたり、踊っていていかがでしたか。

 さくらさん「鬼の後半の黒の衣装に変わるところは空気が変わる感じがします。隠していた本性が出てしまった様な、キリッとした緊張感が自分の中に走ります」

 *まさに、まさに。まさしく、まさしく。空気が変わる感じ、物凄いものがありましたよね。今も容易に思い出すことができます。

纏う4: 普段着のさくらさん

もふもふも素敵、上品な冬の装い

 *この日のポイントと普段着のこだわりを教えてください。

さくらさん「この日のポイントは防寒です!新潟の冬は雪が降るのはもちろん、風が強い日が多いのでフードのあるコートは必須ですね」

 *防寒、大事です!in 新潟。福岡出身のさくらさんですから、新潟の冬はかなり厳しいものに感じられている筈ですけれど、手袋なしでポーズをとるチャーミングな写真からはそんな様子も窺えず、寒い屋外さえそれなりに楽しんでいる感じがしますね。いい写真です♪

 *ところでスミマセン。双子になったことがない(←当然!(笑))ので、お訊きしたいのですが、すみれさんと共用で着ているものなどもあったりするのでしょうか。

 さくらさん「稽古着は共用で使っている物もあります。一応どちらの物と決まっていることが多いのですが、借りたり貸したり」

 *そうなのですね、アゲイン。「便利」っていうと違うのでしょうけれど、でもそんな側面もあるのかなぁと。まあ、双子になったことがない(←当然!アゲイン。(笑))ので、あくまで想像してみるだけですが。

 *もうひとつ、さくらさんとすみれさんについてお伺いしますが、おふたりのの好みは似ているのでしょうか。または、明らかに異なる部分があったりするのでしょうか。もしそうなら、どんな違いがあるのか教えてください。

 さくらさん「好みは似ていると思います。すみれが気に入ったものは私も良いなと思うのですが、その中でも『これ、すみれっぽい』とか『さくらっぽい』とかありますね」

 *な~るほど。ところで、「さくら」も「すみれ」も、どちらも色を連想させるお名前ですが、様々な場面で色を選択するとき、おふたりそれぞれ自分のお名前を意識したりすることはありますか。

 さくらさん「子どもの頃は持ち物をさくらはピンク、すみれは紫にして名前の代わりに色分けしていました。自分ではなかなかピンクの物をチョイスしないはずなのですが、自然とピンクの物が集まってきます」

 *名前の持つ力って、侮れませんよね、まったく。でもまあ、私の場合、「伸」と書くものの、伸びてないですけれど…。(笑)余談でした。(汗)

 *忙しいさなか、様々な質問一つひとつに、丁寧にお答えいただき、公演で目にする情感豊かな舞踊と相俟って、人柄にも惹かれました。どうも有難うございました。

さくらさんからもサポーターズの皆さまにメッセージを頂きました。

■サポーターズの皆さまへのメッセージ

「いつも応援してくださり、本当にありがとうございます。早いことにNoismに入り2年目。まだまだ未熟な私ですが、皆さまの温かい声援に背中を押していただいています。これからもどうぞよろしくお願いいたします」

…以上、「纏うNoism」第4回、庄島さくらさんの回をお届けしました。『Der Wanderer―さすらい人』世田谷公演直前&直後の取材となり、大変お忙しいところ、どうも有難うございました。

当ブログでご紹介してきたさくらさんの他の記事も併せてご覧ください。

 「私がダンスを始めた頃」⑯(庄島さくらさん)
 「ランチのNoism」#15(庄島さくらさん)

今回の「纏うNoism」もお楽しみいただけましたでしょうか。で、次回登場するのは勿論、あのヒト!またまた乞うご期待ということで♪ではでは。

(shin)

胸熱の感動に涙腺は崩壊!『Der Wanderer-さすらい人』大千穐楽@世田谷パブリックシアター(サポーター 公演感想)

2023年2月26日(日)午後、前日に続いて三軒茶屋の世田谷パブリックシアターまで『Der Wanderer-さすらい人』の大千穐楽を観に行きました。

控え目に言っても「傑作」や「名作」と呼ばれるべき公演でしたから、この公演中心の2日間を過ごしたような次第です。何しろ70分間のこのクオリティ、いつでも観られると思ったら大間違いなレベルなので、至極当然ななりゆきに過ぎなかった訳ですが。

その舞台。この世田谷パブリックシアターで迎えた大千穐楽の舞台。シューベルトの歌曲、金森さんの演出振付、舞踊家の「顕身」、それらが渾然一体となった稀有な時間に浸り、もう胸熱の感動に涙腺は崩壊しまくりで、マスクの下はぐしょぐしょ状態に。そこだけは若干不快ながらも、類い稀なる爽やかな優しさを全身で受け止めて気持ちはいつになく昂揚するのみでした。

前半。他に関心が赴くことなく、求めて与えず、そればかりか徒に他を弄んだり、世界の中心に自分だけを見ようとするかのようにして、余りにも利己的に愛を求めようとする振る舞いの帰結として、孤独に直面します。その若さが横溢するさまは現メンバーの年格好とも重なるもので、幾分、戯画的な味付けもなされていて、微笑ましく映じたりするほどです。同時に、自らの思いを伝えんがために薔薇を手折ることも厭わない残酷な側面も同居させていますが、いかにもその点には無関心な様子から始まり、6曲目「ミューズの子」の中尾さんに至っては薔薇は投げ捨てられさえするほどです。

その残酷さですが、まず、7曲目「至福」の後半に至り、自己嫌悪とともに樋浦さんによって見出されると、続く8曲目「狩人」で愛憎入り乱れる荒々しさの頂点を経過したのちの杉野さんによってはっきりと自覚されることになります。

そうして導入されたある種の「転調」は、9曲目「月の夕暮れ」の三好さんへと引き継がれ、「シューベルト」山田勇気さんの傍ら、彼女は4本の薔薇を植えることになります。

10曲目「ナイチンゲールに寄せて」でひとり自らの愛情を大事に抱く井本さんを経て、山田さんが傍らの4本の薔薇を見詰めていると、山田さんの「分身」のような4人の「シューベルツ」が導き入れられます。11曲目「セレナーデ」は薔薇の赤と衣裳の黒のコントラストがこのうえなく美しいパートであり、4本と4人、それぞれの「生命」が咲き誇るかのようです。

後半。12曲目「彼女の肖像」を踊る井関さんが運び入れるのは何やら不穏な空気であり、13曲目「鴉」の山田さんを含めて、「死」の気配が兆し始めます。そこからはもう怒濤の展開で、その孤独の究極の形態が美しく踊られて、可視化或いは形象化されていきます。踊られるのはもう若さとは真逆に位置するものであり、まったく別物の空気感を醸し出してくる身体、その「顕身」振りには驚きを禁じ得ません。彼ら(の多く)は若かったのではないのか。

14曲目「糸を紡ぐグレートヒェン」の庄島さくらさん・すみれさんの鏡とドッペルゲンガーぶりにしろ、15曲目「魔王」の糸川さん・坪田さん・樋浦さんを巡る運命が行き着く先にしろ、はたまた、16曲目「死と乙女」の井本さん・糸川さんの切ない情緒であれ、17曲目「月に寄せて」の中尾さん・樋浦さんから18曲目「トゥーレの王」の三好さん・杉野さんに続く胸ふたがれるような満たされなさであれ、金森さんが繰り出す見せ場の連打であり、舞踊家がそれに全身で応えていきます。その際立つ悲劇的な美しさには恍惚となるほかありません。

それを締めるのがやはりNoism0のふたり。山田さんの19曲目「さすらい人の夜の歌」から井関さん(と山田さん)の20曲目「影法師」に至る風格は絶品です。息絶えんとする山田さん、そのとき、目を覆う井関さん。死は直視し難いものであることに間違いはありません。しかし…。

終曲「夜と夢」、11名の舞踊家がそれぞれ5本の薔薇を胸に舞台上に回帰してきます。それぞれ中空に視線をやり、何かに目を止めたのち、横一列をつくると、頭を垂れて、無言の「有難う」とでも言うかのように。そして揃って後退りしながら、1本ずつ1本ずつ、胸に抱いていた赤い赤い薔薇を舞台に立てていきます。それはそれぞれが生きてきた舞台としての11の人生を、最後の最後に肯定しようとする振る舞いであり、そのことに観る者も慰撫され、感極まるのだと断言したいと思います。

暗転を経て、再び照らされた舞台は無人となっていて、赤い薔薇で形作られた格子状の矩形のみが残されています。11人×5本で、都合55本の薔薇。その色彩は、死の象徴たる黒い矩形を遥かに凌駕するインパクトをもって私たちの目に飛び込んでくるでしょう。

暗転のところから始まった、客席からの鳴りやまぬ拍手は、一見、舞台上にそれを捧げる対象を欠いてしまっているように見えるかもしれませんが、それこそラストに金森さんが舞踊家たちの「顕身」を通して示したかったどこまでも人生を肯定しようとする姿勢が金森さんをして、そこに身を置いた全員に共有される「場」そのものに対して拍手が注がれることを選択させたものと見ても強ち間違いとは言えないのだろう。赤い薔薇が描く生命力を感じさせる矩形からはそんなふうに感じられてならないのです、私には。

圧倒的な余韻を残した『Der Wanderer-さすらい人』。絶対に再演して欲しい作品のリストに挙げられる「傑作」、「名作」であることに異を唱える者はいない筈です。皆さんはどうご覧になられましたか。コメント欄などにお寄せ頂けましたら幸いです。

そして、この出演を最後に退団される井本さんに対して、これまでたくさんの感動を頂いたお礼をここに書き記したいと思います。どうも有難うございました。今作においても本当に素敵でした。また踊る井本さんを観ることが出来ますことを願っています。

この日のブログ、最後を締め括る写真はかつてのNoismメンバーが多数集結した大千穐楽終演後に撮らせて貰った画像です。ちょっとピントが甘いのですが、慌てて撮ったためです。ご容赦ください。(汗)

(shin)

世田谷『Der Wanderer-さすらい人』、穿たれた開口が深淵となり、直截に生と隣り合う舞台(東京公演中日)

2023年2月25日(土)、前日のfullmoonさんによる『Der Wanderer-さすらい人』東京公演初日レポを読み、どこがどう変わっているのだろうかと尽きせぬ興味を抱いて、新潟から新幹線に乗り、世田谷パブリックシアターを目指しました。

三軒茶屋駅すぐの劇場には迷うことなく着き、チケットを切って貰って、趣のあるロビーに進むと、正面に新潟からの遠征組がいて、手を振ってくれていました。そこにはfullmoonさんの姿もあり、笑みを浮かべています。前日の舞台については口にしませんし、こちらも訊きません。しかし、その笑みは「楽しみにしていてね」と雄弁でした。

その後、更に新潟や東京の友人も着き、さして広さはないロビーが大勢の人で埋まってきます。その雰囲気は、入場整理番号順に並んだ新潟公演とは明らかに異なるものでした。客席への入場案内を待ちながら、公演についての話題は敢えて避けつつNoismサポーターズ仲間で四方山話をしていたところ、柱の背後から、「こんにちは」とひとりの若い女性が私たちに声をかけてきてくれました。女性はすぐ続けて「西澤です」と名乗ってくださいましたが、声に振り向いた私たちにはそれは不要でした。元Noism1の西澤真耶さんの笑顔!嬉しいサプライズです。少しお話しができましたし、私など、一緒に写真も撮って貰いましたから、嬉し過ぎました。

そうこうしていると、遂に入場案内があり、ロビーのみんなも階段を上がり、客席へと移動していきます。その踊り場には金森さんが(お父様と話しながら)立っていましたから、近づいて行って挨拶する人もいます。その後、入口付近に場所を移した金森さんに、今度は私たちも近付いて行き、揃って手を振ると、金森さんも笑顔で手を振り返してくれましたので、満たされた思いで各々客席に向かうことができました。

客席に足を踏み入れるとすぐ、舞台上に新潟公演のときとの違いをまずひとつ認めました。「ということは…」、それは導入部分の演出が異なるということを意味します。ここでも開演を告げるベルはなく、客電もそのままに世田谷『Der Wanderer-さすらい人』が滑り出します、いかにもゆっくりと。あの効果音が聞こえてくるのはそれからのことです。で、ややあって、漸く舞台上のもうひとつの違いをはっきり認識しました。黒い矩形。「やはりそうだったのか!」この日の私は2階席の最前列を選んでいましたから、舞台との距離から、しかと視認するには若干時間を要したような按配でした。

そこからは、少し見下ろす具合にして、舞台全体の「画」の推移を楽しみました。照明はよりエモーショナルに、豊かさを増して、一段と劇的になって、作品を推し進めていきます。

「メメント・モリ」(死を忘れるな)。穿たれた開口は象徴(シンボル)であることを超えて、より直截に生と隣り合う深淵として可視化され、迫り出してきています。愛をめぐる孤独。満たされぬ思い。それ故のさすらいと、紛れもなくその舞台であるところの人生。そして…。シューベルトのクリエイティヴィティと金森さんのそれとが拮抗することで立ち現れてくる70分間の深みに心は揺さぶられ続けるほかありません。

ラストシーン。その情感。「そのままお客さんを帰す訳にはいかない」(金森さん)とは語られているものの、それは、近いところでは『Near Far Here』のラストなどとも呼び交わし、金森さんのクリエイティヴィティの根幹にあるものが表出されているもので間違いありません。今回もまさに極上の余韻…。

終演。ロビーに『闘う舞踊団』の夕書房・高松さんの姿を見つけたので、fullmoonさんの傍らで一言だけご挨拶をさせて頂くと、「ああ、新潟の…」と思い出して頂けて、これも良かったなと思いながら、時間のこともあり、急ぎ、ホテルに向かいました。(fullmoonさん、すみませんでした。)

少し個人的な事柄も含む書き方になるのですが、ご容赦ください。つい先日、還暦を迎えて、「ここまで色々あったなぁ」とか思ったりする気持ちと今回の『Der Wanderer-さすらい人』とが交錯するようなところがあったりして、私の人生のこの時期に豊かな色合いを添えて貰えたことに、とても嬉しい気持ちに浸れています。そしてそんなふうな事って、様々大勢の人たちの身の上にも起こっているのだろうなと思うとそれもまた悪くないなとも。遠くにオレンジ色の東京タワー、美しい夜景を望むホテルのラウンジに家族3人。心地良く酔っていたのはジントニックなどアルコールの作用によるものだけではなかった筈です…。

そんな奇跡のような舞台『Der Wanderer-さすらい人』も遂に大千穐楽を迎えます。もう目にする機会はただ一度のみ。必見です。お見逃しなく!

(shin)

感動の世田谷パブリックシアター♪『Der Wanderer-さすらい人』東京公演 初日に行ってきました!

2023年2月24日(金)、新潟公演終了から3週間、東京公演初日の世田谷パブリックシアターに行ってきました!
これほど進境著しいとは驚きです!
まさしく感動の舞台✨

いろいろなところが変わっていました。
明日以降ご覧になる方はどうぞお楽しみに♪
素晴らしいですよ✨

会場では金森さん、Noismスタッフが出迎えしてくださり、また、東京や新潟の知人にもたくさん会えて嬉しかったです♪
明日も楽しみです!
東京公演、お見逃しなく!

(fullmoon)

速報!金森さん・井関さんの祝賀会 in 新潟(2023/04/02)のお知らせ♪

■金森穣 受章・井関佐和子 受賞・金森穣『闘う舞踊団』刊行記念 祝賀会 開催決定!
(金森穣 令和3年春の紫綬褒章受章・井関佐和子 令和2年度 芸術選奨文部科学大臣賞受賞)
 *** 参加申込受付開始! ***

速報!
『Der Wanderer-さすらい人』世田谷公演の幕があがる日に、またひとつ胸ときめくお知らせがあります♪
コロナ禍で延期となっていた、金森さん受章+井関さん受賞のお祝いと、金森さん初の書籍『闘う舞踊団』(夕書房)刊行のお祝いを兼ねての祝賀会が以下の通り開催される運びとなりました!

日時: 2023年4月2日(日)12:00開宴(11:30受付開始)
会場: 護国神社 迎賓館TOKIWA ガーデンヴィラ(新潟市中央区西船見町5932-300) https://www.g-tokiwa.com/
迎賓館TOKIWA ガーデンヴィラ (g-tokiwa.com)
会費: 12,000円(食事・飲物・書籍『闘う舞踊団』・サービス料 ・税込)
定員: 80名(要申し込み)
お申し込み先: 次のいずれかからどうぞ。
*シネ・ウインド
    TEL:025-243-5530 / FAX: 025-243-5603
    メール: wind19851207@icloud.com (斎藤)
*NoismサポーターズUnofficial ・「さわさわ会」
    TEL・ショートメール: 090-8615-9942(越野)
    メール: http://noism-supporters-unofficial.info/contact/
申込締切: 3月23日(木)

主催(発起人): 竹石松次(BSN会長)、篠田昭(前新潟市長)、斎藤正行(シネ・ウインド代表、安吾の会代表、「さわさわ会」代表)
共催: NoismサポーターズUnofficial、舞踊家 井関佐和子を応援する会「さわさわ会」
協力: りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館、迎賓館TOKIWA 、シネ・ウインド、夕(せき)書房

(*護国神社は金森さんと井関さんが結婚式を挙げた神社です♪)

祝賀会のチラシです。(3/17追加)

以下からダウンロードいただけます。(3/14追加)

どなたでもお申し込みいただけます!
ご一緒にお祝いし、共に楽しいひとときを過ごしましょう♪
皆様のご来場を心よりお待ちしております。

(fullmoon)

身体から零れてくる「沈黙の言語」に心揺さぶられ通しの約70分、『Der Wanderer-さすらい人』新潟千穐楽♪

遂にこの日が来た/来てしまった…。
2023年2月4日(土)は『Der Wanderer-さすらい人』新潟全11回公演の千穐楽の日。公演の初日から連日、深化と進化を重ねてきた舞台、その一区切りとなるのがこの日です。観たい、是非にでも!そういう思いと同時に、まだ先送りしておきたい、そんな思いも同居する胸のうちはなかなかに複雑なものがありました。この日の開演前には見知ったサポーターズ仲間の面々とも多数お会いしたのですが、その誰からも例外なく似たような思いを感じたものです。それもまた、語らず秘しておこうとするにも拘わらず、零れ落ちてしまう観客の側の「沈黙の言語」だったのでしょう。

そんなふうな思いを胸に、この日はまた最前列に腰掛けて、開演を待ちました。楽日のざわつく場内も、あの効果音とともに静寂に入り込みます。構成の美は私たちが愛して止まない「金森」印ですから、何も構えることなしに、すっかり身を委ねて、誘われるまま、それだけでもう充分な訳です。贅沢なこと、この上ありません。

21曲のシューベルト、それを踊る11人の舞踊家。表情や目と目線、指先や足先、静止の「間」も含めた一挙手一投足…。もう瞬きするさえ惜しいような、濃密で美しい、渾身にして圧巻のパフォーマンスが展開されていきました。

新潟楽日のこの日、11人が示した70分弱の「顕身」。観る者としては耳に届く歌曲を背景にもうひとつ、舞台上、踊る身体から豊かに零れてくる「沈黙の言語」を前に、見詰める両の目さえ、あたかももうふたつの耳と化したかのようにして、それを「聞き逃すまい」と見詰めて、受け止めることで、心を強く大きく揺さぶられるといった類い稀なる時間に浸り切りました。

その至福。うまく語れる者などいよう筈もありませんから、終演後のホワイエでは、感動で頬を紅潮させたサポーターズ仲間が集まってさえ、誰も多くを語ろうとしなかったことなどごくごく当然のことであったに過ぎません。

そのホワイエ。金森さんの書籍販売の列に(またしても)並んで、これまでの○冊に加えてもう一冊求めたのは、観た者が受け取る大きな感動、それをまだ知らぬ職場の同僚(一緒に同じ仕事に携わってきていて、幸い本好きでもある)への「遣い物」にしようという思いから。そして、もうひとつ実行に移したのは2Fへ降りたところでの所謂「出待ち」。まず、庄島姉妹、そして井本さんと少しお話ができ、「ホントに素敵でした♪」と感動の大きさを直接伝えつつ、少しお話しもできたのは嬉しいことでした。

そんなふうに待つこと、約40分。見上げたエレベーターのなかにいよいよ黒と白のダウンを着たおふたりの姿を認めます。降りて来られたのは金森さんと井関さん。ご挨拶をしてから、この日求めた『闘う舞踊団』にもサインをいただくことができました。金森さんには「えっ、まだあるの?」と笑われながら、井関さんがしっかりと本を支えてくれるなか、「日付も入れようか。今日は何日?」といただいたサイン。そんなやりとりもあるので、「遣い物」には以前の○冊のなかの一冊をあてて、これは自分の分とします。金森さん、井関さん、お疲れのところ、どうも有難うございました。

約3週間後の世田谷パブリックシアターでの公演にむけて、金森さんたちは2週間後に東京に入るのだそうです。また異なる舞台での上演に際して、その「場」に応じた深化を極めんとすることはもはや必定の金森さんとNoism。世田谷での公演をご覧になられる予定の皆さま、期待してあともう少しお待ちください。「新生」Noism Company Niigataの第一章『Der Wanderer-さすらい人』は紛れもない名作ですゆえ。

(shin)

豊かな情感に身を委ね、清らな感動に至る『Der Wanderer-さすらい人』新潟公演9日目♪

2023年2月2日(木)、『Der Wanderer-さすらい人』新潟公演9日目。この日は平日ということもあり、すぽっとエアポケットに嵌まりでもしたかのように、残席を残したままで公演当日を迎えておりました。雪や寒気の予報もあったりで、私自身も見送るつもりでいたのでしたが、観たい気持ちが強くなってきて、随分迷った挙げ句、やはり「観られるのに観ないのはもったいない」と、「Noism>雪+凍結」の揺るぎない不等式気分になり、半日休みをとって、13時半頃に当日券を求めました。(入場整理番号は59、60。)

そこから19時の開演までまだ時間があるので、一旦帰宅して出直したのですが、この日がU25リピート鑑賞の日だったことから、市内の高校ダンス部の生徒たちも多数足を運び、無事この日も「満席が予定されています」のアナウンスがなされるに至りました。めでたしめでたし♪

この日は上手(かみて)側の最後列で、fullmoonさんの隣に腰掛けて、5回目の鑑賞に臨みました。鑑賞を重ねてきたことで、細かなところに目を配る余裕も生まれ、作品全体の情緒を楽しみました。

金森さんが、霊感(インスピレーション)を掻き立てられたシューベルトの21の歌曲を選んで、各舞踊家にソロを振り付けた訳ですが、そのそれぞれのパートが見ものであるだけでなく、その構成の妙が光る作品となっていることに驚きます。集められた素材(楽曲)はもともとのコンテクスト(文脈)を離れてバラバラなものである筈ですし、振付もそれぞれ歌詞を逐一なぞるものではありません。しかし、金森さんの創作は、各曲に聴き取ったシューベルトの「魂」を拠り所にして、歌詞と舞踊、その2者が寄り添い、拮抗し、そして止揚(アウフヘーベン)されて、馥郁たる「第3の表現」を立ち上げるに至っているのだと思われます。それはまさにシューベルト歌曲が有する可能性、その中心で行われた極めて創造的な営為と言えるものでしょう。

豊かな情感が各場面を越えて、引き継がれ、木霊し合い、増幅されていきます。その果てに訪れるラストのシークエンスに、なにゆえあれほど感動するのでしょうか。その問いへの私自身の考えはありますが、この後も公演は続きますし、まだここでは記さずにおきます。皆さんも個々に考えるところがある筈ですし、後日、感想など色々話し合ったりしたいものです。(コメントも寄せていただけたら幸いです。)

さて今回、ここでは、作品『Der Wanderer―さすらい人』に使用された歌曲とソロ(或いはメイン)で踊る舞踊家を記して、これからご覧になられる方の鑑賞に供したいと思います。

1.さすらい人: 全員
2.蝶々: 糸川祐希さん
3.野ばら: 庄島すみれさん
4.憩いのない恋: 坪田光さん
5.愛の歌: 庄島さくらさん
6.ミューズの子: 中尾洸太さん
7.至福: 樋浦瞳さん
8.狩人: 杉野可林さん(太田菜月さん)
9.月の夕暮れ: 三好綾音さん
10.ナイチンゲールに寄せて: 井本星那さん
11.セレナーデ: 中尾洸太さん・坪田光さん・樋浦瞳さん・糸川祐希さん
12.彼女の肖像: 井関佐和子さん
13.鴉: 山田勇気さん
14.糸を紡ぐグレートヒェン: 庄島さくらさん・庄島すみれさん
15.魔王: 坪田光さん・樋浦瞳さん・糸川祐希さん
16.死と乙女: 井本星那さん・糸川祐希さん
17.月に寄せて: 中尾洸太さん・樋浦瞳さん
18.トゥーレの王: 三好綾音さん・杉野可林さん(太田菜月さん)
19.さすらい人の夜の歌: 山田勇気さん
20.影法師: 井関佐和子さん
21.夜と夢: 全員
*9曲目と10曲目はパンフレット記載の曲順から変更になっています。

終演後の新潟市ですが、幸い降雪はなく、凍結もさして酷くなかったため、清らな感動のままに、ホッと胸を撫で下ろしながら家路につきました。

いよいよ、新潟公演も残すところ2公演(両日とも完売)のみ。その後、2月24日(金)から26日(日)は東京・世田谷パブリックシアターでの3公演が待っています。初見の方もリピートされる方もどうぞお楽しみに♪

【追記】コメント欄には、fullmoonさんによる翌2/3(金)新潟10日目公演及び同日終演後に開催されたアフタートーク(4回目)についての報告もあります。よろしければご覧ください。

(shin)

「今日よかったよね。毎日いいんだけど」(金森さん)、月曜午後3時開演の『Der Wanderer-さすらい人』新潟公演8日目(アフタートークあり)

2023年1月30日は月曜日。この日、8日目を迎えた『Der Wanderer-さすらい人』新潟公演の開演時間は午後3時。冷え込みや降雪量はさほどではありませんでしたが、風があるため、体感温度はかなり低く感じられる、そんな一日でした。

アフタートークの冒頭で井関さんが出待ちに青空を見て、「ホントにキレイ。青空を見ながら聴くシューベルトはホントに哀しくなっちゃって…」と仰られましたが、時折、そうした青空がインサートされ、千変万化、移ろいながらも、最終的にはデフォルトの灰色に戻っていく、そんな天候だったように思います。

さて、「完売」で迎えたこの日の舞台です。私は最前列に腰掛けて、上方から陰影に富む音楽が降ってくるなか、11人の舞踊家を見上げていたのですが、これも金森さんがアフタートークで「今日よかったよね。毎日いいんだけど」と語った芳醇な非日常に身を浸して、心は揺さぶられ、目頭が熱くなるような圧倒的な1時間あまりを過ごしました。

今回は特に各舞踊家それぞれに用意されたソロ・パートが注目される作品なのですが、それ以外にも「目のご馳走」はふんだんに用意されています。「てんこ盛り」と言ってもいいくらいに。で、個人的には、庄島姉妹のデュオ・パート、そしてメンズ4人(中尾さん・坪田さん・樋浦さん・糸川さん)で踊るパートに毎回クラクラきちゃってます。でも、いざ、こうやって幾つか取り上げてみると、あれとかこれとか、他の場面も外せない気持ちになり、やっぱり最終的には「終始、ガン見しなくてはならない」という結論に舞い戻る他なくなるのですけれど。それでも、好きだなぁ、あのふたつ。まあ、そんなふうに、気持ちは行ったり来たりなんですが、観た方ならわかってくれますよね、この感じ。困ったことです、まったく。(笑)

大きな拍手が送られて、終演。その後、3回目となるアフタートークに移っていきましたが、ホントに大勢の方がその場に残って、金森さんと井関さんのお話を楽しみました。質問も多数出たこの日のやりとりをかいつまんでご紹介します。

Q:お薦めの席はあるか。
-A(金森さん):かぶりつきの前の席、舞台を見下ろす後方の席、左右もパースペクティヴが異なるし、どの席も全然違う。全部お薦め。

Q:一部、ダブルキャストなのか。
(*この日は太田菜月さん(Noism2)の出演回でした。)
-A(井関さん):みんな若いため、浮き沈みもある。キャストになるのが当たり前の世界ではない。欧州では、ある日突然変えられたりすることもあるが、それで終わりじゃない。そういうことを経て舞踊家は変わっていく。
-A(金森さん):みんな頑張っているので、決断も容易なことじゃない。欧州なら公演回数も多いが、Noismの場合、キャスティングが外れると次は半年後になってしまう。踊る機会があればあるほど成長するものではあるし。しかし、今回は、みんなよくなった。これが彼らですから。

Q:最後のシーンでは観ていて涙が流れる。
-A(金森さん):『夜と夢』、最初からエンディングに決めていた。凄く残酷な話になったので、お客さんをこれで帰す訳にはいかない、それでも何か届けたいなと。

Q:昨今の学校教育では感情を封じ込められがち。
-A(金森さん):そうなの?今の学校、わからないんだよね。
-A(井関さん):今の時代、以前より頭で考える方が多いように思うが、先に分析してしまうのはもったいない。
-A(金森さん):感じないということはない。劇場に来て、全身全霊を傾ける姿を見て欲しい。不幸や災いや人間の業など疑似体験できる場所が劇場。そこでは虚構を通じて受容することが許されている。
-A(井関さん):虚構を虚構としてではなく、信じていないと「嘘」として捉えられてしまう。
-A(金森さん):「リアリティ」とは受け止め方であり、我々一人ひとりのなかに「リアル」がある。その場としての劇場があり、それを許容するものが作品である。 

Q:選曲と振付はどのように行ったのか。
-A(金森さん):先ずは楽曲を選んで、「合う」ものにしていったのだが、「似合う」というだけの問題ではなく、肉迫していくことを要したり、作品全体のリズムということもあった。

Q:愛と死がテーマとされているが、歌詞の内容から選曲したのか。
-A(金森さん):(700曲あまり)全部聴くんですよ。(1)先ず、全集を録音したディースカウから聴いていって、(2)楽曲からインスピレーションが湧くかどうか、(3)歌手と録音が合うかどうか、そうやって選んでいった。

Q:メンバーの解釈を深めるために面談など行うのか。
-A(金森さん):面談はない。昨日の終演後、ここ(スタジオB)に集まって、感じたことを伝えた。どうしても守りに入りたくなるもの。でも、より深く、より遠くへと「挑んだ」ことが大切。リスクはあるんだけど。
-A(井関さん):外からの目は重要。

Q:喜怒哀楽の表現について。
-A(金森さん):新しい舞踊を創る際の身体表現として、最高のイメージは手話。但し、それは一挙手一投足、全てが何かを物語るものという意味合いでの。

そしてこの日のアフタートーク、最後の質問は、何と舞台の井関さんから(!)客席に向かって発せられたものでした。
Q(井関さん):月曜日の午後3時からの公演ってどうですか。夜7時ではなく。
-A①:冬の遅い時間だと雪が気になってキツイ。夏なら夜7時開演でも構わないが。
-A②:今日は名古屋から来た。日帰りが可能。一日休みをとれば済む。
…など、月曜日は休み、或いはこの日は休みをとった、はたまた、年金生活者なので、と、この日に足を運ぶことが出来た人たちが座る客席からは好意的な反応が返されていました。

以上、アフタートークの報告でした。

その後、りゅーとぴあの外に出てみると、待ち受けていたのは物凄いと言えるほどの風雪。「ながれ旅」ではなしに、「冬の旅」気分で車を走らせて帰宅しました。

新潟公演も残すところ、あと3公演。(そのうち、木曜日の公演はまだ席に余裕があるとのことです。)日を追うにつれ、芳醇さを増してきています。これからご覧になる方は期待値MAXでスタジオBまでお運びください。おっと、重ねてご覧になる向きも同様に、期待値増し増しでどうぞ。

(shin)